第60話

「あっ、先生。ここに居たんですね」


「レオナか、どうした? こんな時間に」


 屋敷の屋根に寝そべり魔法書を眺めているとレオナが顔を見せる。


「先生に夜這……一緒に寝ようと思ったら居なかったので……探してましたです……」


 良からぬ言葉が聞こえてきたがきっと俺の気のせいだろう。最近はダンタリオンを相手にすることが多かったから下の話に敏感になり過ぎているな。


 ダンタリオン。奴の名前を思い出してしまえば、同時にドナメキでの出来事も脳裏に垣間見えてしまう。あの日の夜、秘湯であった事実が脳裏に焼き付いて剥がれない。


「……俺は暫くここに居るから、レオナはもう寝てなさい。明日も仕事だろ?」


「それは……そうですけど……先生、最近上の空じゃないですか? 正確に言えば、ダンタリオンと旅行から帰った日から」


「うっ……!」


 今の俺の顔は少しだけ赤く、熱くなってしまっている。月明りに照らされ、レオナにバレてはいけないとそっぽを向く。


「……何か隠してますね」


「な、何でもない……ダンタリオンとは何も無かった……ぞ?」


「何でソコでアイツの名前が出るんですかねぇ……」


「ギクゥ!?」


 人は極限状態の時、こういった古典的な音を喉から鳴らしてしまうのだと実感した。レオナ、なんて勘の良い子なんだ……。


「べ、べべべべ、別にダンタリオンとはなんにも無い! いやぁ、温泉が忘れられなくてさぁ! 今でも思い出しちゃうなぁ!」


「当てましょうか……キスぐらいはしましたね……?」


「――――」


 もしかして、俺の心理は読みやすいのか? ダンタリオンは悪魔だから人心の心得はあるだろうが、レオナにまで筒抜けとなるとどうなっているんだと言いたくなる。プライベートも糞も無いじゃないか。


「い、一応弁明をさせていただくならば……アイツの方から無理矢理……」


「でしょうね……そんなとこだと思ってました」


 記憶が朧気だが、その後にも何度か唇が奪われた気がするが、今は言わないでおこう。


「アイツは後でシバくとして……眠れない程衝撃的だったんですか? その……ダンタリオンとのキスは……」


「た、偶に思い出すぐらいだよ! ちょっと顔を合わせ辛いなってだけで……別に眠れない訳じゃないよ」


 潮らしくなったレオナに対し手に持つ魔法書を見せる。


「最近はずっと自分の研究に没頭していてな。前から特聖について調べてはいたんだけど……本腰を入れてみようと思ってさ」


 レオナには少しだけ難しい内容だったのか、首を傾げながら文字の羅列を目で撫でる。


「ほら、明確な習得条件も分ってないだろ? まずはそこからと思って」


「確かに……そういう記録は何も無いらしいですからね。誰しもが魔法を学んでいたら突然にと言いますし」


 人間が唯一神格に勝っている部分があるならば特聖だろう。属性を極めた先にある『煉獄』の様に幾人も触れる事がある特聖もあれば、『境界』の様な世界を揺るがす唯一性を秘めた特聖もある。


「魔法を極めた者のみが辿り着ける極地……アタシが修める事が出来るでしょうか……」


「これは仮説だけど、魔法の習熟はあまり関係無い様に思えるんだ。そりゃあ魔法は使えた方が習得率も上がるだろうけれど……本質はそこじゃ無いと思う」


 須王達也を見て長年の疑問の霧が晴れたのだ。奴は急速成長の加護を持っていたからこそ、土壇場での特聖再習得という神業をやってのけた。だけど、奴ならば数日もすれば何度でも特聖を手に掴む、言い知れぬ確信が俺の中を駆け巡っていた。


自己同一性アイデンティティの爆発だと俺は思う」


「自己同一性……?」


「例えば、人間が生きて行く上で三大欲求の壁にぶち当たる。食欲、睡眠欲、性欲。これを満たすから人間は人間足りうる」


 レオナは俺の隣でちょこんと正座し、授業を受ける姿勢に移る。


「だけど、それを満たしているだけでは人間という個体に過ぎない。俺には俺の好きや嫌いが、レオナにも、そういう気持ちがあるだろ? そういった自分が何をしたいか。どう在りたいか。特聖はそういった性格やら、思想に強く結びつけられるんだ」


「ええと、つまり……何かをしたいと思えば、叶うという事ですか……?」


「概ね、その通りだ。俺の場合は――――」


 ――――やめておけ。


「まあ、俺はいいや。極端な話、時間を止めたいと狂った様に願えば、時間は止まるんだ。そういった特聖が生まれる」


「むぅ……意外と……楽だったり?」


「そういう訳じゃ無いよ。常識すら塗り潰す程、強く思ったり、願わなくちゃならないからな。レオナだって、重力に逆らおうとなんて思わないだろ?」


「ああ……あぁ……なるほど……」


 合点がいったと頭を掻く。特聖に至る者とはつまりそういう事だ。


「誰がどうとか何がどうとか、関係無いんだよ。世界に自身という常識を押し付けられる奴らが、特聖に至っていく。平たく言えば異常者だ、常識的にズレている」


「……でも、先生は普通……ですよね……?」


「いいや、俺は十分異常者だよ」


 立ち上がり、ズボンに付着した汚れを払う。綺麗な丸に切り取られた月を見上げてから、レオナの方へ振り返る。


「そうだな……こうしようか」


 キョトンとしたレオナへ向けて左手を差し出す。手招きをする様に、一緒に行こうと言わんばかりに、無垢な彼女を極地に誘う。


「レオナが特聖を獲得したら、俺の事を教えてやる。紛れも無い、アンヘル=ザイン=オーバーロードの真実を」


「――――」


 レオナは今、何を思ってくれているだろうか。既に完結している男の何に期待を馳せれば、星空を瞳に落とし込めるんだ。こちらは誇張無しの真実を語らねばならないというのに、ハードルを上げないで欲しいと困った様に笑ってみせる。


「だからレオナ――――お前は強くなれ」

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