マヌグレス
正体不明の火蜥蜴。
このナマモノはこれまでの旅路でももちろん憑き物よろしく、常にジュチの傍に潜んでいた。
が、ジュチやアゼルが苦しんだ旅路も火蜥蜴には何の痛痒も感じなかったようで、いつもうつらうつら舟をこいでいたり、たまに火吹き芸をしては遊んでいた。
そんな珍獣に構っている余裕はなく、面倒だったので半ば放置していたのだった。正直な話、この奇怪だが無害な珍生物は最早ジュチの日常風景の一部と化しており、この時たまたま思い出さなければこの先もずっと放置していただろう。
「クアアァ…!」
久しぶりに自身に構ったと思えば、そのぞんざいな扱いに抗議するように火蜥蜴は鳴いた。
だがその鳴き声は巫術師であるモージにすら届くことは無かった。故に当然フィーネはともかくアゼルが聞き届けることは出来ない。
「……分からん。なんの話をしているのだ、ジュチ?」
と、ジュチが突き出した何も持たない手を見て疑問を問いかけるアゼル。部族の男達で見慣れた反応であったので敢えて流し、フィーネを真っ直ぐに見つめた。
対し、両界の神子たる少女はジッと真剣な顔つきで突き出したジュチの手先に視線を送ると。
「……
「間抜け面した火吹き蜥蜴が一匹。おまけに小さな羽が付いてる。ちょっとだけスレンに似てるな」
「…………」
軽く返されたジュチの返答に沈黙を以て返す。
フィーネですらジュチの語る火蜥蜴は見えていない。だがこれをただの戯言と流さないのは、フィーネの中で心当たりがあるからだった。
過日、フィーネがジュチと結んだ《血盟》こそがそれだ。
かつての仕儀でジュチが得た精霊の加護。フィーネの見立てではジュチは普通と比べて精霊の影響を殊更に受け易い特異体質へと変貌している。ある意味、精霊と親しい闇エルフに近づいたとも言える。
(精霊…? でも生き物の形を取るほどに強い力を持った精霊を私が見えないはずが…)
モージはかつて精霊の姿を幽世に輝く無数の鬼火の如くと語った。
それは決して間違いではないが、事実の全てではない。
地、水、火、風。
属性を同じくする精霊達が、彼らの好む聖地や御神体、霊媒を依代に群れ集い、一つの存在へ昇華する事例がある。
斯くの如く群れ集った精霊群は時に獣の形を取るという。
即ち、
「その火蜥蜴くんとはどこで、どんな風に出会ったの?」
「……あー、前にスレンに襲われた後。目を覚ました時にはもういた。それからずっと憑りつかれてる。最初はもっと小さくて羽も無かったんだけど、あの時、スレンに
「そ、そうなんだ…」
今となっては良き関係を結べているものの、出会いのきっかけとなった出来事自体は両者にとってなんとも気まずく口にし辛い形であったため、若干言葉が鈍くなった。
「スレン、貴方は何か知っているの?」
『グ、ルル…ガアアァッ…』
スレンとの関わりから傍らで羽を休める飛竜へ言葉を向けると、一応は話を聞いていたのか何とも不明瞭な唸り声を返された。
騎手であり、優れた巫術師であるフィーネにしか分からないその唸り声は、こう言っていた。
「スレンの、眷属…? だからスレンには視えたんだ。生まれたてで弱っちいから尻尾の殻を剥がすのを手伝ってやったって…スレン? もしかして知ってたのに私に黙ってたの?」
『グラァ』
「そんなこと言われても知らん? なんでスレンはそんな風に大雑把なの!?」
スレンの雑な返答に憤慨するフィーネ。
なおジュチはフィーネの憤慨する言葉を聞いて似た者主従だなと呑気な感想を覚えていた。
「もう! いいから知ってることを話して!」
『ガァ』
「……何も知らないなんて言われて通ると思う?」
『ガゥ、グルル…』
「生まれたばかりの精霊獣。それ以上は分からない、か…」
傍から見ていればひとり芝居のように見えるやり取りを終え、沈思黙考するフィーネ。
それは精霊と親しい闇エルフ達にとっても出会うことすら稀な存在である。通常の精霊とは一線を画す霊威の持ち主であり、特定の土地に根付くことが多い彼らは時に住民から神と崇められることすらある。
年中谷風が吹き荒れる大峡谷にはイヌワシを
