群生地


 一夜明け、地平線から太陽が顔を出す頃。

 ジュチら一行は既に支度を済ませ、それぞれの乗騎に跨り、地を空を進んでいた。

 昨日かなり酷使した駿馬達も一晩ゆっくりと休ませたお陰か、再び力強い疾走を見せていた。

 空を翔ける飛竜が先導し、少し遅れて駿馬達が続く。

 一行は残る道程を着々と消化していき…。

 そして太陽が中天に届く少し前。


「ここが《精霊の山マナスル》の麓…。俺たちの目的地か」

「うん。そして高貴の白アーデルヴァイスの群生地」


 誰一人欠けることなく、力を落とすことなく、《精霊の山》へたどり着いた。

 麓から仰ぎ見ればその威容はますます大きく、偉大に見えた。天を衝く山頂には雲がかかり、山体の全てを眺めることは叶わない。一定以上の高さより上は万年雪が積もり、白銀に輝いていた。


「こいつらはここまでだな」

「空から見れば如何な駿馬と言えど良い的だろうからな」


 駿馬達は近くの木立に繋ぎ、大王鷲の目に留まらないよう隠す。どれほどご利益があるかは分からないが、何もしないよりもずっといいだろう。

 優しく駿馬達に声をかけ、宥めながら隠し終えると一行は大王鷲ガルダを警戒してかなり離れた位置から件の霊草の群生地を眺めた。


「あれが噂の霊草か…。聞いてた通り、真っ白だな」


 ジュチは山と草原の民が持つ飛び抜けた視力で、遠く離れた位置からでもそのはっきりとした純白を捉えていた。

 視界を占めるのは大霊山、《精霊の山》の一角。霊草、永遠のムンフ・ツェツェクの群生地。

 ほとんど垂直の角度で高くそびえ立つ断崖絶壁に彼らが目的とする純白の花弁を輝かせる霊草はあった。

 人間には到底登り詰められそうにない暗い色合いをした断崖絶壁。そのそこかしこに健気に白い花弁が咲き誇っている。

 狙い目は断崖絶壁から張り出した岩棚だろうか。多少面積が確保されている分、複数の花弁が集まっている割合が多いように見受けられる。


「さて、問題の大王鷲は…」

「もしかしてあれが巣かな?」

「どれだ?」

「あそこ。あの大きい岩棚のところ」


 言葉を交わしながら岩壁の各所を視線でなぞる。

 岩壁の一角、特に大きく張り出した岩棚の端から木枝や泥で出来たかなり大きな構造物の一部がせり出しているのが目に入った。

 しばらくの間そこを注視するも、噂に聞く巨体の陰すら視界に入らない。


大王鷲ガルダは出かけているのかな。姿が見えないけど…」

「多分そうだと思う。近くに精霊が大きく動く気配は無いから」

「なら」

「うん」


 と、視線を交わし意見を一致するのを確認すると、阿吽の呼吸で頷き合う。


「今が好機だ。やっちまおう」

「賛成。アゼルさんもいいですよね」


 これから挑むのは一つ間違えればあっさりと命を落とす大難事。だが少年と少女は迷うことなく決断した。一線を越えたこの二人は幼さに見合わぬ度胸の持ち主となっていた。

 他方、同意を求める視線を向けられたアゼルは、応えるように頷きを返し。


「やろう。しかし段取りはどうする?」

「俺とエウェルが霊草採取。フィーネとスレンは…」

「私たちは巫術で身を隠しながら周囲を警戒する役で。ギリギリまで大王鷲に気付かれたくないから、出来るだけ刺激しないように隠れようと思うの」

「承知した。俺は出来るだけ近くで身を隠し、いざという時に大王鷲の気を引くとしよう。尤もただ人の身でどこまで叶うかは分からんが…」


 アゼルは部族でも指折りの弓取りだ。弓矢が届く位置にある獲物を逃すことがほぼ無いとびきりの腕利きである。

 それでも飛竜すら凌ぐという噂の大魔獣に対してどこまで効果があるかは怪しいところだった。そういう意味ではアゼルもまたその身にかかる危険度はジュチとそう大差はない。


「それじゃあ、二人とも頼む」

「承知した」

「うん、頑張ってね」


 三人がそれぞれの顔を見合わせ、頷く。

 一行が越えなければならない最大の試練がいま始まろうとしていた。


 ◇


 ジュチとエウェルとともに歩を進めたアゼルは、断崖絶壁に最も近い大岩が幾つも並ぶ辺りで足を止めた。ここの大岩ならば十分に人間が身を隠せるだろう。いざという時の援護のため、身を潜めるには悪くない場所だ。


