第84話

 例え心血注ぎ命を懸けて前進をしようとも、ダンタリオンが放つ冒涜の眷属に阻まれる。もう少しだけ魔法の練度が高ければ遠距離攻撃でもダメージを期待出来るものの、今のレオナでは到底叶わない。


 風の魔力を肉体に付与し、膂力を以って叩き斬らなければならない。既に満身創痍だったレオナは確実に死への階段を駆け降りて行く。


「限界だろ……どうして折れないかね。オレの腕が鈍った訳じゃあ……無いよな?」


「ハァ……ハァ……ハッ! 何かしたのかよ……? 蚊でも止まったのかと思った……」


 これは命を削る戦闘である。当然として反撃を食らう。高速で動いただけで肉体へと負荷が掛かるレオナにとっては最早時間すら味方をしてくれない。


「昔は……家族が嫌いだったんだ」


「どうしたよ、不幸自慢か?」


「いいから……聞けってば……。家族なんて重りか何かだと思ってた……薄い繋がりで縛られて、何処にも行けなくなっちゃうって……好きだけど、怨んでたかもしれない」


 剣を捨て去り、傷口を圧迫していた魔法を解除する。空間に付与された魔法の全ては消失しレオナに適した戦場は失われ、炎に囲まれながら二人して見合う。


「全部失ったと思ったら、先生が全部与えてくれたんだ。ロウにリゼさんが居て、それに……アンタも居て……」


「…………」


「気まぐれで下品だけど、悪く無いって思ったよ。本当に楽しいって思ってた。全部失った時はもう頑張れないかもなんて思ったけど……周りの人達が、家族が居たから頑張れた」


 こんな地獄が描かれてはハッピーエンドになり得ない。それでもとレオナは自身の思いの丈を吐き出さずにはいられないのだ。


「あと少し、もう一度、何度でもって願っても……絶対に還って来ないから――――だから」


 今までに無い洗練された魔力が奔る。全身全霊を超えた魔法使いの極致へと足を掛けてしまう。手首の消えた右手を前に、二の腕から先が吹き飛んだ左腕で支える。足を開き、世界を循環する魔力を認識する。


 何が大切なのか。何を願うのか。これこそが我が理と真に吐き出せる渇望は何かと思考を巡らせる。


「――――最高の決別を。アタシはダンタリオンが好きで、心の底から殺したい。悲劇は変わらないけれど、僅かばかりの日々が嘘だったとも言いたく無い」


 親愛を捧げながら、心の底から殺したい。歪に交わった輪廻でさえ、自分が歩んだ道なのだからと。


 ――――だから最後は、せめて笑顔で。


 魔法の究極まで止まる事無く堕ちていく。レオナに枷を掛けられる存在など、最早何処にも居ないのだ。本人でさえそう思っていた。命すら捨て去った後に何が残るのかと……。


 だが――――。


 ――――先生。


 薄皮一枚、薄氷一枚の向こうまで到達した瞬間、レオナは自身にブレーキを掛ける。唯一の心残りが、ザインの存在がそうさせたのだ。


 故に今の彼女の限界とはここまでであり、特聖という狂気へは踏み込めないままでいる。今際の際にさえ渇望に狂えない自身を呪いながら、それもまた自分なのだと工程を止めない。


「『断空界テンペストルーツ急ノ型レベルA』」


 それでも、だとしても、魔法使いとしての殻を突き破ったのもまた事実。


 今放てる最高の魔法を展開し、ダンタリオンと相対する。


「ごめんね……先生」




 ――――


 特聖という限界を超えられなかったレオナに対し、ダンタリオンは最後の一撃を叩き込む。暗い触手はレオナの腹部の真ん中に突き刺さり、時が止まった様に彼女は地面へと沈み込む。


 心は既に破壊され、収めていた筈の命すらレオナの体からすり抜けていく。ここに地獄は完成し、満を持して主役が舞台に姿を現した。


「くは……くはははははははははははははッッ!!! っと……高笑いするのが悪役らしいよな……ザイン?」


「似合わねえよ、上擦ってるし」


 まるで何も無かった様な顔をして、普段通りのザインがダンタリオンの元へと歩く。アストナークは炎に包まれ、明確な人の命があるのはこの場に残る者のみ。


 久し振りの挨拶をする様にダンタリオンは全力の攻撃を放つ。だが、結界の中に連れて行かれる前に尽くを無力化される。何一つとして難しい事は無いとザインは頭を掻く。


「まさか結界が細工されるなんてな……気が付かなかった」


「いやいや、オレの攻撃は全スルーかよ……。つうか、気付いてない訳じゃなかったろ。ザインはオレが細工出来ると知っていて見逃していたんだ。ソレが今回の騒動を生み出した」


「そうか、まあそうだな」


 気味の悪いぐらい普段通りのザインはやれやれと歩を進める。


「それで、どうしてこんな事をした? 怒らないから言ってみなさい」


「どうしてって……好きな人に想われるのは至極の喜びだろ」


 本命を待ち構える様にザインを迎える。お前にこそ問うて欲しかったと腕を広げ狂い哭く。


「友人として、家族として、想われる事を悪いとは……気色悪いとは思わない。その人の愛を一心に受けたいと……ザインから愛を囁かれたいと願うけれど……それは難しいと知ったんだ」


「――――」


「まどろっこしいな……いやなに、これは本当に単純な事だ」


 殺した腕でザインを求める。狂わせた心でザインを待ち焦がれる。光に目を焼かれた惨めな蝿の様に、オレはここだと叫んでみせる。


「オレはな――――ザインの唯一ぜつぼうになりたいんだ」


 愛とは真逆のマイナスの極致にこそダンタリオンは光を見出した。いずれ枯れ逝く愛よりも、心に深く刻まれる絶望をこそ尊んだのだ。ザインという境界に一生物の足枷を掛けられたらとダンタリオンは心の底から思い描いた。


「絶望……絶望……絶望……ねぇ……誰の入れ知恵だ? いや、今はそんな事はどうでもいいか」


 ようやく手の届く場所まで歩み寄ったザインはダンタリオンの髪を掴み地面へと押し倒す。


「ッ――――! ッ――――!」


 骨と肉がぶつかり合う音が炎の弾ける音と混ざり合う。押し倒したダンタリオンへと覆い被さり、何度も何度も殴り付ける。拳の皮が捲れ上がろうと、治癒など掛けずに何度も殴る。


 今までの全てを吐き出す様に、消えてしまった者達と、消え去ってしまった自分自身に報いる様に……今のザインが満足するまで殴り付けた。


 骨にこびり付いた肉を削ぎ落とすが如く、肉付けされた今までが面白い様に綺麗に消えていく。


 ――――殺せ。邪悪を許すな。今こそ正義を成すのだ。


 ――――うるせえ、お前は黙ってろ。


 内から弾けそうな渇望を抑え付け、後悔に酔った風にしてザインは何度も殴る。


 まるでこうする事こそが、絶望した人間であるかの様に。狂い、嘆き、怒りを抱いた人間ならば、きっとこうするのだろうと。

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