第80話

 ザインがヘレルと共に旅立った日から数日後。エンデル王国の宰相室では珍しくダンタリオンが書類に目を通していた。


「やっぱ……そうなのかぁ……? 多分コイツだよなぁ……」


 過去に禍奏団が活動したデータを照らし合わせ、ダンタリオンは一人の人間に目星を付けた。普段はお茶らけているものの、きちんと仕事をこなしたならば常人の何倍もの成果を叩き出すのがダンタリオンという悪魔である。


 魔法協会から提出された特聖に至った魔法使いの書類から一枚を取り出し、爪で弾く。


 『冥界の魔法使い』、ユリウス・フォン・ローエングリン。神聖アモエヌス皇国、現皇帝。


 以前ザイン宅へと侵入してみせたシセロを思い出し、今回の調査に踏み出したのだ。世界から煙たがられるテロリストがあの程度の時間稼ぎに人死にを出すのか。魔法兵の運用に関しても雑多過ぎる。あんな兵器を量産出来る程余裕がある筈が無い。


 だが、彼が禍奏団に関わっているならばそれも容易だろう。


「何せ、死を司ってるものなぁ……一定数造れば補充が必要無い訳だ」


 死ねばもう一度と古いテープを巻き戻す様にしてしまえばいいのだ。彼の力の一端についての書類にはまさしくその様に書かれていた。


「一回……行ってみる? ……行ってみるか」


 ひとつだけ自問を零した彼女だったが次なる行動の判断は早かった。


 暗い触手を虚空に呼び寄せ、目的地へと転移する。目指すのは当然、アモエヌス皇国最奥部。


「よっ、アポ無しは不味かったか?」


「やあ、君がダンタリオンだね。そろそろ来る頃だと思っていたよ」


 今か今かと待ち侘びる様にユリウスは玉座に座したままダンタリオンを見下ろす。そう、転移した先こそがユリウスの待つ謁見の間。


「うーん……どうしてオレが来るのが分かった……とか、下らない前置きはどうでもいい。単刀直入に聞くけど、アンタが滅殺派のリーダー?」


「いきなり他国の皇帝の前に現れておいて、国際問題だろう……などと、無粋な事は言わんさ。私も君に倣わせてもらおう、質問の答えはイエスだ。よくぞ突き止めたものだ」


 意趣返しの後、ユリウスは堂々と名乗りを上げる。世界を揺るがすテロリストのリーダーであるとあっさり認めてしまったのだ。


 ユリウスは静かに目前に奔る確定事項を視線でなぞる。全ては彼の思うがままに運んでいく。


「このまま私が何も提示出来ないのであるならば、君は世界に公表するだろう?」


「そりゃあモロチン。オレを適当吐きまくるドスケベ悪魔だと思うなよ? やることやってるって定評があんだよ」


「私に殺されないとは思わなかったのかな? 天と地程の実力がとは言わないが、我々の間には力関係があるだろう」


「大丈夫だよ、きちんと資料も作って来たからな。戻らなきゃトートが見つけるさ。さあ聞こうか、命乞いってヤツを」


「それは困った。では、君にもメリットのある条件を提示する他無いな。我々を魅了して止まない、境界の魔法使いの件だ」


 境界の魔法使い。その名を耳にした瞬間、ダンタリオンは怪訝に眉根を寄せる。


「力では決して彼に勝てない。例え全世界の力が終結した所で足元にも及ばないだろう。天と地以上の力の差が我々の間にあるのだ。世界の常識を引っ繰り返したい、神格の滅殺を願えば必ず彼が邪魔をするだろう」


 ユリウスは既にザインの性質を理解し始めている。彼は自身の領域を汚した者に対しては必ず報復するという、人間としては至極真っ当な人物だ。


「それも偏に彼がまともであるならの話だ」


「まとも……?」


「簡単な話だ。精神性が人間であるならば、精神を破壊してしまえばいいだけのこと。大切な者達の全てを踏み躙ればいい」


「……それをどうして、オレが協力すると思ったんだ?」


「君も境界の力に執心しているだろう。だからこそ、見たくはないか? 人間性を捨て去って、ただの力と化した彼の姿を。その先に命すら失ったとしても、君にとって悪い話では無い筈だ」


 力で勝てないのならば心を潰せばいい。至極単純、故に人間にとってこれ程効果がある攻撃は無いだろう。どんなに強い人でも心がある限りは人を捨て去れないのだ。善悪の区別なく、目測を見誤らせたならばユリウス達の勝利なのである。


「愛している男を、自分の手で歪めたくはないか?」


「――――良いね、やろうか」


 たったのそれだけの言葉で了承し、ダンタリオンはいとも容易く冥界の傘下へ下る。気まぐれにして欲望に忠実な彼女は夢に見た冒涜を紐解く為にアストナークへ転移する。

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