第98話

 俺とレイベルがいつもの様に蔵で本を読んでいると妹が顔を出す。


 二人の空間は三人になり、肩越しから本を覗く。


「兄様、この魔法を使ってみて下さい!」


「どれどれ……ああ、浮かすやつね。いくぞぉ」


 妹のシモーヌは一歳だというのに既に言語を獲得し、その肉体も幼児の域を超えていた。


 俺とは……人とは違う方法で生み出された弟妹達は凄まじい速度で成長を遂げる。


 転生者の魂が混ざらぬよう細工された人造の存在。


 真に俺を産み落とした人達は、真の後継者欲しさに俺と距離を取ったのだ。


「わっ、わわっ! 浮いてます、浮いていますよ兄様!」


「ふふん、コレはまだまだ簡単な魔法だからなぁ。空高くまで飛んで行く魔法も使えるんだぞー」


「すごいです兄様! 私も……!」


 妹から要望の眼差しを向けられながら俺の体は浮遊する。ただ目にしただけで幼い少女は魔法を習得したのだ。


「…………」


「ハハッ……凄いな、シモーヌは」


「え、えへへ……そうでしょうか……」


 こういう環境で魔法を手にしてしまった所為もあり、俺は魔法の腕を磨いていったのだと思う。


 そんな折に魔法の魅力にどっぷりとハマる事ができ、辛うじて弟妹達に良い顔を見せられたと言えるだろう。


「まったく……膝の上で寝るのが好きだなんてな……」


 ひとしきり楽しんだシモーヌは丸くなり、俺の膝の上に収まっていた。


 こうして寝息を立てるのが、本人曰く最高の癒しなのだとか。


「兄さん、辛くは無いですか? 小さいとはいえ重いでしょう、僕が代わります」


「いいよ別に。甘えられるのも兄貴の役得だって思っているしな。少し本が読み辛い程度だ」


「むぅ……」


 シモーヌの穏やかな寝顔とは裏腹にレイベルの頰は膨らみ、声に出さずとも不満を訴えてきた。


「もしかして……嫉妬してる?」


 コクリ。その通りだと頷いた。


「妹に嫉妬するなんて……お兄ちゃんなんだから我慢しなさい……なんてありきたりな事は言わないさ。言ったろ? お前達に甘えられるのが役得だって」


 彼等の事を愛している。こんなにも俺に懐いてくれる子供達を無碍に出来る筈が無いだろう。少しだけ重い愛情を抱えているだけなのだから、暫くの間はしかと受け止めよう。


 出生など関係ない。どんな意図があったにせよ、この出会いは幸福なのだから。


「だからどこでも好きにしていいぞ。膝は埋まってるけどな」


「で、ては……唇も……?」


「…………すまん、もう少しソフトな部分で頼む。出来れば膝枕程度の難易度で……」


「では……肩を……」


 少し頬に髪が掛かるまで擦り寄ってくるレイベル。相変わらず物凄い圧だと感心し、本の方へ視線を戻す。


「兄さんは、幸せですか?」


 俺の肩にもたれ掛かったまま、言葉の端に微睡みを乗せて。


「幸せだよ」


 本を閉じ、膝で寝ているシモーヌを気遣いながらレイベルの頭を撫でる。


 両親から愛情を捧げられていないから、彼等の方に愛情が偏ったという訳では無い。ある程度の人格は備えていたのだから、今更その程度で心を曲げたりはしない。


 家族としての温かい愛情を注いでくれるこの子達が大好きだ。爺様が残したこの蔵も、いつまでも魔法の勉強が出来る時間も、全てが俺の宝なのだから。


「でしたら……約束して下さい……ずっと、僕の傍に居てくれると」


「ああ、約束だ」


 いつまでも、こんな日々が続けばいいと思っていた。この時間が、今のままで止まってしまえばとも。


 愛している、愛していた。だからこそ、俺の心に歪みが生まれ、境界という門戸を叩いたのだろう。




――――


 ザインが両親に転生者であると打ち明けて一週間後、レイベル=ツヴァイ=オーバーロードが生み出された。


 人工生命体を生み出す研究を三日で躍進させ、絶対に狂う事の無い基準値を生み出したのだ。


 誰にも揺るがされない高水準を維持した子供。二人の血を分けられた子供は間違いなく最優の子供だった。


 誰に学ぶまでも無く脳に刻まれていた知識を引き出し応用する。純粋な力でさえ、既に絶対的な支配者である父を超えていた。


 もっと、まだだ、こんな程度では無い筈だ。自身達を超える生命体を生み落としておきながら、彼等は更なる先を目指したのだ。


 ブレーキが壊れた暴走機関車の如く、課せられるのは無限の試練。


 肉体的にも精神的にもレイベルを追い詰め、何度も何度も試練を課した。父を、母を、全ての兵士を、世界の全てを超えてみせろと。


 星の侵略が終われば銀河の侵略を。強敵を殺せば次なる最強を。


 優れた者にはもっと高みを目指して欲しいという親心が暴走した結果、支配者という現象に成り果ててしまったレイベルの姿がそこにはあった。


 そんなある日、初めての自身の時間を与えられた。


 感情も希薄になってしまったレイベルは何となく城の中を歩く。道行く者達が賞賛の声を上げるが響かない。次なる支配者に少しでも媚を売っておこうという考えなど、レイベルはとっくに見抜いていた。


