使節


 《天樹の国》の国境にて。

 騎馬の民の少年ジュチと闇エルフの少女フィーネは再会を果たした。


「久しぶりだな、フィーネ。会えて嬉しいよ。こんなに早く会えるとは思って無かったけどな」

「エへへ、実は結構前から対の魔剣がこっちに近づいて来ているのは分かってたんだ。でも国境を越えて会いに行くのは許されてなかったから…。でもでも、ようやくジュチくんと会えて私も嬉しいの!」


 国境を越えて大した時間も経っていないというのに早すぎる再会。

 そこに疑問を覚えたジュチの挨拶にフィーネはさらりと嘘ではないが全てを語っているわけでもない答えを返す。

 風精との同調による覗き行為のことなどおくびにも出さず、さも対の魔剣による恩恵だと思わせる口ぶり。

 無意識の言動であるが、そこは狡猾な闇エルフの本能と言うべきか、実に自然な話しぶりであった。

 現にジュチは流石は巫術に長けた闇エルフ、そういうことも出来るのかと感心するばかり。

 アゼルはフィーネの口ぶりに若干の違和感を覚えたようだが、疑惑にまでは至らない。

 ただなんとなくだが、見た目通りの無邪気な少女ではないと直感した。


(ジュチからは単に友達と聞いていたが…)


 ジュチの一挙一動に視線を奪われているフィーネの様子を見ていると、には見えない。

 アゼル自身は色恋沙汰に疎く、そういう方面には鈍いのだが……何かフィーネの輝かしい程の笑顔の裏に何かとしたものが混ざっているように感じられるのだ。

 その感覚を裏付けるようにジュチの姿が少女の視界に入ってからは傍らのアゼルに意識が一片たりとも裂かれていない。

 さながら路傍の石と同じであるかのように扱っている。

 だがその根源は傲慢さからと言うより、単に意識の全てがある一点に注がれているからのように見受けられた。


(モージが言っていたことはこういうことか…)


