一方その頃③


 かくしてフィーネはジュチの苦境を知った。

 だからと言って何が出来る訳でもないが、ただ心の内に何かできることは無いのかと焦りと無力感にも似た感情が降り積もっていく。

 その反動のように、寝台でゴロゴロと横になってジュチを覗き見る時間が大きく増えた。

 傍から見れば自堕落を極めているか不貞腐れている様にしか見えないフィーネ。

 その姿に王家に仕える侍女たちは多かれ少なかれ苦言を呈したが、どこ吹く風と聞き流す。

 これまでの「良い子」のフィーネらしくない振る舞いに、侍女たちは眉をしかめつつも困惑するしかない。

 良かれ悪しかれフィーネの内心でジュチが占める割合が増えつつある証左だった。


「むむ…」


 そんなある日、転機が訪れる。


「ジュチくんが、《天樹の国ここ》に来る…?」


 人知れず呟く。

 風精を通じて確認したジュチらの動向からの推測だが、まず間違いないだろう。

 もっと正確にジュチ達の言葉や仕草を拾えればいいのだが、巫術と言えども万能ではない。

 遠方になるほど風精との同調は頻繁に切れ、視覚や聴覚の情報がキレギレとなることも多い。

 というよりも《天樹の国》からジュチ達カザル族の宿営地という遠方まで風精の同調を繋げるのは本来無理難題と言っていい絶技。

 そしてそんな絶技を可能にするのは世界広しと言えど両界の神子であるフィーネくらいなのだった。

 尤も肝心要の使い道に関してはひたすらにしょうもない、宝の持ち腐れとしか言えなかったが。

 とはいえそんな常識的なツッコミを出来る者は周囲におらず、フィーネはただその事実と向かい合う。


「私に、何が出来るんだろう…?」


 ジュチが《天樹の国》に来る。

 もちろん物見遊山で来るはずがない。

 部族の窮状を救うため、なにがしかの目的を持っての来訪のはずだ。


(助けてあげなきゃ!)


 というのが真っ先にフィーネの胸中で湧き上がった素直な気持ちだった。


(でもどうしよう…?)


