第97話
「兄さん……この本に書かれてる魔法って……?」
幼い日、爺様の蔵で魔法書を読んでいるとレイベルが顔を見せる。
「ああ、それはな――――」
偶に蔵へと顔を出し、俺の肩越しから共に本を読んでいた。
簡単な魔法を教えたり、時には実践してみたり。
両親とはあまり話さなかったが、弟からは懐かれているなと自覚していた。
レイベルは俺に代わり、時期後継者としての厳しい教育を強いられていた。
支配する王は全てに於いて完璧でなければならない。誰にも負けない、劣っていない、完璧を体現する為に、レイベルは常に教育係と共にいた。
「レイベルはどうして俺の所に来るんだ? 折角の休みなんだから、きちんと休んだ方がいいぞ?」
「いいえ……ここが良いんです。兄さんの隣が、良い」
厳しい訓練の中、ボロボロになって訪れるレイベルに対して、傷を癒す事しか出来ない自身を怨んだ。
もっと強くなれば弟と二人、遠い所へと逃げられるのにと。
今の俺が獲得している『境界』という魔法では支配者に歯が立たない。応用し、力を引き出す術を見つけなくては。
そんな中、日々やつれていく彼の姿が見てられなくて、水の回復魔法を重点的に覚えていった。
「兄さんは……何でも知ってますね……」
「齧った程度だよ。今ならレイベルの方が色々知っているんじゃないか?」
「そんな事はありません。僕は兄さんが魔法の事を話す横顔が好きです。本当に大好き事をしているんだと、感じられますから」
「……この間も聞いたよな。どうして俺の所へ来るのかって。本当に、何故なんだ? 俺は別に魅力的な人間じゃ無い筈だ」
言葉にしてから数秒後、背後から覗くだけだったレイベルが後ろから優しく抱き締めてくる。熱く、濡れた吐息が耳に掛かり、どうしようも無い感情を抑え付けているのだと感じ取れた。
「兄さんの目も、耳も、鼻も、口も、歯も、眉毛も、顔も、髪も、体格も、肉付きも、四肢の細かな形も、息も、纏う雰囲気も、声も、魂の形も、血の味も、全てが大好きなんです」
温かい筈のレイベルから発せられた愛情に背筋が凍った。彼の目を通した俺は一体どんな姿に映っているのだろう。
「例え天地が断たれようと、理の全てが微塵に砕けようと、兄さんの事を愛し続けます」
「はは……いつか兄離れの訓練をしなくちゃな……」
なんとなく怖くなって笑い話に逃げれば、レイベルは腕の力を更に強めた。愛情という感情が密度を高め、俺の肩へと圧し掛かる。
「離れません……例えこの命が果てようと……」
涙が混ざった声と共に、重苦しく蔵へと響く。
最初は彼が心配だった。俺なんかに依存して、いつか駄目になるんじゃないかと。
拒絶はしない、俺だって彼を愛しているのだから。幼少期ならではの一過性の物であり、大人になれば兄を離れる様になるだろうと思っていた。
そう――――思っていた。
――――
「本当に……本当に久し振りだね……兄さん」
「久し振り、レイベル」
背丈が俺よりも高く、凛々しくなったレイベルの抱擁をかつての様に受け止める。
「スゥ――――ハァ――――兄さんの香りだ……」
「おいおい、今日はまだ風呂に入ってないんだから、あまり嗅がないでくれよ」
「心配しなくていいよ、兄さん。例え兄さんがどれだけ清潔にしていなくとも、オレにとっては最高の癒しなのだから」
「……まだ兄離れが出来ていないみたいだな」
「言ったろう? 兄さんの目も、耳も、鼻も、口も、歯も、眉毛も、顔も、髪も、体格も、肉付きも、四肢の細かな形も、息も、纏う雰囲気も、声も、魂の形も、血の味も、全てが大好きなんだ」
八年という年月が経っているにも関わらず、まるで変わっていないあのままのレイベル。
あの日と変わらない、あの日の言葉。
「例え天地が断たれようと、理の全てが微塵に砕けようと、兄さんの事を愛し続けると」
「確かにな……覚えているよ。忘れるものか」
「こんなになって……もう、人の記憶を収納しているだけじゃないか。
「この世界ではアカシック・レコードというらしい。次元を超えても、案外似通った名前が付けられているんだな。こういうのも、悪くないぞ?」
レイベルの目からはどんな風に見えているのだろう。
あらゆる世界を支配する超越者は、俺の現状をどう捉えるというのか。
「嘆かわしい。成る程、ユリウス……。兄さんをこうせざるを得ない状態にまで追い込んだ張本人……」
「それでも、奴が居たから見つかったんだから、良かったじゃないか」
「それとこれとは話が別だよ。兄さんを苦しめた存在を――――オレは許さない」
レイベルが振るおうとする手を掴む。境界線を敷き、ユリウスまでの間を遮断する。
レイベルが行う攻撃行動の全ては星の爆発の様なもの。
例え軽く振るっただけでも太陽レベルの星が爆発する威力を備えているのだ。射程など備えずとも全てが必中。
単純に生命体としての格が狂っているのだ。バグやチートなんて可愛らしい。管理者にして絶対の支配者。
「奴からは魔法を取り上げた。善人に作り替えているから、何も心配はいらない」
「コレはオレの感情論だよ。愛した者を汚されたから、必ず殺す」
次元を貫いた手刀は眠りについているユリウスの寸前にまで届き、境界線にまでヒビを入れる。
「むっ、性能不足か……やはり兄さんの様にはいかないな」
「その腕の装置は……。俺の特聖が組み込まれているのか……」
「一度見たからな。だけど、兄さんはやっぱり凄かったという事だよ。『オーバーロード』を継承したオレと簡単に匹敵してみせるなんて」
「簡単だと思うか? これでも歯を食いしばってるんだぞ?」
「ははっ、その軽口も兄さんらしい」
別に、冗談で言っている訳では無いのだが。レイベルは今この瞬間にさえ境界を打ち破ろうとしている。
脳波で装置を改良し、流れる魔力を見様見真似で操り、俺と肉薄している。
何度も痛感していたが、格が違う。絶対的な支配者として設計されたレイベルの力は絶大だ。
力を何も使わずとも宇宙空間に適応し、恒星すら砕いてみせる。基本的に出来無い事は何も無く、全世界を掌握するに相応しい男と言えるだろう。
「まずはユリウスという魔法使い。次は兄さんを縛り付けるこの世界を支配する」
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