 闇エルフは情が深い、と。 

 あくまで万が一の話だがとの前置きをした上で闇エルフの生態について色々と聞いていたが、どうやらモージの懸念が当たっていたらしい。

 ただしこれが吉と出るか凶と出るかはこれから話がどう転がるかによるだろう。


「ところでこの国境っていつも人を置いていないのか? ここに小さいけど関所があって入国の取次があるって聞いていたんだけど…」

「あ、ううん。いつもならそんなに多くは無いけど国境にも巡士はいるんだけどね。今はちょっと危険だから、もう少し奥の方に引っ込んでいるんだ」

「危険…?」

「後で話すよ。それよりもジュチくんは―――」


 少年との何でもないやり取りでも嬉しそうに楽しそうに会話を交わす見目麗しい少女。

 だが不思議と少年のことが羨ましくないのは少女が幼いからだけではないだろう。

 少年の未来に幸あれとアゼルは天神に静かに祈った。そしてそれ以上のことをする気はあまりなかった。少女の執着がこの旅路に影響を及ぼすようならまた話は別だが…。


「ジュチよ、再会を喜んでいるところに水を差すのは心苦しいが、お前の友を俺にも紹介してもらいたい。無骨な俺とて挨拶の一つも交せん無粋な輩にはなりたくないのだ」


 少年と少女がひとしきり互いに再会を喜び合い、言葉を交わし合ったと判断すると横からそっと声をかける。

 その穏やかな声にフィーネとの再会を喜んでいたジュチが我に返る。


「そうだった。ごめん、アゼル」


 と、素直に謝罪し。


「フィーネ、こっちはアゼル。同じ部族の男衆で、俺の兄貴分だ」

「初めまして、私はフィーネ。ジュチくんのお友達です」


 アゼルへ笑顔で如才なく声をかけるフィーネ。

 対し、アゼルはフィーネに向けて静かに一礼をすると、耳慣れぬ調子の挨拶の言葉を述べた、


「我らが出会う時、双つ星が輝く」


 それを聞いたフィーネはおや、という表情を浮かべた。

 闇エルフの古い流儀に則った正式な挨拶である。

 それも一介の旅人が使うようなことはほぼない、《天樹の国》と古くから交流のある隊商キャラバンの頭目や部族・国家の使節が述べるような正式なものだ。

 とはいえその仕草は洗練されたものとは言い難い。


「我らを相照らす星の導きに感謝を」


 闇エルフの少女は若干困惑を浮かべるも、曲がりなりにも一流の教育を受けた王女である。

 美しい所作とともに礼儀正しく形式に沿って挨拶を返した。

 アゼルも不慣れなりに淡々と返答を続ける。


「我らは流浪カザルの民の末裔、名はアゼルと申す。高く貴き峰に住まう山と星の娘にご挨拶申し上げる」


 ついで部族の名を耳にしたフィーネが今度は腑に落ちたと僅かに頷く。

 流浪カザルの民。

 その名は《天樹の国》にとっても決して無関係な名ではないのだ。

 とはいえその関係性もとうの昔に薄れ、今となっては仔細を知る者は一部の教養ある者くらいだった。


「シャンバラに座す実り豊かな大君フレイ・イン・フロージの臣下、フィーネと申します。騎馬を駆る猛き一族の裔よ、この出会いに祝福があらんことを」


 尤もいまはそんな事情は関係は無い。

 フィーネは王女として叩き込まれた礼儀作法に則り、舞踊的な美しさすら伴った所作で優雅に挨拶を返した。


「祝福があらんことを」


 とアゼルも応じ、形式に沿った挨拶は完了した。

 傍らには突然始まった儀礼的なやり取りに目を丸くしたジュチ。

 少年の困惑を見て取ったアゼルが苦笑とともに今のやり取りについて説明する。


「闇エルフの流儀に則った口上だ。正式な使節として彼らの国へ赴く者は皆、こうして挨拶を交わしたという。

 とはいえフィーネ殿、我らの交流も絶えて久しい。ご無礼あるかもしれぬがどうかご容赦願いたい」


 と、実直に謝意を示すアゼル。

 《天樹の国》に関する知見と旅慣れた技能を見出だされたとはいえ、元来口が達者な方ではない。

 弱みを見せる、などと考えず素直に口に出す方がまだ良かろうとの考えからだった。


「正直に申し上げて、とても驚きました。しかしそれ以上に喜ばしい出会いです。古き同胞はらからに連なるお方」

「こちらこそ闇エルフの貴人に出会えて光栄だ。かの国で飛竜乗りと言えば例外なく当世一流の才人と聞く。機会あらばフィーネ殿と語らってみたいものだ…。無論、ジュチとともに」

「ええ、是非とも!」


 無骨ながら微笑を浮かべるアゼルと、満面の笑みを咲かせたフィーネ。

 二人の友好的だがどこか堅苦しいやり取りにジュチは分かりやすく疑問の意を示した。


「……なあなあ、何で二人ともそんなに持って回った話し方なんだ?」


 一応は気を遣ったのだろう、声を潜めた問いかけをアゼルに向ける。

 だがあまりにも直截な問いに気持ちは分かるが静かにしていろと身振りで示そうとする。


「フフッ」


 闇エルフの鋭い聴覚でそれを聞き取ったフィーネはジュチくんらしいなぁと、春風のようにふわりと笑みをこぼした。

 元よりこの肩が凝りそうなやり取り、フィーネとしても全く好みではない。

 出来ることとやりたいことは別の話だ。

 ましてやお友達であるジュチとの会話にそんなものを差し挟むのは無粋という他は無い。


「アゼル殿、実は私は今日飛竜との遠翔けでここに来ました。公人ではなく私人として。それに遠方より来られた友を歓待するのは闇妖精の一族にとってもこれ以上ない喜び。

 無論、容易ならざる事情をお持ちであることは察しております。必要ならば我らの王宮へご案内し、然るべき者へと取り次ぎましょう。

 しかしこの場においては私人、ジュチくんのお友達としてご助力差し上げたいと思うのですが、如何でしょう?」

「……ジュチとの友誼を利するようで正直なところ心苦しい。しかし我らには時間が無く、伝手も乏しい。フィーネ殿、貴方の申し出は願っても無いことだ。どうか我らにご助力願いたい」


 と、アゼルがさっと頭を下げ、フィーネが鷹揚に頷くとある種の合意が形成された空気が漂った。

 そこに再び空気も読まずに疑問の意を表明するジュチ。


「結局どういうことなの…?」

「この場にいる者の間では、多少の無礼は見逃してくれるということだ。もう自由に話して良いが、人目がある時は黙っていろよ。良いか、フリではないぞ? 必要になれば俺がお前を黙らせる。そこをよく覚えておけ」


 若干最後の辺りにドスを利かせた調子で少年を窘めつつ、その手綱を緩める許しを与えた。

 分かったような分からないような、隠し切れない困惑を浮かべた少年。

 前世においても本音と建前を使い分けるような会話術を用いる機会がほとんど無かったのだ。

 だが少年らしい切り替えの早さで、すぐに疑問を棚上げすることにした。


「分かった! つまり普通に喋っていいってことだな」


 その能天気な言葉に分かっていないなこれは、と眉を顰めるアゼルだが。


「そうだよー。だって私たちはお友達だもん! 変なところで堅苦しくする必要なんて無い無い!」


 と、当のフィーネがニコニコと笑顔でジュチの言葉を肯定した。

 《天樹の国》の貴人に連なる姫の意向に、吹けば飛ぶような弱小部族の一使節が逆らえるはずもない。

 ましてやこれから頼みごとをする立場であるならば猶更に。

 となればアゼルが言えるのはもう人目がある時は黙っておけとジュチに後でキツく言いつけるくらいのものだった。

 

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