彼らは気紛れに霊威を振るい、恵みと災禍を振りまくという。一つ言えることは精霊獣とは世の巫術師であれば決して無視できない強大な存在であるということだ。
(なら、ジュチくんは数百年ぶりに現れた
精霊獣は土地や御神体に憑くことが多いが、極稀に人やその血筋に憑くことがある。当人の気質や霊媒としての資質を見込んだ精霊獣がその力を憑依者に貸し与えるのだ。
彼らは精霊憑きと呼ばれ、普通の巫術師とは一線を画す奇跡を地上に顕現させる。その規模や事象は精霊の属性にも左右されるが、両界の神子たるフィーネに近い。
はっきり言ってしまえば個人でありながら国家間の勢力争いに影響を与えるほどの超越者だ。
精霊由来の超常的な異能を振るう彼らは国家の要人として活躍したり、自らを頂点とする新たな組織を立ち上げることが多い。
現実の事象として力を振るう巫術が存在するこの世界において、その根幹である精霊を崇める宗教は教義や地域の東西を問わず広く存在する。
そうした精霊を神と崇める者達にとって精霊憑きとは文字通りの意味で王権神授説の体現者であるのだ。さらに精霊獣が個人ではなくその血筋に憑けば、神聖不可避な神秘性を持った王朝が出来上がる。そうした事例、過去の歴史を遡ればそれなりの数が見つけられる。
(うん、
と、脳裏で密かな皮算用を始めるフィーネ。
ジュチと結ばれるためにあらゆる障害を粉砕する心積もりを既に固めていたが、やはりその障害は少ないほどいい。
であれば今回の知らせはフィーネにとって慶事であり、同時にこの地方に存在する勢力間の均衡を激変させるきっかけとなりうる火種であった。
(でもちょっと羨ましいかも。私の場合、精霊獣は
なおフィーネに関しては極めて特殊な例外である。精霊群が精霊獣と化すには群れ集う精霊の属性が一定以上偏る必要があるのだが、フィーネの場合あらゆる属性の莫大な数の精霊が集まり飽和して、結果としてどの属性にも偏らないという異常な状態となっていた。
「……フィーネ? どうなんだ? 考えは纏まったか」
「あ、うん。大丈夫だよ」
長く続いた沈黙に焦れたのか、ジュチから声をかけられる。その呼びかけに頭の中で進められていた皮算用を止め、ジュチを安心させるために笑顔を返した。
「多分ね、その子はジュチくんに憑りついた精霊だと思う。キチンと意思を交わして、正しい手順を踏めばジュチくんもその子の力を借りて巫術師になれるよ」
もっと言えば国家間の勢力均衡を揺るがす程の超越者と成り得る可能性も十分あったが、敢えてそこまでは口にしない。信憑性が薄いし、いきなりそんなことを言われてもジュチも困惑するだろう。
「へー、こいつが。……見えねー。俺とスレンにしか見えないのを除けばただのデカい火吹き蜥蜴だぜ」
「あはは、生まれたばかりみたいだから。それに色々あってまだ上手く力を使えないんだと思う」
と、自身の推測を述べるフィーネ。
(キッカケは
こう見えてフィーネは精霊に親しき闇エルフの王女。受けた教育は巫術においてこの世界の最先端と言っていい。その知識と両界の神子としての見識が現状から推測を立て、頭の中で整理されていた。
もちろんその全ては語らない。巫術の知識が皆無に近いジュチに何かしら話してもかえって逆効果になると考えてのことだ。
「そんなもんか。ところでこいつとの付き合い方ってどうすればいいんだ?」
「うーん、そうだね…」
そう問われ、返答に迷うフィーネ。
精霊との付き合いには色々と危険も多いのだ。
「今は色々と立て込んでるから、あんまり迂闊に触れない方が良いんだけど。ひと段落して落ち着いたら…」
熟練の巫術師であっても精霊との付き合い方を間違えれば、《妖精のうたたね》に罹ったアウラのように精神を精霊界に連れていかれる危険性がある。
フィーネの推測では精霊憑きにも同種の危険性が、普通の巫術師以上の大きさで潜んでいるはずだ。
「名前を…うん、名前を付けてあげればいいと思う」
ポツリ、とそう呟く。
それは妖精王女の見識が導き出した簡にして要を得た、端的な答えであった。
「名前?」
