第18話

 『魂橋』を手に取りまじまじと見上げる。小さなペンダントの形をしており、装備して願えば様々な肉体を行き来出来る代物である。


 ドワイトは迷う事無くクリスと呼ばれた合成人間の前に立ち、自身がペンダントを下げる。


「待ち侘びたぞ……これは第一歩に過ぎない。ここから始まるのだ、私の神話が」


 目指すのは至高の領域。誰もが到達した事の無い特聖を獲得する事。煉獄などというレプリカでは無く、オリジナルを手にする為に。


 眩い光に包まれて、ドワイトの体は地面に倒れ伏す。同時に合成人間の肉体は輝きを放ち、元々居座っていた人格を押し退けてドワイトが席に座る。


「おお……素晴らしい。これが完璧な肉体か……力が漲る。ふむ……煉獄も問題なく使用出来る……完璧だ」


「貴方ですか……ドワイト・ローレンス」


 不意に、本当に不意にドワイトへと声が掛かる。人の気配も魔力の波動も感じずに、男は孤児院の地下室に現れた。


「……ほう、君か。レオナはお使いをきちんとこなした様だな」


「どうして……こんな事をやったのか……教えて下さい。何で貴方程の人が……?」


 切なそうな瞳と怒りに満ちた表情が鬩ぎ合い、ザインは苦しみながらドワイトを見やる。


「君も知恵のある魔法使いだろう? ならば辿り着きたくは無いのか、至高の領域に」


「至高の……領域?」


「おや? 知らないと? いやいやそんな事は無いだろう、魔法使いならば誰もが目指す特聖の事だよ」


「特聖なら……貴方には煉獄があるでしょう?」


 ドワイトは本当に、心底残念そうに溜息を吐き落胆する。まさか自身が劣等感に苛まれていた相手がこの程度だったのかと。


「それは一段階目だよ。火属性を極めただけで至れるのが『煉獄』。私が目指すのはその先だ」


「……?」


「まだ言わせるのかね? この世で唯一の特聖の事だ。有名所で言えば……そうだな、『無限』はどうかね? 知っているだろう、伝説の魔法使いであり神話に名を連ねた彼女の事を。『無限』だ、そんな特聖は彼女以外に獲得していないだろう?」


「……自分だけのオリジナルが欲しいという事ですか?」


「ようやく話が理解できたかね。まあ、理解した所で君の死は確定している。簡単に死んでくれるなよ? 試運転だからな、それなりの相手を――――」


「特聖は一人につき一つ。発現したのならば変更なんて出来ませんよ」


 冷たい様でいて魔法に対しての確かな熱が灯っているザインの声は確かにドワイトの芯に響いた。


「おいおい、話を遮るな。私は――――」


「それ、他人の体ですよね? とりあえず、戻りましょうか」


 ――――肉体と魂の境界線。




――――


「――――は?」


「様々な文献にも書かれていますし、獲得したならば分かる筈だ。それこそが自身の唯一なのであると」


「なっ……あぁ?」


 何時までも呆けているドワイトを無視して合成して混ぜられた実験体を抱き留める。ローブを脱ぎ、裸のままの人へと掛ける。可哀そうに、男と女を混ぜられて、境界線の上に無理矢理立たされて。


 ドワイトは立ち上がらないまま、何度も胸元の遺物を手に取り確かめている。


「まさか……貴様も……? 貴様も特聖を持っているとでもいうのか?」


 俺としても驚愕を感じずにはいられない。どうして同じ領域に踏み入った人間の事が区別出来ないのか。俺はこんなにも煉獄を感じ取れるというのに。


「そ、そんな馬鹿な……在り得ないだろう……? こ、こんな事はぁ!?」


 ドワイトは胸元の遺物を強く握りしめこちらを睨み付ける。対象の魂を交換するものらしく、躍動を感じ取れる。俺の目の前まで飛んできたドワイトの魂を握り締め、吐き捨てる。


「どうして……その程度なんだ?」


「――――ッ!?」


 自身の肉体に戻り立ち上がる。過去に何度か見た目と同じだ、俺を化け物として捉える視線。


 それと同時に煉獄が発動し、地下室全体は炎によって飲み込まれる。暴力、大自然、順当に最強。そんな言葉が頭を過ぎるが今はそんな言葉に浸っている暇は無い。


「き、貴様が一歩でも動けば上に居る人間諸共吹き飛ばす! ここに在るのは絶対熱だぞッ! 荘厳な太陽すら凌駕した炎の究極、それこそが煉獄なのだっ!」


「そうだよ、それでこそ煉獄だ」


 当たり前に恵まれた力を持っているのに、何を目指すというのだろう。


「だったら俺も説明します。同じ特聖を持っている魔法使いに説明するのは初めてです……」


 最低だな。こんな状況でも、同じ人種が目の前に居る事実に昂ってしまう。


「『境界』。物質、非物質、現象すら問わず対象の境界線を自由に操る事が出来る」


 言ってしまえばこの程度の事だ。言葉にするといかんせん陳腐で解り難くて堪らない。


「境界……? つまりは――――」


「つまりは、地下室と地上にある境界線を遮断する事で上に被害は出ないし、俺への境界線を遮断すれば同じ事になる。さっきやった肉体と魂を引き剥がすのも大体同じ原理ですよ」


「なっ……えっ……はぁ……?」


「境界が貴方の言う唯一の特聖という奴ですか? だから貴方はこういうものを求めると?」


「ずっ――――」


「ず……?」


 唇をうの形にして硬直するドワイトを冷めた視線で見守る。


「…………ずるい」


「あ?」


「ずるい――――ずるいじゃあないかぁっ!! 何だそれは、反則だっ! ふざけるな貴様っ! 何で……そんな力を持ちながら私なんぞを知りたがったっ! 馬鹿にしているのかっ! 無駄に謙虚に見繕って、自分が大した存在で無いように振る舞いおって……そんな特聖を手に入れているのならば、他に何も要らないではないかぁ!」


