第67話

「妾は酒呑童子じゃ。して……お主らは何と言う?」


「ザイン」


「ヘ、ヘレルで……ございます……」


 酒呑童子、名前だけなら俺でも知っている、日本の鬼の名だ。何を起源にしてこんな迷宮が建ったのかは知らないし、興味も無いが、これは好都合だ。


 彼女が手にしている瓢箪こそが目的の遺物であるに違いない。ならば迷う必要は無く、大太法師を始末した魔法を空間に固定し威嚇する。


「長話をするつもりは無い。単刀直入に言いますが、コレは威嚇です。貴女の瓢箪を頂ければ危害は加えないと約束します」


「くっくっくっ、血気盛んな客人じゃのぉ……」


 俺の背後には無限にも等しい斬撃の嵐が炎を纏って滞空している。しかし酒呑童子は動じず、背後に控えてどよめいている配下の魔物達を手だけで制す。


「どうじゃ……? ここはひとつ、飲み比べで勝負をするというのは」


「提案出来る立場じゃ無いだろ――――」


「えぇっ!? お酒!? お酒が飲めるのねっ!?」


 俺を押し退けヘレルは無警戒に酒呑童子へと近付く。静止の声を掛けようとするが、向こう側も随分ともてなす雰囲気が出来上がっている様で、せっせと大量の酒樽を持ち運んでいる。


 ヘレルの能天気さに呆れ果て、次第に戦意は朽ちていく。酒の話題になってしまっては俺の声が届かないかもしれない。


「貴女の持ってるのが遺物なの? ホ、ホントにお酒が無限に湧いてくるの……!?」


「うむ、これは『水酒瓢箪』と言っての。我が迷宮でも一番の酒が湧く瓢箪なのじゃ」


 酒呑童子は瓢箪を振り、中に入っているであろう酒で水音を鳴らす。心地良くちゃぽんと跳ねながら、ヘレルの脳髄を魅了してみせた。


「おい、涎垂れまくってるぞ……」


「じゅる……気のせいでしょ……」


 口元から零れ落ちる涎を拭いながら言われても説得力が微塵もない。ハンカチを手渡せば自分で拭い始めただけ、まだ理性が残っていたと喜ぶべきか。


「勝負は簡単じゃ、用意された酒をどれだけ飲めるか。いくらでも時間を掛けて良い、とにかく量で白黒が決まるというわけじゃ」


「りょ……量で……ご、ごくり……」


「別に態々飲んでやる必要は無いだろ。力づくで奪えば話が早い――――」


「その勝負――――受けて立つわ!!」


 もう駄目だ。この場に於いて俺の発言権は無い物として扱われるらしい。ヘレルがやると言うのならば、後は彼女の自己責任に任せて見物しておこう。


 貸し切り馬車の日数とアモエヌス皇国までの道のりを逆算しつつ、隅の方で小さく座る。


「さぁさ、張った張った! 挑戦者のお嬢ちゃんに賭ける奴ぁいねえのかい! 今なら一人勝ちだよぉ! ぼろ儲けのチャンスが来ちまってるよぉ!」


「へへ、おりゃあ賭けるぜ。あの嬢ちゃんは持ってる。オレには分かる」


「おいおい……いい加減挑戦者全員に賭ける癖やめとけよ……破産しちまうぜ……?」


「じゃんじゃん料理持って来い! 手の空いてる奴ぁ配膳手伝いなぁ!」


 周囲の魔物達はヘレルと酒呑童子を中心にこぞって騒ぎ出し、お祭りの様相を呈してきた。一体どこから料理が出てくるのかと疑問を抱くが、勝負が始まるという熱気に圧され、何処か遠くへ飛んで行く。


「好きなだけ食うてよいぞ。酒を呑むのじゃから、美味い飯もついてないとのぉ」


「きゃあっ! タダ飯ねっ! いいわね、最高よっ! この世で二番目に好きな言葉だわっ!」


 舞台の熱は最高潮に達しながら、少し離れた俺の場所まで伝わってくる。こういう雰囲気は嫌いじゃないが、馬車の貸し出し期間の事についてで頭がいっぱいだ。


 お願いだから六時間以内には終わって欲しいが、叶うかどうかはあの二人に懸かっている。もしもの場合は引き摺ってでもヘレルを連れ出そうと覚悟を決めて、人混みの方へ視線を向ける。


