第59話

「おーい、飲み物とか買って来たぞー。後、卵だけじゃ味気ないからツマミも少々」


 数十分もすればダンタリオンが歩いてくる。既に温泉を満喫させてもらっている俺は声のした方向に声だけを送る。


「二人とも大丈夫そうだったか?」


「お姉ちゃんが持ってた薬草で弟は眠ったよ。ついでにお姉ちゃんの唇だけは奪ったけど、眠ってるから許されるよな?」


 条件反射が如く、出来上がったばかりの温泉卵を声の方角へ投げつける。投擲補助の魔法を掛ければまさしく必中卵の出来上がりだ。


「うぉっ!? バカバカ、アブネーだろっ!」


「余計な事をするなよ……まったく。俺は先に上がるから、酒でも飲みながらゆっくりして行け」


「えぇっ!? ちょっ、まさかオレ一人で入れって言ってる!? 流石のオレも物申すぞ!?」


「そこの岩陰に居るから、話し相手にはなるって。夜景でも見ながら待ってるよ」


 少しばかり名残惜しいが湯から上がる。湯の方も俺の体に吸いつき、剥がれていく。もう少しだけ浸かっていたいが仕方が無い、旅館に戻った後も温泉はあるのだから我慢しよう。


「うっ!? どうしたザイン……いきなりフルチン見せてくるなんて……オマエらしくない……」


「ああ、悪い。配慮が足りなかったな。すぐに――――」


「へへっ、誘ってんのかよザインー。大胆になっちまってよォ、今すぐダンタリオン様が食べてやるからなァ……!」


 風魔法で体表の水分を一気に飛ばし、岩に掛けてあった浴衣を羽織る。


「そうだよな、ダンタリオンはそういう奴だ。悪いな、誘ったわけじゃ無くて」


 抱き着いてくるダンタリオンを回避して差し入れの袋を掻っ攫う。勢いに任せた彼女はそのまま湯の中に浴衣のまま飛び込む。綺麗に顔面から落ち、盛大な音を鳴らしながらすぐに顔を出し浮かんでくる。


「何でパック酒だよ……もう少し良いの買えたろ……」


「そういう安酒も乙なもんだろーが! 糞、抱かせろっ! いいや抱けっ! 微妙な味の酒をたらふく飲み込んでベロンベロンのまま流れで朝チュンコースを走ろうぜっ!」


「未成年だから飲みませんよ……っと。なんだ、牛乳もあるじゃないか。しかも瓶だし。温泉の何たるかを解っているじゃないか」


「ホントはヨーグルトが良かったんだけどさぁ……あっ、下ネタじゃねえからな?」


「分かってるから……良いから浴衣脱いで入れよ。こっちで乾かしてやるから……」


「ねぇ――――」


 その瞬間、周囲に立ち込めた湯気が何の因果か晴れる。一陣の夜風が空気でも読んだかの様に、俺達二人を月明りで照らす。


「ザインが脱がせてよ」


「ウッ――――」


 濡れた浴衣はダンタリオンの女性らしいボディラインを浮き彫りにし、上気した頬を月光が妖しく飾る。濡れた瞳と濃い紫の髪が合わさり、ダンタリオンの女をこれでもかと引き立てていた。張り付いた浴衣の裾から零れ落ちそうな胸に一瞬だけ焦点が行くが、理性を立て直しそっぽへと視線を飛ばす。


「おっ、興奮した?」


「し、してない……いいから、ほら! 浴衣渡せって! 乾かすから……!」


「嗅ぐなよ?」


「嗅がねえよっ! それに、グラサンで台無しだし……お前を女として意識する事なんて絶対に無い!」


「キヒッ、折角声も作ってみたりしたんだけどなァ。グラサンはアイデンティティだから外せねえなァ」


 何でも無かった様に浴衣を投げ捨て、交換だと言わんばかりにパック酒を投げ渡す。


「サンキュ」


「じゃあ……そっちに居るから……」


 牛乳と温泉卵を持ち、乾かした浴衣を近くの岩へと掛ける。


 俺は逃げる様にして岩陰に隠れ、高鳴る心臓の鼓動を誤魔化す様に牛乳を流し込む。


「んはぁー気持ちいぃぃ……夜景も絶景だなァ……」


「ああ……こっちでも見えてる……」


 湯気を通りくぐもった声に返し、ドナメキの夜景を見下ろす。赤い提灯に窓から漏れ出る光の粒は地上に落ちた星空の様だと溜め息が漏れる。改めて見直したが、やはり一度だけでは堪能出来ないなと実感させられた。