 というのが次いで思い至った現実である。

 知っての通り、フィーネは無期限で謹慎中。

 当然自由に動くことなど出来るはずもない。

 仮にガンダールヴ王に願い出てもその理由を問い質されるだろう。

 その時、果たしてどう答えれば父を説得できるかフィーネには分からない。

 ただ馬鹿正直に答えてはきっと上手くいかないだろうという直感はきっちり働いていた。


「どうしよう…」


 何かをしてあげたいのにそれを許されていないという二律背反がまたしてもフィーネの中で困惑と負荷となってとぐろを巻いた。


「むむむ…」


 ゴロンと横たわった体勢から起き上がり、寝台の上で腕を組みながら眉を寄せたフィーネ。

 悩む。

 が、答えは出ない。

 フィーネは王女として一流の教育を受けてはいる。しかし所詮それは知識に過ぎない。

 年齢相応の経験知しかあくまで持たず、「良い子」であれとの呪縛が彼女を縛り付けている。

 これで妙案を出して動き出せという方が無理だ。

 普段ならば終わらない自問自答を続けただろう。

 だが今日は違った。

 外からフィーネの窮状に転機を与えられる人物が訪れたのだ。


「久しぶりね、フィーネ。会いたかったわ」


 フィーネの私室へ足を踏み入れた来客が来訪に驚きを示すフィーネへ軽やかに挨拶を放る。

 来訪者はクスクスと、いつもにこやかな笑顔を絶やさない美貌の王妃リーヴァだった。


「お母様…? どうしてここに」

「あら、母が娘に会いに来ることがそんなにおかしいかしら?」


 と、からかうように言葉を放るリーヴァ。

 歓迎されてないなんて悲しいわ、とわざとらしく目じりに指を添えて泣き真似をする母に困ったように笑うフィーネ。

 フィーネにとってリーヴァはもちろん愛すべき家族である。

 だがリーヴァは母になっても悪戯心を忘れない少女のような一面の持ち主でもあった。

 割と頻繁にささやかな悪戯や言葉遊びを仕掛けてくるし、年に一度くらいガンダールヴ王が血相を変える洒落にならない真似を仕出かしたりもする。

 それでも王宮内でリーヴァを悪く言う者が少ないのはその人徳(?)故だろうか。


「う、ううん…。おかしくない、…のかな?」


 普段ならば母の言う通りおかしくはないのだが、一応フィーネは謹慎中の身。

 生真面目な父ならば母へ頻繁に顔を出すのは体面上好ましくないと釘を刺しているだろう。

 そう思い至ったが故の困惑だった。

 そんな娘の困惑を見て取ったリーヴァはクスクスと笑い、


「貴女付きの侍女たちがね、最近の貴女の振る舞いを私の耳にまで届けに来たのよ。だから今日は貴方の様子を見たり、お話を聞こうと思ったの」


 と、裏事情をあっさり暴露する。

 やや咎める調子での言葉に、思い至る節のあるフィーネは自然と緊張で身体を強張らせた。

 流石にここ数日の寝台に横たわったままろくに動かない振る舞いが周囲の目にどう映るか思い至らないほど鈍感ではない。

 ただ周囲の視線よりもジュチの動向の方がはるかに優先順位が高かっただけだ。


(うんうん、フィーネは本当に素直ね。可愛い、可愛い私のフィーネ。ちょっと騙されやすいのが珠に瑕だけど…)


 リーヴァの言葉に納得を示し、頷いたフィーネ。

 後ろめたい隠し事があるためか、リーヴァが拍子抜けするほど素直に納得した様子だった。

 素直で可愛い愛娘に慈母のようでいて、若干の心配と悪戯心の混ざった視線を向ける。

 今の言葉に嘘は無いが、意図的に話さなかった部分もある。

 

 何かが起こる、あるいは何かが変わる。

 今日一日、どう動くかで恐らくは何某かの転機が訪れるだろう。

 そう天眼テンヌドが、リーヴァの持つ類稀な直感にも似た霊感が天啓を示したのだ。

 そして丁度フィーネ付きの侍女たちから件の報告を耳にしてこれだ、と直感した。

 だからこそ時間を作り、重い腰を上げてフィーネの私室まで足を運んだのだった。


「何か悩み事があるようね、フィーネ。察するに、貴方のお友達のことかしら?」

「!?」


 半ば当てずっぽうでのカマかけだったのだが、素直なフィーネは「なんで分かったの!?」と分かりやすく顔に出た。

 その素直過ぎる様子がおかしくて堪え切れずクスクスとした笑いが漏れる。


嗚呼ああ、本当に可愛いこと…)

 

 リーヴァは偽りなくフィーネを愛していた。

 もしフィーネを傷つける者がいれば、決してその存在を許すことは無いだろう。

 それはそれとして、愛娘の恋路 (と言うには当事者達は幼かったが)はリーヴァにとって大いに興味を惹かれる事柄だった。

 母として、そして野次馬根性を発揮した一人の女として。


「母に話してみなさい。大丈夫、きっと悪いようにはしないわ」


 そういわれて、フィーネはしばしの間迷った。

 誰にも話していない隠し事、果たして打ち明けるべきかと。


(でもお母様なら…)


 フィーネも良く知る通り、母リーヴァはいささか以上に型破りな性格の持ち主。

 そして天眼の素養も合わさって、ガンダールヴ王に降りかかった大小様々な苦境を打破する一助になったと聞く。

 もしかしたら己を縛る苦境も快刀乱麻に断ち切ってくれるかもしれない。


「あのね、お母様…」


 少しだけ迷った後、フィーネは期待と恐れの両方を抱きながら自らの胸中を母に打ち明けるのだった。


 ◇


「なるほど。そういうことだったのね…」


 一通りの事情を娘から聞き出したリーヴァは深く頷いた。

 そして母に事情を打ち明け、少しだけ心が軽くなったフィーネ。

 だがその心はやはりまだ迷いに揺れ口から零れる言葉は不安そうなものとなる。


「私、どうすればいいのかな? ジュチくんは友達だもん。困っているジュチくんを助けてあげたい。でも私は「良い子」だから、「良い子」じゃないといけないから、ジュチくんを助けられないの…」

「落ち着きなさい、フィーネ。本当に貴女が望む道は無いのかしら? 母と一緒によく考えてみましょう?」


 穏やかな声音でフィーネを落ち着かせながらも、リーヴァの心は半ば以上決まっていた。


(この子はいま、自由にさせるべき…。そのためにも、私の力を存分に振るいましょう。ええ、この子を縛る本当の鎖を引き千切るためにも)