「それでは、いざ尋常に――――始めぇ!!」


 審判の魔物が旗を振り上げると同時に歓声が上がり、二人は一斉に樽を抱える様にして口へ運ぶ。


「さぁさ始まりました、第何回かの酒呑童子様との飲み比べ対決ぅ! 実況解説は小生、塗壁にお任せくださいぃ!」


「はぁはぁ……! おしゃけぇっ……! 四時間ぶりのおしゃけぇっ! ぐえっ、ぐへへへへへっ!!」


「かかっ、良い飲みっぷりをするのぉ。もしや妾が負かされてしまうかも知れんの」


 ヘレルは必死に、酒呑童子は余裕たっぷりに、互いの酒樽を飲み干したらしく、勢いよく放り投げる。


「つぎっ!」


「もうちょっとキツイのを頼もうかの」


「ここで互いが一樽飲み干したぁっ! さぁさ、勝負はまだ分からないぞぉぅ!」


 今になって思う。せめて早飲み対決ならばもう少し早く終わったのではと。そこだけを提案すれば良かった、何だよ飲み比べって……樽で飲む奴らがアルコール如きで酔えるのか?


 勝負は白熱し、観客と呼ぶべきであろう魔物達も飲み食いが進んでいく。出されている料理も基本は日本料理らしい。


「あの……もし……?」


「ん?」


 俺の横にはいつの間にか黒髪の和服を纏った少女が座っていた。手には笹の葉に乗せられた握り飯が二つ並んでおり、厳かに、少しだけ怯えながら差し出してくる。


「不肖ながら……わっちが握らせていただきました。よろしければ……どうぞ……」


 人が怖いが興味だけはあるのか、少女は退く気も無く、恥ずかしそうに顔だけを伏せる。


 何だか久し振りにまともな女子と関わった気がするな。そうだよな、ダンタリオンやヘレルの所為で麻痺していたが、こういうお淑やかな子も居るんだよな。


「ありがとう、折角だから貰おうかな」


 性質は間違いなく米だ。毒も入っていない。この森林の中には集落でもあるのかと疑問に思ったが、今は少女の善意を受け取るとしよう。


「うん、美味しいよ。塩加減が丁度良いね。おにぎりは塩が一番好きなんだ」


「そ、そうなんですね……! よ、よかったです……!」


 パッと晴れた笑顔が咲き、観客が騒いでいる方の更に隅の方に手を振る。そこには首の無い男と傘に一本足が生えた魔物がこちらへ手を振っている。片方は飛び跳ねて喜びを表現しているが……。


「友達?」


「は、はい。何か差し入れを持って行って上げなさいと……助言をしてくれまして……」


 交友関係まで……この迷宮は他にない社会が形成されているらしい。こうして向き合えば、迷宮というのも中々に興味をそそられる。


「自己紹介がまだだったね。ザインだ、魔法使いをしてる」


「わっちは座敷童子と申します。その……ザインさんは……人間……で、間違いありませんか……?」


 少女、座敷童子の問いに疑問を抱くが、今にして思えばこの空間には俺以外の人間は居ないのだと気づかされる。


「うん、人間に興味があるの?」


「は、はい……! よろしければ……お話を聞かせてくれませんか……?」


 とても慎重で、怖がりと言うよりはお淑やかな座敷童子は興奮した様を見せるが、すぐに自制する。ヘレルに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいほど、彼女は人間が出来ている。


「おぉっとぉ! ここでまさかの逆立ち飲みだぁ! 酒呑童子さまはどう出るんだぁ……!?」


「かっかっかっ、面白い……! ならば妾は腹筋飲みじゃ……! かっかっ、酒が回るわ……!」


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


「…………」


 どうしてあんなので歓声が上がるんだ……確かに凄いけどさ。


「うん……話そうか」


 現実から逃避する様に座敷童子の方へ振り向き、晴れやかな彼女の笑顔に心を癒される。


 女性とはこうあるべきだと説教臭い事を言うつもりは無いが、俺の好みとしては彼女の様にお淑やかな人が良いと言わざるを得ない。何から話始めようかと頭を悩ませながら、改めて彼女の前で座り直す。

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