「すまんが、俺はここまでだ。いざという時は出来る限り速く駆けつけるが、間に合わずとも恨むなよ」

「まさか。ここまで付き合わせて悪いと思ってるくらいさ」

「阿呆。お前の任ではなく、任だ。俺もお前も等しく命を懸けることに何で遠慮が要るものか」


 うっかり漏らした失言に軽く頭を小突かれ、なるほど確かにと思わず苦笑する。

 ジュチの意図せぬ思い上がりを戒め、背負う責任を半分に分け、お前一人ではないと力づける。アゼルらしい、気遣いはあれど湿っぽくは無い、何とも気持ちのいい励ましだった。

 この旅路の中、良い兄貴分を持てたことはジュチにとって素直に誇れる財産であった。


「ありがとな、アゼル。……行って来る」

「ああ、そして戻ってこい」


 おう、とジュチは手を挙げて答えた。そのままエウェルを急かし、早足で歩を進める。

 最早ジュチの傍にいるのは相棒のエウェルだけ。頼りになりそうなフィーネとスレンは遠方で周囲を警戒しながら身を潜めている。

 フィーネだけでなく、大王鷲ら《魔獣》もまた精霊の動きに敏感なため、少しでも刺激するのを避けるためだった。巣の近くに他の強力な《魔獣》がいるという状況は、大王鷲が荒れ狂うに十分な刺激だ。荒ぶる《魔獣》の怒りはその余波だけでジュチとエウェルを殺すに余りある。


「あれが霊草、永遠の花ムンフ・ツェツェクか…」


 人間の足で断崖絶壁に近づけるギリギリの距離まで進み、上方を見上げる。首が痛くなりそうな高さの岩棚に、真っ白な美しい花弁が顔を覗かせていた。

 断崖絶壁の険しさを角度で言えばどこも60度は超えている。厳密な垂直ではないが、視覚的には聳え立つ壁と言って差し支えあるまい。

 そして比較的低い場所に生えている霊草でも、ジュチを軽く十人以上垂直に並べた以上の高さにありそうだ。


「さぁて、ここからはお前が頼りだぜ。相棒」

「メエエェ…」


 鞍と手綱を付け、エウェルに声をかけるといつも通りののんびりとした鳴き声が返される。

 いつもどおりの相棒の様子が少しだけ心強かった。


「落ちれば死ぬな。まあいつものことだけど」


 実のところの岩壁ならエウェルの力があればさして問題ではない。山羊エウェルの蹄を引っかける出っ張りや隙間が無数にあるし、頑強な岩盤は体重をかけても小動ぎもしないだろう。

 これがひっかける凹凸のない一枚岩だったら流石にお手上げだったろうが、断崖絶壁それそのものは慎重に挑めばエウェルとジュチであれば踏破可能な障害だ。


「問題は大王鷲…」


 長引いて大王鷲が帰ってきたら恐らく死ぬ。

 下手に急いで断崖絶壁から滑落しても死ぬ。

 活路は大王鷲が戻って来る前に全てを恙なく終わらせるのみ。


「クソみたいな賭けだが、賭けられるだけ上等だな」


 若者らしい調子のいい発言というより単なる事実としての言葉が漏れる。全く持って言葉通りの状況なのだ。


「力を貸してくれよ、エウェル。今回は本当にお前だけが頼りなんだ」


 と、切実な願いを込めた相棒への呼びかけに。


「メー」


 当の相棒は変わらない調子である。思わず苦笑が一つ、漏れる。

 全く悲壮な決意を固める己がアホらしくなってくるようだった。だがきっとそれくらいがちょうどいい、とジュチは思った。

 元より悲壮な決意を固め、肩肘を張って死線に挑むなど騎馬の民の流儀ではないのだ。どれほどの困難、向かい風だろうと恬淡と笑って挑むべし。破れたならば潔く受け入れ、ともがらに後を託せばいい。

 乾いた死生観といさおしを尊ぶ騎馬民族の気風はジュチの中にも根付いている。その気風に従い、ジュチは精々不敵に見えるように笑みを作り、エウェルに跨る。相棒に一声かけると心得たようにトン、と断崖絶壁に出来た小さな出っ張りに第一歩を乗せる。そのままエウェルは気負いなく少年を乗せたまま、絶壁を踏破する足を踏み出したのだった。

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