 フィーネはいま、揺れている。

 これまでならば、するべきでないとされたことにはそもそも関心すら向けなかったはずだ。

 だがいまフィーネの胸中では「良い子」であるべきならばすべきでないことと、友達としてしてあげたいことが真っ向から反発しあっている。

 その天秤が不意に飛び込んできた嵐によってどちらの方に振れるのか…リーヴァは期待と不安の両方を抱いている。

 願わくば娘にとって良い方向へ向かいますように、と。


(賢人議会のお歴々はさぞやぎゃあぎゃあと騒ぐのでしょうけど…)


 リーヴァもまた情愛深き闇エルフの一人。

 賢人議会がフィーネに執拗なまでに刻み込んだ「良い子」であれという呪い。

 王妃として理性ではその必要性を理解を示していたが、感情面はとうに極大の悪感情へ振れている。

 

(。我が愛しき娘を傷つける者、尽く暗き地の底へ沈み、地虫の如く地を這えばいい)


 普段は賢妃として振る舞う彼女だが、その本質は自分の感情に骨の髄まで忠実な『女』なのだ。

 なにせ彼女は幼い頃の恋心を実現するために、数多の恋敵達を蹴落とし、数多の艱難を打ち破った末、ガンダールヴ王の心を射止めた女傑なのだから!


(まあ、なんとなくあの人が苦労しそうな気もするけど…)


 止むを得ない犠牲と考え、割を食ってもらうとしよう。

 もちろんリーヴァ自身も自らの手腕をもって愛する夫を助けるつもりだ。

 なに、夫とてフィーネが自らの呪縛を打ち破ることを歓迎こそすれ、落胆だけはしまい。そのための苦労も厭わないはずだ。


「フィーネ、いい?」

「はい、お母様」


 膝を折り、胸中の葛藤に苦しむ愛娘と視線の高さを合わせる。

 真っ直ぐにその瞳を見つめると、そこには迷いと苦しみがあった。


「一つだけ、聞かせて」


 と、恐ろしいくらいに真剣な眼差しで見つめられ、フィーネは息を呑んだ。


、どうしたい?」


 その問いかけは、「良い子」でもなく王女でもない、フィーネという一人の女の子に向けられた問いかけだった。


「私、は…」


 母リーヴァの真剣過ぎる様子の問いかけに、フィーネもまた自分の心を見つめ直す。

 そしてその心の中にある真っ直ぐな思いを、出来るだけ飾らずに言葉にしようとする。


「助けたい。ジュチくんを助けてあげたいよ。でも…」


 その、でも…の先を察したリーヴァがその言葉を引き取る。


「ええ、分かるわ。貴方は迷っていいのかも分からないのね」


 「良い子」ならば当然私情を優先して動くべきではない。

 フィーネはそう、教え込まれて育ったのだ。

 ふざけるな、と。

 リーヴァは改めて愛娘の心に執拗に刻まれた呪いに嫌悪を抱いた。


「でも良いのよ、良いの。私が貴女の迷いを、決意を許します。貴女は、貴女が思うように動きなさい」


 フィーネに駆けられた呪縛に楔を穿つために。

 またフィーネの迷いを晴らすため、きっぱりと愛娘の思いを肯定する。


「良いの、かな? だって…」

「お友達を助けるのは素晴らしいこと。もちろん、だから何でもしていいという訳ではないけれど」


 最低限の一線を守る必要はあるが、私情とは誰しも持っていて然るべきもの。

 今のフィーネはそこを過剰に気にし過ぎている。

 付け加えればフィーネが陥っている自縄自縛とて、少しばかり悪知恵を働かせれば幾らでも抜け道はあるのだ。

 だというのにそうした抜け道を探すどころか、探すことを思い付きすらしない。いまのフィーネは心に刻まれた歪な道徳・規範に縛られるお人形だ。

 フィーネを縛る呪いの根っこはにある。 

 リーヴァはその根を断ち切りたい。

 しかし悔しいがリーヴァやガンダールヴ王の力だけではきっと叶わないという直感がある。


(……顔を見たこともない貴方に期待するのもお門違いでしょうけど。フィーネのお友達くん、貴方ならこの娘を縛る頸木を砕くことが叶うのかしら)


 リーヴァは天眼を以て変革の兆しを感じ取り、一抹の期待と不安を娘から伝え聞く騎馬の民の少年に抱いていた。果たしてかの少年の来訪が愛娘にどのような影響を及ぼすのかと。