「うん、多分その子に名前を付ければ今よりもずっと確かに
「そっか。こいつの名前、か…」
そう呟くと右手に摘まんだ火蜥蜴へと視線を向ける。そこには手の中でキュルキュル、クゥクゥと不服そうに鳴き声を上げる見慣れた珍獣の姿が在った。なんとなく尻尾に灯った小さな火が目に付く。
「お前に名前を付けるなら何がいい? って言っても分からないか?」
「キュウゥ…!」
いいからさっさとこの手を放せと抗議の声を上げる火蜥蜴。
「悪い、悪い。まあ許せよ」
と、一応は謝罪の声をかけていつもの定位置である自身の右肩に戻す。ようやく慣れた位置に戻った火蜥蜴はよくもやってくれたなと燃えない火の点いた尻尾でぺしぺしとジュチの横っ面をはたいた。
「ちょっ、やめ、やめろ馬鹿っ」
「キュケケケーッ!」
火蜥蜴の尻尾に灯る火は現実に影響を及ぼさない。それを知るジュチではあったが、髪や目の近くに燃える火がぶつけられるというのは分かっていても心臓に悪い。
そうと知ってか底意地の悪い鳴き声を上げながら横っ面をはたくのを止めようとしない火蜥蜴。何とは言わないが、こっちはこっちで似た者同士であった。
「てめ、この…、この野郎! そっちがその気ならこっちもなー」
傍から見ていればフィーネとスレンのやり取り以上におかしな一人芝居である。唯一両者を視ることの出来るスレンもとっくの昔に無視を決め込んでいた。
生暖かい視線を向けられながら、火蜥蜴の相手をしているジュチは何か思いついたのか同じくらい底意地が悪そうな顔を作り。
「お前なんかガルだ、
そう即興で思いついたのであろう、明らかに適当な名付けを行った。
恐らくは尻尾に灯った小さな火を由来としたのだろうが、ちょっとした嫌がらせとしてはあまりに軽率な行動であった。
「あっ…!?」
と、切迫感の籠った叫びを上げるのはフィーネである。
精霊獣の霊威と見かけの威厳は比例しない。極端な話、無害で小さな草食獣の姿をした精霊獣が地を揺るがすほどの霊威を持つことすらある。
怒らせた精霊獣へ名付けという秘めた力を暴発させるきっかけを与えるのは、控えめに言っても愚かしいと言う他は無い。
が、幸いと言うべきか。
「キュ…、キュウ? キュケーッ!」
火蜥蜴は与えられた名に対し、やだねとばかりに火の点いた尻尾を振り回して拒絶の意を示した。この小さな生まれたばかりの精霊獣は、己が憑いた宿主からの名を拒否したのだ。
「なんだよ。もうちょっとまともな名前を寄越せって? ……まあ、
「キュー…」
ジュチの宥める言葉に火蜥蜴は仕方ないな、という風にぺしんと一回だけ尻尾で肩の辺りを叩く。そのまま大人しく肩の上で丸くなったのだった。
と、両者を見ることが出来ればなんとも気安いやり取りに見えただろう。
だが一見気安いやり取りの内実の危うさを知るからこそ、声をかける少女がいた。いま少年は怒りに駆られた精霊獣に焼き殺される危険性がそれなりにあったのだ。
「……ジュチくん?」
見かけは嫋やかな美しい少女ながら、身に纏う雰囲気は激烈な怒りを宿したモージに近かった。
(やっべ…)
具体的にどこがマズイとは理解できずとも、迫る身の危険だけははっきりと分かる。
ジュチは反射的に腰を浮かして逃げ出そうと試みるも、恐ろしく自然な身動きで近寄ったフィーネにそっと動き出しを封じられる。
「ちょっとこれから精霊との付き合い方について
何故話をするだけで痛くするとかしないとかに話が及ぶのか。
思わず疑問を覚えたジュチだが、眼前の少女は迂闊に何かを言い出せるような雰囲気ではない。
「うんうん、ジュチくんは精霊についてあんまり知らないもんね。大丈夫だよ、私が
生来奔放だがある一面では非常に生真面目かつ熱心なのがフィーネという少女である。
優しげな笑顔での申し出だが、彼女の言う
(これは将来尻に敷かれそうだな…)
と、その微笑ましいと言えなくもないその光景を見たアゼルは沈黙を守る。ただ胸の内では隠さずただ思ったままの感想を漏らすのだった。
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