第78話

「僕はただ、この平穏が無限に続けばいいと思っただけさ。決意も挫折も無いけれど、満足してもらえたかな?」


「ああ……ああ、ありがとう。聞けて良かった」


 今や世界最強の座に君臨している存在の始まりは存外に当たり前の願いから出来上がったのだ。その事実が今は少しだけ嬉しく思う。


「昔のヘレルは随分神様らしかったんだな」


「娯楽に触れる度におかしくなってね……今ではああだ」


「アルー! クッキー無くなっちゃったー! おっ、こんなトコにプリンはっけーん!」


「ばっ!? ま、待ちたまえヘレルっ! それはテレサ産の高級プリンでだな、買うのに五時間も――――」


「むぇー? ナニコレ、そんなに珍しい感じなの?」


 アルの珍しい慌て様とは裏腹に、プリンを平らげながら家から出てくるヘレルはなんて事の無い様な顔でこちらを見つめる。落胆と怒りに満ちた視線を一瞬だけ覗かせるが、すぐに家の中へと抑え込む。


「…………ハァ、僕はザイン君とお話があるから……ヘレルは中で大人しくしてもらえるかな……何を食べても良いから……」


「ヒュイ……ワ、ワカリマシタ……」


 確実にアルの地雷を踏み抜いた事を自覚したヘレルは豆鉄砲を撃たれた様な顔で玄関から中へと引き返す。飼い主に叱られた子犬の背中をその時のヘレルに見た。


「苦労してるな……ご愁傷様……」


「本当に……何時からあんな感じになったのかな……」


 俺は数日間しか共にしていないが、これからヘレルと一生暮らしていくなんて事態に陥ってしまえば精神が崩れ落ちてしまうだろう。


「今までは何処で暮らしていたんだ? ここには十年……アモエヌスが出来てから住んでるのか?」


「神話の時代からずっと放浪していたよ、二人旅さ。皇帝と契約をし、ここに腰を下ろす事になった訳だね」


「旅暮らしか……憧れるな。無限の性質上、無限に生きるって事なのか? 攻撃性能の事は聞いた事があるけれど、副次的な部分だからさ」


「無限に生きるが、成長は止まってしまったらしい。もう少しだけ女性らしい肉体が欲しいと、昔は嘆いたものだ」


 プリンを奪われた衝撃から見事に立ち直り、アルは紅茶を啜る。


「ローエングリン……初代皇帝に頼んでな、星見台こんなものまで作ってもらった次第だ。代償に僕が国を護る……とは言え、未だ襲撃者などいない訳だが」


「軍や騎士団を抱えず、その分のリソースを別の部分に回す。改めて凄い事をするよな、皇帝様は」


 初めて聞いた時は耳を疑ったものだ。現代日本で言うならば警察機関や軍関連の組織が根こそぎ欠けている訳である。それらが必要な状況は何も外敵から襲撃を受けた時だけではない。日々の治安維持から犯罪の抑制、戦うだけが騎士団の仕事では無いのだから。


「実行した手腕もだけど、それで回っている国の方も凄いよ。奇跡みたいなバランス感覚だな」


「建国して十年だからな……未だに必要が無いだけやも知れん。これから必要になれば向こうで勝手に用意するだろう」


 住まう者達の善意に託す様な国是だが、確かにアルの言う通りかもしれない。皇帝様もこれからに必要なルールを取り入れ洗練させて行く事だろう。


「さて……次はザイン君の――――と言いたい所だが、流石に話し過ぎた様だね」


 未だに時間の感覚が曖昧になっている俺はアルが指差す物体に注視する。テーブルの上には木製のシックな時計がポツンと置かれており、星見台を昇り始めた時間から逆算すれば六時間も経ってしまっていた。


「随分長居しちゃったみたいだな……」


「そのようだ、少し待ってもらえるか」


 出来掛けのマフラーをテーブルに置き、アルは家の中から何かの瓶を手にして見せてくれる。おまけと言っては何だが、彼女の腕にはヘレルがしがみ付き駄々をコネながら泣きじゃくり続けている。


「お願いィィっ!! それだけは……それだけはダメだってばぁぁぁぁっ!!」


「ザイン、我々との交流の証にこれを受け取って欲しい」


 茶色い瓶に白のラベルが無造作に貼られており、『絶対に飲んじゃダメ! 飲んだら罰金!』と記されていた。


「これは……酒?」


「ヘレルが出て行く前に買った物らしくてね。お酒には疎いが、中々に美味らしい」


「お願いだからぁぁ……それだけは勘弁してぇ……ウチの宝物なのぉ……!」


「うーん……気持ちは嬉しいけど、未成年だから……酒は飲めないんだよ」


 ハッとした様に表情を改め、僅かに悩んだ末にアルは微笑む。


「ではこうしよう。ザイン君がお酒を飲める歳になったら、一緒に飲もうじゃないか。こうした約束が、人と人とを繋ぐ架け橋だと思うんだ。僕は君の良き友人として、これからも在りたいと思っているよ」


「友人……」


 本来ならば人懐っこくはないであろうアルからの歓迎と親愛の言葉に思わず胸が熱くなる。


 同じ特聖を獲得した友人が出来た。魔法を極め、己の常識を爆発させながらも一定の良識を備えた彼女の存在は既に俺の中で大きな物へと成り始めている。


「また明日にでも訪ねてくるといい。僕は何時でもここに居るから」


「…………ああ。いいね、また明日ってやつ。この歳にして友達は殆どいないから……すごく嬉しいよ。それに約束も……とても珍しいから……」


 酒瓶がテーブルに置かれ、代わりにアルの手が差し出される。涙を止めないヘレルを尻目に、快くその手に応え笑みが零れた。


「交友関係が人を豊かにする。僕はまた、人として成長させられたよ」


「それを言うならこちらこそだ。折角だから、また明日もお邪魔させてもらうよ」

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