第19話

 少しだけ熱くなってきた今日この頃。天気は快晴、ぽかぽかと温かく、草原で昼寝でもしたくなる様な一日だ。


 何時もの様に釣り竿から糸を垂らし、ぼんやりと水面を見つめ続ける。


「おまたせ。昼飯のサンドイッチだぞー」


「あっ、どうも……ありがとうございます」


 先生が隣に座りバスケットに詰まったサンドイッチを見せてくる。ハム、タマゴ、レタスにチーズ。特に珍しい具材は無いが、先生の手作りというだけで胸が高鳴って仕方がない。


「今日は釣れないなー」


「……そーですねー」


 サンドイッチを口へ運ぶ。何時もと変わらない、先生の味だ。先生も再開だと小さく漏らし釣り糸を垂らす。


「ドワイトは無期懲役らしい。俺も詳しくは知らないけどさ、一生を牢屋で過ごす事になるそうだ」


 何気ない日常の中で語られる判決。今となっては最早どうでもいいとさえ言ってしまえる事由なのかもしれない。あれから何日ぐらい経ったのだろう。夢見心地のままに過ごす日常は心地良くて、現実を直視したいと思わない。


「孤児院にあった研究施設は全て回収されたよ。子供達は全て別の孤児院へと移された、今やもぬけの殻だ」


「……そうですか」


「いいのか?」


「いい……とは?」


「レオナが居たからこそ子供達は無事だったんだ。皆に知らせなくてもいいのか? 皆と過ごしたいのなら、そういう風にも出来るんだぞ?」


「いいんです。きっとアタシは、あの子達の事を重荷と感じていましたから……」


 今ならばどんな言葉でも漏れてしまう。どこまでもザインという男に心を許してしまえる。


「分かった。それじゃあ、レオナはこれから何処で暮らす? 俺の家でも構わないし、孤児院に住みたいのならそっちでも構わないぞ?」


「孤児院……? ですが、あそこは」


「俺が買い取ったんだよ。誰も居ない、林の中にある大きな屋敷だけが残された。一人居るんだ、実験台にされたあの子が」


「クリス姉さんが……?」


「そういう名前なのか。今は意識が無くて、屋敷の方で眠っているんだよ。俺も暫くは行ったり来たりするから、殆ど同棲みたいになるかな」


 人生における最底辺の状況でさえ胸がトクンと高鳴ってしまう。嫌悪感と高揚感の鬩ぎ合いの中でも先生は静かに糸を垂らし待ってくれている。


「先生と暮らせるなら……何でもいいです」


「そっか……それじゃあ、一緒に暮らすか」


 彼はいつもと何も変わっていない。心地良くて堪らない、ずっと彼のままで居て欲しい。出来る事なら――――ザインと――――。


「アタシと……一緒でいいんですか?」


「何で?」


 変わらない、この人は。それでもアタシは変えたいという欲望が滲んで仕方がない。


「きっと何も成長しないし……ダラダラと生きますよ? 子供達と遠くへ逃げるっていう目的が無くなったんです。だから、アタシは何も変わらずにこれからも生きると思います。多分――――」


 ――――ザインという男に依存して、生きて行くと思うから。


 何でも吐き出せると思っていたが、まだ羞恥心が残っていたらしい。彼の顔が見えないまま、釣り竿を手元で弄ぶ。


「レオナがそんな風に駄目人間になったって、俺は好きで居続けるぞ? 人間なんだから、ダラけたい時だってあるだろ?」


「そうじゃ……ないんですよ……」


 足を引っ張って、彼を独占してしまう。何処にも行かないでと束縛してしまう。


「辛い時期があったって、きちんと区切りを付けて立ち直らなくたって良いんだ。何となく日常を送る中で、何となく克服して、いつの日か『こんな事もあったなぁ』って振り返る事が出来るさ」


 本当に、何時か心に突き刺さった芽が取り払われるのだろうか。疑問しか湧いてこない、不安が溢れて堪らない。


「……だから、今は泣いてもいいんだぞ」


 ザインが肩を抱いてくれる。近くに寄り添ってくれる。大好きな彼が、こんなに近くに居てくれる。


 頬に暖かい涙が伝う。アタシは悪くない、絶対に。それだけは言い切れるというのに、どうしてこんなにも後味が悪いのかが分からない。それが悔しくて、それでも安心して、息を殺して泣き続ける。


「こういうイベント……というか、事件かな。そういうのが厭で隠居してたんだよ、心が苦しくなるから。ずっと逃げて生き続けていたし、それで良かったとも思ってる。だけど、レオナと出会った事は後悔して無い。本当に大切な人だって言えるよ」


 ――――アタシも大切だ。大好きだ、愛している。


 声を出すと無様な泣き顔を見せてしまうと言葉を飲んだ。もっと強く抱いて欲しいと切なくなるが、今はこの関係を保つ為、理性を保ち甘んじよう。


「泣いた後には笑って欲しい。緩やかな生活を、俺と一緒に送って欲しい」


 そっとを握られ、中指に冷たい何かが嵌められる。指輪だ、翡翠色の宝石が輝く小さな指輪。


「俺がこれからも胸を張って生きる為に――――レオナの笑顔が必要だ」


 ――――ああ駄目だ、この男は本当に馬鹿なのだろう。そんな事をされて、黙って泣いて、その後に笑うなんて事が出来る訳ないだろう。


「ああ――――もうっ!」


「うわっ、ちょっ――――!?」


 無理矢理にでも押し倒し、バランスを崩して川に落ちる。どさくさに紛れ、ザインの唇を無理矢理に奪う。


 少しガサついている。乾燥肌なのだろうか。人生におけるファーストキスだというのに、そんなどうでもいい事を頭で思い浮かべる。


 ザインの熱を確かめる様に体を寄せれば、川に流れる水温など気にもならない。心臓の一番奥が燻り、疼いて仕方がない。


 ジタバタと抵抗し、熱い体を持ち上げられる。視界いっぱいにザインが広がり、呆けた顔で固まり、次第に困り笑いを浮かべ始めた。


 ――――次第に涙は晴れ、笑顔に変わっていく。


「大好きです――――ザイン」

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