 何も無い。自分には。


 命令が下れば支配の限りを尽くし、いつか適当に死ぬのだろうと空の心を揺らしながら歩いていると、中庭に建てられたとある建造物が視界に入る。


 ボロボロの木造建築、くたびれた本の匂いが風に流れてレイベルの鼻を擽る。


「よいしょ……どっこら……しょっと……!」


 なんとなく建物を観察していたら少年がせっせと机を蔵から持ち出すのが見えた。続いて椅子、パラソル、簡単なティーセット。


 おそらくは庭でお茶でも飲もうとしているのだろうと知識の中で擦り合わせを終えたレイベルは、なんとなく少年を手伝ってみようと思い立った。


「あの……手伝いましょうか?」


「ふぅ……ん? 君は……確か……レイベルだよな。弟が生まれたって少し前に聞いてたよ」


「僕の兄……つまりはアンヘル=アイン=オーバーロード……」


「アインじゃない、今はザインだ。爺様から名前を貰ってな……両親からは実質的な勘当を食らってるから。絡むなって言われなかったのか?」


「確かに……あまり近付くなとは言われましたが……」


「だろ? けど……そうだな……手伝ってくれるのなら……ちょっと来てくれ」


 レイベルはザインの手招きされるがままに蔵の中へと入る。中には無数の本棚と多次元世界からの流入品の数々。


 入口脇の階段から地下へと下ると小さな居住スペースが出来上がっており、ザインはここで過ごしているらしい。


 乱雑に散らかった衣服や本から、ザインの普段の生活が伺える。


「あちっ、あちち……ええと……熱耐性の魔法は……よし、これで大丈夫」


「何か作っていたのですか?」


「そうそう、クッキーをな」


 小さなオーブンから取り出した数枚の焦げ茶色のクッキーを差し出し朗らかに笑う。


「最近は結構良い感じに作れてさ。これも日々の鍛錬の賜物だな」


「クッキーと手伝うのに、何の関係が?」


「簡単だよ。ほら、召し上がれ」


 変わらぬ笑顔のまま、ザインは焼き上がったクッキーを一枚差し出す。今まで嗅いだ事の無い香ばしい香りに困惑し、レイベルはしばし戸惑ってしまう。


「あの……どういう……」


「味見だよ、味見。俺の主観だけで美味しいって寂しくないか? 美味しいのならそれで良し、誰かと共有してみんなハッピーだ」


「はぁ……分かりました」


 良く分からない理論を展開するザインに困惑を深めながらおずおずとクッキーに手を伸ばす。


 生まれて初めての口内から食品を摂取するという行為に気付かぬ内に鼓動が高鳴る。知識として脳に存在している情報のまま、食物を口の中へ入れた。


「結構熱いかも……って、そうか。元々のスペックが高いんだったか」


「これ……は……」


 乾いた音を鳴らしながら唾液と混ざる感覚。口に広がるこの味が何なのかと味覚が忙しなく処理するが、困惑の連続に目を瞬かせる。


「な、なんでしょうか……これは……悪い気はしないと言いますか、知識と照らし合わせても分からない……何故……」


「悪い気はしないって事は、つまりは美味しいって事だな。あと、味として言うならばそれはきっと『甘い』ってやつだ」


「甘い……これが……甘い」


「……もしかして、今までの飯ってあの注射しか無かったのか?」


「は、はい。ゼーレオキシトン八型を……」


「ゲェ、気持ち悪くなるだろアレ」


「いえ……僕はその様な作りになっていませんので」


