第81話

 心を虐げ、世界の微細な動きであっても動いてしまう様な人間にしてしまおう。ユリウスの計画とはつまりはそういう事だ。


 勝てないのならば挑まない、自身の死さえ厭わない。例え結果として禍奏団の全てが消し去られたとしても、心が壊れたザインという結果だけが残りさえすればいいのだ。どんな出来事であったとしても、どんな些細な悪だとしても、それらを摘み取ってしまえる最強の力を生み出し、いずれ世界全体のバランスを崩壊させる。


 故に滅殺派は在り方を変え、ザインを捻じ曲げる存在と成り果てた。


「うーん……どうすっかなぁ……」


 アストナーク噴水広場にてダンタリオンが立ち尽くす。神妙な面持ちは普段の彼女らしくなく、本気で行動を起こすべく作戦を思案し続ける。


「なにしてんのよアンタ。そんな顔して、悩みでもあるの?」


「こんにちはダンタリオンさん。私達はこれから昼食なのですが、ご一緒に如何ですか?」


「んあ? おお、レオナか。キャロルも一緒とは丁度良いな」


 太陽が頂上に昇った時間帯では噴水広場に人が溢れていた。ぞろぞろと昼食を取る為に賑わいを見せ始めた広場を見てダンタリオンはポンと手を打つ。


「オーケー、じゃあここをやった後に屋敷に行きゃいいか……」


「なによ急に。丁度良いって……まさか、何か企んでるんじゃないでしょうねぇ……」


「オレが企んで無い時なんて無いだろ?」


「確かに……まっ、迷惑掛けないぐらいのほどほどな感じにしときなさいよ」


「昼飯時だもんなぁ……二人は何処に行く予定なんだ?」


「すぐそこの……あちらのお店です。私の親戚がやってまして」


「へぇ、良いね。行ってみたかったなぁ」


「行ってみたかったって……別に、アンタがいいならこれから一緒に――――」


 日常会話を繰り返し、人が溢れた噴水広場。皆の心の中にあるのは平穏の持続だろう。次の瞬間には今と変わらぬ風景が続いていると、ここに居る誰もが心に思い描いていた筈だ。


 だからこそ――――ここが好機だと見定めた。


「月に吼えろ――――■■■■■■■■ニャルラトホテプ


 人が知ってはいけない領域。かつて繁栄していた神話の時代の更に奥、踏み入れてはならない禁忌として封印されていた狂気の世界。


 人の精神を捻じ伏せる事に特化した神話が平穏の只中で奏でられた。


 首から先が粘着性のある泥の様な触手で埋め尽くされた異形の怪物。しかし服装と体型は至って平凡であり、ダンタリオンと同様のスーツを纏い噴水の頂上を無造作に踏み付ける。


 誰もが茫然と怪物を見やる前に、視界に何か黒い物が映り込んだと認識した瞬間、噴水広場を中心に爆発が起きた。


「――――」


「……っ!? レオナッ!」


 炎を生じさせない暗い爆発は噴水広場の全てを飲み込んだ。純粋な衝撃と多量の精神汚染を相乗させ、人の心を蝕み腐らせる。


「ふむふむ、それじゃここを起点に壊してってくれよ。出来るだけ酷い感じで」


「――――」


 怪物が漏らした音は言葉となってダンタリオンにのみ届く。混沌の使者は人類の敵対者としての本能を遺憾なく発揮し、眷属である怪物を何体も召喚する。


 首から先が切り取られた鋼色の蛙の様な怪物は水銀で出来た槍を携え逃げ惑う住人を襲う。惨たらしく人体を引っ掻き回し、細かく刻んで自身の首へと近付ければ黒い触手がそれらを食らう。


 生きたまま、痛みに逆らえぬまま、負の感情が嗚咽と共に連鎖する。救いなど一縷も無い地獄を悠々と通り過ぎダンタリオンは屋敷へと足を運ぶ。


 まずは結界の解除……では無く、結界の誤認操作である。幾らザインが優れた魔法使いだとしても、最高峰に優秀な結界魔法を敷いているだけである。


 当然解除など容易では無く、魔法自体に細工をしようとしたならば瞬時に本人へ警告として知れ渡る。


 だが、ダンタリオンとて腐っても神格の一人。最奥の権能に結界を持つ彼女にとって、人間の最高峰に細工をするなど造作も無い事だ。


 ザインは承知の上だったのだ。ダンタリオンは結界を弄り都合の良い様に結界を細工出来るだろうと。重ねてきた信頼感に目を曇らされ、彼女が稀に見る気まぐれさだという事を忘れさせられた。


「ダンタリオンさん……! 聞きましたか、今の音……!」


「リゼか、大丈夫か? ロウは?」


 慌てた表情を浮かべたリゼとその影に隠れる様にしてロウがリビングへと駆け込んでくる。


「噴水広場の方で禍奏団が暴れているらしい。なに、ザインに連絡を取ったから安心してくれ。すぐに鎮圧してくれるだろ」


「……」


「ほら、ロウもこっちにおいで。怖かったよなぁ」


 張り付いただけの笑顔にロウは静かに警戒心を高める。今まで内に形成していた人格は徐々に燃え盛り、冒涜の瘴気に当てられてしまう。


 狂え、狂えと魂を逆撫でするダンタリオンにロウの中に介在する煉獄が疼いて止まらない。ただの特聖が無垢を塗り替え、ロウの体を支配する。


「とりあえず動かないでくれよ」


「――――うっ! えっ……?」


 リゼの腹部を触手で破り、背後のロウの胸ごと貫く。ザインへ見せつける為の最高の舞台を築き上げるべく、惨殺の限りを尽くし続ける。ギリギリの所で生かし、後で飾り立てやろうと目の前の惨劇を作業でもするかの様に消化していく。


 ダンタリオンの攻撃の全てには人の精神力を擦り減らす効果が付与されている。過去に消え去っていった神話生物を飼い慣らし、対人に特化した権能が冒涜の真実だ。


「ダ、ダンタリオンさん……?」


「悪いな。けど安心してくれよ、ザインが来るまで殺しはしないから。アンタらは目の前で発狂させた方が良さそうだから」


「なんで……どうして……こんな……」


「理由は色々あるけどさ、ほら――――オレって気まぐれだから」


 ダンタリオンの視界の端で一瞬だけ火花が奔る。緋色に輝いたソレに気を向けると、彼女の体は屋敷を貫き庭の中央に突き刺さり土煙を舞い上げた。左肩を吹き飛ばされるが即座に触手で埋め尽くし応急手当をする。何事も無かった様に修復された肩を叩き、煉獄へと成り果てた少女に視線を飛ばす。


 淡い緋色を身に纏い、ロウがリゼの体を支えながら絶対という領域にまで到達した熱を携える。


「リゼに――――手を……出すなっ!!」


「マジかよ……ここで覚醒しちゃう? 主人公みてえだなぁ……」

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