「でさァ……何でさっきは暗ーい顔してたんだ?」


「さっき……?」


「んっ……ぷはァ……ほら、火竜何ちゃらをぶちのめした時だよ。めっちゃ暗かったぞ、ザイン」


「……そんなにか?」


 どうしてコイツは感が良いのかと心の中で愚痴を零し、夜景に瞳を固定する。


「幾ら強いって言ってもドラゴンだぞ? オレ相手に余裕のザインなら勝負にならないって思わなかったのか?」


「別に……境界を使わなかったから……だな……」


「期待外れだったと」


「そこまで言ってないだろ……」


「それでも認めたろ。境界を使わなかったんだから、もう少し戦れると思ったんだ」


 思わず押し黙る。ダンタリオンにこれ以上情報を明け渡すのが歯痒くて、こそばゆくて、少しだけ不貞腐れた真似事をし岩にもたれ掛かる。


「うるさいな……境界さえ使わなければ……俺は何処にでも居る魔法使いだって思うのが……そんなに可笑しいかよ……」


「ハッ、可笑しいに決まってんだろ。特聖に踏み入った奴が更に魔法をドップリ研究してるんだ、神格ですら敵うもんか」


「……そんな……ものなのかな……」


「須王達也を見て麻痺ったか?」


 最早心臓が直結しているんじゃないかと思う程、俺の考えはダンタリオンに筒抜けだった。


「世界中の何処を探してもアレよりも強い奴なんて十人居るかどうかぐらいだ。当然、オレだって勝てねえだろうさ。感情を跳ね上げれば無敵なんて、とんだ無理ゲ―だからな」


「それでも……」


 理解している、ダンタリオンに言われる前から分かっているさ。これは俺の高望みだ。あんな化け物は百年に一人も現れない。障害を跳ね除けて、己という獣を吐き出せる程の狂性と恵まれた加護。その二つが合わさっても、あの程度だったんだ。


「――――寂しいと思っちゃ……駄目か……?」


 全世界最高峰の力を抱えているのは知っている。だからこそ、並び立つ程の存在を期待しては駄目なのか? 俺は世界に対して期待し過ぎなのか? だったら、俺の前に力ある存在を並び立てないで欲しい。そんなだから、態々期待感が生まれてしまうんだから。


「ふん…………」


 ダンタリオンは一度だけ鼻を鳴らし声が止んだ。静かになった秘湯の陰で項垂れるまま夜景を眺める。だったら、イベントなんて俺の前で起きるんじゃ無いと謂れ無き八つ当たりを世界に飛ばす。


「秘技――――ダンタリオンちゃん式バックドローップッ!!!」


「ヌオォォォォォッ!?」


 何時の間にやら側に這い寄っていたダンタリオンにより俺の体は宙に放られ、勢いのまま温泉の表面へと叩き付けられる。肉体強化が僅かでも遅れれば致命傷になっていたかもしれない。


「ぶはっ! お、お前っ! 何のつもりだ馬鹿っ! 危ないだろーがっ!」


「痛ッつー……首痛えェ……あぁ……やっちまった……」


 振り向けば岩の上で全裸のまま首を抱え蹲っているダンタリオンの姿。先程の幻想的な雰囲気は何だったのかとツッコミを入れながら治療の為に手を伸ばす。


「自滅してるじゃねえかっ!」


「はんッ、隙ありッ!!」


 文字通り、隙だらけの俺の胸へと飛び込んできダンタリオン。勢いのまま押し倒され、順当に二人で湯の中に沈む。


「ガボッ――――んむっ!?」


 空気を求めて開けた口を塞いだのはとても柔らかい、ダンタリオンの唇だった。四肢を絡め、胸を押し当て、不足している酸素を肺へと送り込まれる。舌を差し込まれ、歯の裏を舌で撫で付けられる。歯を下ろしてしまわぬ様に気をつけながら、ゆっくりとダンタリオンの体を持ち上げる。


「なんでだよ……」


「すーぐ暗くなるなァ、ザインは。メンヘラの才能あるよ、いやホント」


 秘湯の淵に背中を預け、ザラリとした岩肌の感触と女性の柔肌に挟まれ、混乱する体を鎮めようと落ち着かせる。


「……うるさい」


「一人は寂しいよな……オレも昔は一匹狼だったから、気持ちは何となく分かるよ」


 首に手を回され、先程から離れたのはダンタリオンの唇だけだ。未だに彼女の女性らしい体が俺の中の男をどうしようもなく刺激する。


「力は遠く及ばなくたって……心は何時までも寄り添うから……こんなにもザインにどっぷりなんだって、理解してくれたか?」


 更に腕に力を込められ、男の胸板と女の胸が密着する。激しい心臓の早鐘は脳髄まで揺らし、思考をぼやけさせる。少し酒臭い吐息でさえ、彼女の魅力なんじゃないかと錯覚させられる。


「オレは――――ザインの唯一になりたい。惚れさせてやるから覚悟しろ? 嫌になるぐらい……オレしか見えなくしてやるからな」


「…………うるさい」


 腕の力は緩やかに解け、ダンタリオンは俺の胸板に顔を埋める。縮こまった彼女は非常に可愛らしく甘えている様で、そんな体を思わず抱き締めてしまう。


「お前なんて……嫌いだ」


「ん、嫌いで良いよ。オレはずっと好きだから」


 言い知れぬ感情に支配され、右も左も分らぬままに、ダンタリオンの髪を吐息で撫でる。


 心を占めるこの温もりはきっと嫌いという感情に違いない。俺はダンタリオンが嫌いだ。口を開けば下ネタばかりで下賤な事しか口にしない。その辺の花を毟る程度の感情で人を摘み取れる感性も許し難い。だらしないし、口も悪いし、服装のセンスも悪い。


 頑張った奴にはそれなりの報酬をだなんて似合わない正論を吐くから驚く、そこも嫌いだ。何をまともな事を言っているんだと、混乱してしまうじゃないか。気まぐれで、欲しい時に欲しい言葉を投げるのもやめてくれ。心を見透かされている様で嫌な気分になる。


 だから今は――――嫌いという事にしておこう。

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