「――――それは違う」


 こっちだって、落胆の気持ちでいっぱいだ。どうしてこんな事にと嘆かずにはいられない。


「人には人の魔法理論がある。俺には俺の感じ入るものがあり、それは貴方にもあった筈だ。特聖にどうして至ったのか、俺はそこを知りたかった」


 願うならば、お茶でもしながら今までの研究の成果を語り会話に花を咲かせたかったものの、最早叶わない。


「大した事が無いなんて思った事は一度も無いし、オマエ如きが敵になるなんて思ってもいない」


 これは間違いなく俺の本音だ。『境界』なんていう万能の力を手にしておいて、どうしてへりくだれる? 最強なのは目に見えているではないか。


「神も、悪魔も……俺にとっては敵じゃ無い。だって何でも解決できるんだから、世界だって手に入れられるんだから――――」


 ――――敵じゃ無い、敵じゃ無い、敵じゃ無い……けれど、それでも。


――――


 そうだ、俺は本当に孤独になるのが怖い。だから拒絶される前から逃げた。誰にも関わらず、ひっそりと好きな事だけをして生きて行こうと決めた。


「――――」


「大いなる力には大いなる責任が伴う。何処かの誰かが何処かの誰かに言った言葉だ。立派だよな、間違っていない。けれど言われた本人はどう思う? 出来る事だけを、出来るだけやり切れと言われている様で……だからこれは呪いだよ」


 掌を上に翳し、その中に無限にまで分割した境界線の塊を見せつける。


「何でも出来る人間は……何でもやらなくちゃいけなくなる。俺はこの世で発生する全ての悪行を未然に防ぐ事が出来る。加えて敵も居ないとなれば、俺には全ての命を助けるという責任が発生する」


 自然の摂理、太陽系、銀河系、大銀河系、宇宙の果てから並行世界の向こうまで。全てを救えるなら、全てを救えというのか?


「そんなシステムに成り果てたく無かったから……俺はルールを敷いたんだ。大切な人の為だけに魔法を振るおうと――――そしてオマエが踏み込んだ」


 俺という世界の禁忌タブーに触れてしまった人間を、許す訳が無いだろう。


「オマエにはこの国の法律に裁かれてもらう。今までの罪の全てを吐き出し、許しを請うんだ」


「――――ベラベラと……馬鹿か貴様は」


「…………」


「ああいいだろう、連れて行け。貴様の言う法の元へ。私は煉獄の魔法使いだぞ? こいつ等は身寄りの無い塵屑だ。適当な人体実験の罪だけを貰い、五年か十年そこらで出てこられる。それがどうした! ほら連れて行け! 優秀な弁護士を雇って、次は貴様の大切な者とやらに手を出さずに上手くやってやろう!」


「……それで……いいんだな?」


「はん、ならば殺せばいいだろう? 法に頼らず消し去る事など、幾らでも出来るのだろう? ならば……悩むな」


「殺しはしない――――死ぬほど苦しむだけだ」


 ――――人と魔法の境界線を引き裂いて、奴の煉獄を掌に乗せる。ぐつぐつと煮え滾る小さな太陽球。泡立つ様は固めた溶岩の様だと形容せざるを得ない。


「…………なんだ……それは……?」


「オマエが一番解っているだろう? これは――――魔法だ。誰もが心の内に秘める真理であり、誰もが到達するであろう特聖の内の一つだ」


 子供達の今までを奪った男から、当たり前の様に今までの全てを奪い去る。生き甲斐にまで昇華した魔法を取り上げられたドワイトは百面相でも演じている様に表情を変化させている。


「奪われるのは辛いだろう? 命ともなれば尚更だ。オマエはそういう事を子供達にしてきた――――」


「うるさいっ!! 黙れッ!! 黙れェッ!! 私とあんな塵屑共を一緒にするなっ! 煉獄の魔法使いである私の全てと、たかが子供の命程度が釣り合う物かッ!! 返せっ! 返せぇっ! それは私の物だッ!!!」


 最早怒りを超越し、哀れみすらも飛び越えた。ならばいいだろう、人間性すら灰にする地獄へ堕としてくれる。


「……それでいいんだな?」


 ――――善意と悪意の境界線を反転させる。人間性はそのままに、善悪の価値観だけが入れ替わる。


「――――あっ……? あぁっ……!!」


 今まで自分が犯してきた罪を自覚し、罪悪感に苛まれながらの人生。自分がどうしようもない塵屑なのだと自覚して、それでも罪を償わなくてはと心に刻まれる。永遠に懺悔し続けながら牢獄で暮らす事になるだろう。


「ああああああああああああああああああああああぁぁッ!!?? うあっ、ああっ!? あああああああああああッ!? 私はァッ、何て……何て事を……!!!」


 いとも簡単に、ドワイトという男は崩壊した。だから何だと吐き捨ててしまえる自分も居れば、何て事をと嘆く自分も居る。


 ――――境界の魔法使いとはそういうものだ。何時も確かなる答えを追い求めて、綱渡りの様に境界線の上をひた歩く。


「罪を償え、ドワイト・ローレンス。それがお前のだ」


 こんなイベント、俺の前からすぐに消え去れ。平坦な物語の中を、誰も傷付かない未来を、俺は求めている。


 つまらなくても、陳腐でもいいじゃないか。その中にある幸せこそを噛み締めたいのだから。打ちのめされる程の絶望が、人を強くする訳じゃないんだから。

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