 確信しているのはただ一つ、このままでは決してフィーネは変わらないだろうということだ。

 そしてリーヴァは情愛深くも果断な性格の持ち主。

 愛しい娘に自らの呪縛を破るための試練に挑む機会を与えたかった。


「ガンダールヴの妻として、フィーネ、貴方の謹慎を解きます。ここしばらく大人しくしていたのだからもう十分でしょう」


 だからリーヴァはフィーネに名分を与える。

 即ち、謹慎を解き、自由に動いてよいという名分を。

 この名分は所詮フィーネを「良い子」として縛る呪縛を緩めるだけで、砕くことは叶わない。

 しかしかの少年と再会するための自由を与えられるには十分だった。


「あの人には私から伝えておきます。もちろん謹慎が解けてからも身を慎むことを忘れてはいけませんよ? さもなければすぐ謹慎の身に逆戻りですからね」

「お母様…。うん、ありがとう!」


 ガンダールヴ王がフィーネに謹慎を言い渡した名目は、あくまで王宮を騒がせたが故。

 別段フィーネが《天樹の国》の掟を破ったわけではない。

 また仮にジュチを殺しかけたこととその命を《血盟》を結ぶことで救ったことが公になっても、それを裁く法は無い。

 つまりフィーネの謹慎はガンダールヴが家長として家人に言いつけただけの、あくまでなのである。謹慎と聞けば大袈裟に聞こえるが、たまたまフィーネが国王家という政治的にも大きな存在だったというだけで。

 よってその妻が夫の代理として謹慎の解除を申し渡すのも決して無い話ではない。

 この一帯では概ね男性が家長として強権を振るう。《天樹の国》でも例外ではなく、夫と妻の意見が分かれれば夫の意見が優先される傾向にある。

 だが国王夫妻は珍しく家庭内ではリーヴァの方が立場が強く、しかもガンダールヴ王は愛妻家だった。

 この件では夫と意見が分かれるかもしれないが、譲るつもりは無かったし、説得できる自信もあった。少しばかり手を回すのが早かっただけで、結果としては同じことに

 リーヴァは女傑らしい、涼やかだが凛とした戦意に満ちた表情を浮かべた。


(例の男の子がこの国に着いたら、スレンに乗って会いに行きなさい。だからそれまでは怪しまれないように大人しくしておくこと。いいわね?)


 と、こっそりと悪だくみを娘に耳打ちする。

 娘も心得たようにこっくりと頷き、真剣な表情で諾と返事をした。


「よろしい。流石は私の娘ね」

「うんっ!」


 ふんすっ、と意気軒昂な返事をしたフィーネを微笑ましく見やるリーヴァだった。

 そしてここで終われば美しい親子愛の一幕ということで幕を引けたのだろう。

 だがこの後に実に闇エルフらしい続きがあった。


「貴女のお友達を何時か、私とあの人にも紹介してね。そのためにもしっかりと捕まえておかないとダメよ?」

「捕まえる…?」

「ええ、年頃の男の子は移り気だもの。女の方がしっかりと手綱を取っておかないと、ふらりふらりと他所の女の方へ寄って行ってしまうの」


 ギリリ、と聞こえるか聞こえないかの境目を行く音量の歯ぎしり。かつての恋敵達を思い出したのか、これまでフィーネには見せたことのない冷ややかな目つきをしていた。

 だが良いだろう、許してやろう。所詮は敗者、私に膝を屈した負け犬ども。彼奴等を踏み拉いた果てに彼と結ばれたのだから、その過程を彩るスパイスと思えば寛大さを示す余地はある。