 まあいいけどさ。そう続けたザインは未だに呆けているレイベルを連れて蔵の横に設置した椅子に座らせる。


「偶には外でティータイムも良いかと思ってさ」


「外で……お茶を? 意味があるのですか?」


 鼻唄交じりでお茶を注いでいたザインはピタリと動作を止める。何度か頭を振り、空を仰いだ後、明確な答えのないまま問いに答えた。


「意味は無いな。オシャレかなって思って」


「意味の無い事を……どうしてするのですか?」


「なぜなぜ期ってやつか……どれ、ザイン先生がたっぷりと答えてやろう」


 少し得意げにザインは注いだ紅茶をレイベルに差し出す。


「意味の無い事に楽しみを見出す事こそ、人を人たらしめるんだと俺は思う。気分が良いからスキップしてみたり、落ち込んでるから壁を思いっ切り殴ってみたり、他人から見たら意味無いだろって事を、自分なりに楽しむんだ」


「楽しみを……見出す意味とは……?」


「簡単だ、楽しみが無いとつまらないだろ。人生に色が無いとまでは言わないけど……うん、薄味だ」


 ザインの放つ言葉を心で受け止めながらもレイベルの困惑は止まらない。


 レイベルにとって人間における三大欲求すら湧いていないのである。何をするにも意味など見出せない。


 自身の存在を確立させた創造主がやれと言った事を実行する事こそがレイベルの全てだ。


「分かりません……つまらないとは……何ですか?」


「うぅん……レイベルはさ、クッキーを食べて悪く無いって言ってくれたろ?」


 差し出されたクッキーを反射のまま口で受ける。


「そのままお茶を飲んでみな」


「お茶……はい」


 手渡された紅茶はじわりと口の中に広がり体を芯から温め、先程とは違う味わいとなってレイベルを満たした。


「味が……違います……」


「悪くないだろ?」


「悪くない……です」


「学びだな。その紅茶と合わせて食べると美味しい。またいつか試してやりたいと思えたりするだろ? だからさ、究極を言えばこの世に無駄な事なんて何一つ無いんだよ」


「無駄な事が……無い」


 ザインがレイベルの頭を撫でる。今まで感じた事の無い感覚に電流が奔りレイベルの背筋に響き渡らせた。


 困惑に次ぐ困惑。ザインという一つの生命体に抱かされた疑問符は今までのどんな強敵よりも攻略し難く、何よりも知りたいと思えてしまった。


 何故、ザインと話すと心がここまで熱くなるのかと。


「悪くないか?」


「悪く……ないです」


「だったら、それは良いって事だ。して欲しい事があったら、いつだって俺に聞かせてくれ」


 頬を伝う水の感触。レイベルが気付かないそれをザインは優しく拭い取る。


「今は分からない涙の意味も、いつかきっと理由を付けられるから。レイベルが知りたい限り、俺が何でも教えてあげるから」


「どうして……」


 そこから先は掠れて言葉にならない。無自覚に限界を迎えようとしていたレイベルの精神は寸での所でザインの手によって巻き返された。


「どうしてって――――家族だろ。弟に頼られて断る兄貴がどこにいる」


 親愛という温かさに触れ、レイベルはこの日、人間になった。


 鉄よりも冷たい支配者はザインという小石に躓き、あらゆる初めてを教わる。そしてこれが、彼にとっての始まりであり、初恋でもあったのだ。

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