第76話
「そうか……ヘレルをここまで……ありがとう」
「は……はい……どういたしまして……」
星見台の頂上に建てられた無限の魔法使いの住居。庭に設置されたテーブルと椅子はやはり質素で、彼女の称号にしては似つかわしくない。
そんな小さな庭で彼女自身が紅茶を注ぎ、木皿に盛られたクッキーを差し出してくれる。
「どうぞ、僕のお気に入りのお茶と、クッキーは自分で焼いてみたんだ。気に入ってくれると嬉しい」
「随分と家庭的なんですね」
薄く白く濁った紅茶は温かい甘さを口いっぱいに広げてくれる。甘さを僅かに抑えたロイヤルミルクティーは非常に飲み易く、後味もすっきりとしている。
こちらも甘さを抑えられており、幾らでも食べていられる。もしかしたら彼女の好みの傾向は僅かな甘みを含んだ物なのかもしれない。
「んんぅ……くぅん……」
「…………」
「ヘレル、正座が乱れているよ。あと五分だけ頑張りたまえ」
俺達が星見台を訪れた瞬間から、アルがクッキーを焼き上げた時点までヘレルは正座させられっぱなしだ。家に戻ってきたというのに捨てられた子犬の様な目と声で主人にねだるが、アルは尽くを打ち落とす。
「あのぉ……ヘレルの事なんですが、少しだけ譲歩してやってくれませんか? 絶対にコイツの所為なんですけど、手心といいますか……」
「うぅ……ザインぅ……」
「まず、敬語は要らないよ、気楽に接してくれたまえ。そしてヘレルの事だが、君からの頼みでも聞けないな。この子は酒に対しての根性がだらしのないうえ、賭け事にも突き進み、向こう見ずな性格なんだ」
「こちらでも把握しています……」
「ザインぅ!?」
「そもそも、君がお酒を止めないのはまだいいんだ。こっちだってどうしようも無いと分かっているからね。だけど、僕の貯金まで崩して賭けをしていただろう。僕が追い出した理由はそこだよ」
おや、俺が聞かされた喧嘩別れの理由にはまだ先があった様だ。油の効いていない歯車を回す様にしてヘレルの顔を覗けばバツの悪そうな顔で視線を逸らす。
「お……覚えていないわねぇ……」
「こちらとしても色々と躾ける様に努力するよ。今回はザインに拾われて良かった」
「それはどうも。ホント……大変なんだな……」
たったの数日でもくたくたになったというのに、こんなのと毎日を共にするなんて考えただけでも吐き気がしてくる。
「……なによその目は、我がダメな子って言いたいの?」
「ヘレルの事は置いておこう。折角君と会えたんだ、話題は尽きないだろう?」
ぶうぶうと文句を垂れ流すヘレルは見事にスルーされ、アルはおもむろに赤い毛玉を取り出す。気で出来た二本の棒針を手に、申し訳なさそうに眉を寄らせる。
「すまない、人と対面して話すのは苦手でね。編みながらでも構わないかな」
「ああ、気にしないで。俺も話すのは得意じゃない」
「ありがとう、では……お言葉に甘えよう」
「五分! 五分経ったわよねっ! やりー、ヘレルちゃん大勝利よー! いじわるアル嬢に打ち勝ったわー! ねぇね、アル! クッキーってまだ残ってるっ!?」
「家の中に残っているよ……あまり散らかしてはいけないからね?」
家の中に残している。後に続いていた言葉を聞き入れぬまま、ヘレルは家の中へ直進し、ドアが吹き飛ばん程の力で飛び込んでいった。
「はは……相変わらずだな。……アルさん……いや、アルは何を作ってるんだ?」
「うん? マフラーだよ、捻りは無いがね。ヘレルが戻ってくるまでに仕上げようと思ったのだけれど……間に合わなかった様だから」
「プレゼントって事か?」
「あんなのでも相方だからね、仲直りの印として……。ふふ、君が聞きたいのはこんな事なのかな?」
少し悪戯っぽく頰を緩ませ視線だけを投げられる。確かにその通りだなと俺の頬も自然と緩む。
俺は、多分アルも、今までずっと互いの存在を認知し続けていた。何処に居ようと、何をしようと、無限という特聖が脳裏にチラつく。
ただなんとなく互いを感じながら、いつの日かこんな風に出会うのだろうと、俺は夢に見ていたのだ。
「何というか……こう、改めてと言われると……思いつかないものだな」
「いいんだ、僕も少し緊張している。ゆっくりと話そうじゃないか」
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