 だが今晩の寝台は騒がしく、熱の籠ったものになりそうだと、リーヴァの冷静な部分が脳裏で囁いた。フィーネは可愛いが、当然二人目は欲しいのだ。


「ジュチくんが、他の女の子に…?」


 そして母が母なら、娘も娘というべきか。

 まるで考えたこともなかったと疑問符のついた言葉が漏れる。そしてその一瞬後に、密閉されたはずの室内で轟々と風が吹き荒れた。

 フィーネの感情の昂ぶりに、精霊たちが呼応して騒いでいるのだ。

 心なしかその瞳からは光が失われ、吸い込まれるような暗い闇が蟠っていた。


「心を鎮めなさい、フィーネ。落ち着きのない女の子は嫌われるわよ」

「嫌われる…。はい、お母様」


 が、娘の癇癪もなんのその。

 その操縦法を心得た母が的確に窘めることで、その癇癪もすぐに収まった。


「良い? 長い私達の生で幸せを捕まえるために必要なのは勢いと決断よ。順縁を掴む機会は意外なほど多くないのだから。

 特にそばにいる男の人は重要ね。、と思ったら躊躇わずに行動に移りなさい」

「……ジュチくんが、その子? なのかな。どうやって判断したらいいの?」


 おやまあ、とうぶな娘に若干の呆れを覚える。

 リーヴァの見立てではカラダはとうに理解しているだろうに、頭の方が追いついていないらしい。


「そうね、一番わかりやすいのはやっぱりかしらね」


 と、やけに艶やかな、妖しい色気を秘めた仕草で下腹部―――子宮コブクロの上を撫でる。

 かつてフィーネを孕んだ『女』を象徴する器官を撫でる仕草はなんとも妖艶だった。


「お腹の…そう、ココが熱くなって、その男の子をパクリと食べたくなったら間違いないわ」


 微かな妖艶さを秘めた手つきでキョトンとした様子の愛娘の下腹部にも手を添え、ゆっくりと撫でる。

 その感触に言い知れぬ妖しい気分と気持ちよさ、ゾクゾクとする熱っぽさを覚えたフィーネの顔が我知らず紅潮する。ジュチの明るい笑顔を思い出すと更に熱が高まった気がした。

 だがやはり頭では理解しがたいらしく、疑問の籠った声を投げた。


「食べる…?? でもジュチくんは食べられないよ?」

「もちろん例えよ。でもね、よく覚えておきなさい。女には男を逃がさないようにぎゅうっと抱きしめたくなったり、何処にも行けないように縛りつけておきたくなる時があるものなの」

「そう、なんだ…?」

「そうよ」


 林檎が大地に落ちるのは当然だ。

 それと同じ調子で当然のことのように束縛欲の籠った宣言を力強く言い切るリーヴァ。ガンダールヴ王の日々の苦労が偲ばれる。

 なんとも情愛が深すぎる闇エルフらしい宣言だったが、やはり幼いフィーネにはピンときていないようすだった。


「まあ、いまは良いわ。きっと躰で思い知るでしょう。私たち闇エルフの女は、子宮ココで運命を感じ取る生き物なのだから」


 と、やけに意味深な視線を娘に向けながら、呟くリーヴァだった。


 ◇


 かくも生々しいやり取りを挟んだ一幕があったりしたものの。

 謹慎が解かれてからも自室で大人しく振る舞い、こっそりジュチの旅路を覗いてはハラハラドキドキ、一喜一憂するフィーネ。

 日々近づいてくる気になるあの子にますます心を捕らわれながら、じっくりと機を待った。

 そしてついにジュチが《天樹の国》の国境を越えようとする日、準備万端とばかりにスレンの傍に待機していた。

 どこかウキウキとした様子の王女に様子を伺う声が王宮に仕える者たちからかけられる。

 その問いかけに久しぶりの遠翔けに行くと伝えれば、このところの謹慎の日々を知る者達は皆なるほどと頷いた。

 天真爛漫、お転婆な王女であれば謹慎の日々にも鬱憤が溜まっていよう。スレンとの遠翔けでそれが晴らせるならばまことに結構なことだった。

 そこで疑問は終わり、皆自分の仕事に戻っていく。

 咎められたり、それ以上追及されることもない。

 やはり母の助言に従ってよかった、と改めて母への尊敬の念を募らせるフィーネだった。

 そしてしばしの時間を経てついに、その時は来る。


「行こう、スレン! 全速力で、ジュチくんのところまで!」


 スレンもまた謹慎の日々に力を持て余していたのだろう。

 ジュチの名前が出たくだりで、若干複雑な感情が動いたようだが、主の指示に従って力強い咆哮を上げるとその両翼を羽撃はばたかせた。

 飛竜の力強い飛翔はフィーネをあっという間に王宮から国境まで運ぶ。

 やがて視界に見えてくるのは一群の家畜を引き攣れた二人の騎馬の民。

 片割れはもちろん、フィーネが再開を待ち望んだジュチであった。


「ジュチくんだ! スレン、急いで!」


 グルル、と唸るスレンはどこか呆れている様子だったが、最早それすら目に入らない。

 もう待ちきれない、と飛竜スレンが地に両脚を付けるやいなや背の鞍から軽やかな動きで飛び降りる。見事な着地を決めると、すぐに少年の元へと足を向かわせる。


「ジュチくん、久しぶり! こっちもそっちも色々あったみたいだけど、また会えて本当に嬉しいの!」


 そう、フィーネは満面の笑みを浮かべて、久しぶりの再会を寿いだ。

 本人も自覚しないほど僅かな、不安の影を心の片隅に宿しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る