一方その頃②


 回想は終わり、フィーネは改めて自室に謹慎されている理由を思い出した。

 理は両親にあり、自らもそれに従うべきである。

 だからフィーネが今できる最善は自室で大人しく謹慎を受け容れることだ。

 納得しながらもやはり無力感から来るモヤモヤがフィーネの胸の内に留まり続ける。


「アウラ…」


 自分を慕ってくれる可愛い妹分の安否が心配だった。

 一応その身体は闇エルフが誇る優れた巫術師や医術師らによって保護され、寝たきりのままであっても一年程度は支障がないと聞いている。

 だが精神面は別だ。元より《精霊のうたた寝》とは精神が精霊界アルフヘイムに連れ去られる奇病であるのだから、より問題なのは肉体よりも精神である。

 精霊界アルフヘイムは時間の観念が捉え辛く、測り様がない。一日が過ぎたと思えば地上では百年が過ぎ去っており、逆に数十年遊び暮らしたと思えば半日も経過していないのだと妖精に連れ去られた闇エルフの伝説において語られる。

 であればもしかしたら《精霊のうたた寝》から帰還したアウラの精神は百年を過ごし老成したものへと変貌しているかもしれない。

 だがだからといって殊更にフィーネが出来ることはないし、それをすることを許されてもいなかった。


「ハァー…心配しても仕方がないって分かって入るけど」


 自分は両界の神子などと御大層な異名を抱く特別な存在だという。

 自分と他者がことは生まれ落ちてからの十数年で理解出来ている。

 だが所詮はなのだとも、アウラの奇病に端を発する一連の顛末で理解していた。

 どれだけ大層な、それこそ国を揺るがす程の力を持っていようと決して万能でも無敵でもないのだと。

 その認識はフィーネを構成する自我の深い場所に実感を以て刻まれ、自己認識を揺るがしかねない楔となっていた。良くも悪くもここから顛末がどう転がるかにより、フィーネの精神が変貌するきっかけとなりうる状態だった。


「……気分転換にジュチくんの様子でも見てみようかなぁ」


 と、サラリと色々な意味でおかしな発言を零すお姫様。

 恐らくこの台詞を聞いたガンダールヴ王は何とも言えない表情で言葉に迷い、リーヴァ王妃はそれでこそ我が娘と無邪気に手を叩いて喜ぶだろう。


「《風精シルフ風精シルフ。どうか私に、貴方のまなこを貸してくださいな》」


 ダランと寝台にうつ伏せになったまま自然と風精に祈り、意を通じる。

 フワリと室内に一陣の風が巻き起こり、クスクスという微かな笑い声とともに真っ直ぐに外目掛けて駆け抜けていく。

 目を瞑ったフィーネの視覚が一時的に風精のものと同調し、王宮を俯瞰的に把握しながら同時に随所で起きている出来事を事細かに見通せるようになる。

 その同調は恐ろしく精密かつ隠密に行われ、誰も気付くことが叶わない。今この時王宮から秘密という概念は失われた。

 だがフィーネの興味は王宮ではなくもっと南の方に、山と草原に跨る大地に生きる少年にあった。


「《私は見たい。あの子を見たい。対の魔剣の持ち主を、どうか探してくださいな》」


 寝台に持ち込んだ自らの佩刀を示し、風精へ目印となる気配を教え込む。

 ケラケラ、クスクスと楽しそうに笑う風精は承知したとばかりに軽やかに南へと飛び去って行く。

 その移動はまさしく風の如く軽く、しかし風よりもはるかに速い。


「うーん、やっぱりがあると風精も迷いが無いね。それとももう何度もお願いして慣れたせいかな?」


 そう、ジュチを《血盟獣》としたフィーネがわざわざ対の魔剣の片割れを渡した真意はこのためにあった。

 即ち、いついかなる時であってもジュチの一挙一動を眺めたいというギリギリ乙女心とも言えなくもない執着心の発露として。

 同調した風精シルフの感覚を通じて、ジュチを探すための目印としての役割を期待し、ジュチへ懐剣を渡したのだった。

 そしてこの巫術まで使った大胆不敵な覗きの所業は既に幾度となく行われていた。

 この事実を知れば生真面目なガンダールヴ王ならば卒倒し、娘を叱りつけるだろう。

 本来ならば対の懐剣は王家の一員が、自らが股肱の臣と恃む家臣へ下賜する信頼の証とでも言うべきもの。魔剣の持ち主達は互いの位置を何となくでも分かるのだから、安全管理上でも絶対にみだりに他者へ渡すべきものではない。

 対の懐剣を下賜された者は下賜した王族に専属で仕える直臣となり、国王ですら直に命令を下すことは叶わない。

 その特殊な立ち位置から多くの場合乳兄弟や長年苦楽を共にした家臣など一握りの者にしか与えられない特別な魔剣なのだ。

 王族に与えられる対の魔剣は常に一対。あくまで義務ではなく権利だから、ただ一度も魔剣を下賜することなく、生を終えた王族もいる。

 この者は自分の命を預けるのに寸毫の不足も無し。対の懐剣の下賜とは本来それほどに重い意味を持つものなのだ。


「でもジュチくんは私の《血盟獣》だし? ジュチくんが死んだら私もきっと酷いことになっちゃうし? (承諾どころか事情を話してもいないけど)ジュチくんが私とずっと一緒にいるのは決定事項だし? しょうがないよねー。うんうん、しょうがないしょうがない」


 鼻歌でも歌いそうなほど軽やかな語調で紡がれる楽し気な言葉。

 何とも母親から受け継いだ血筋を感じる発言だった。

 フィーネは間違いなく「良い子」だ。だがリーヴァ王妃やジュチの影響を受けてか、賢人議会の思惑通りに動く「良い子」ではなくなりつつあった。 

 このフィーネの心の成長(?)がこれからの《天樹の国》の行き先に、果たしてどのように影響していくのか…それは今は誰にも分からなかった。

 だが今この時はそんな未来を思うこともなく、ひたすらに己が心を捕らえた少年を誰に知られることもなく熱心に覗き見る一人の少女がいるばかり。

 これでも多少自重はしているので、ジュチの様子を覗き見るのは退屈さと遣る瀬無さが極まった時と決めている。ジュチの様子を見るのは何日かぶりのことだった。


「あ、いたいた。いいよ、風精シルフ。そのまま…そのまま。わあ、ジュチくんだ。今日もジュチくんは格好いいなぁ」


 と、誰が聞いても贔屓目の過ぎる無邪気な感想を漏らすフィーネ。あばたもえくばという言葉を思い出すほど少年に夢中な様子だった。

 その割に異性を覗き見るという後ろめたさが無いのは生来の快活さと粗忽さ、そして若干の無神経さ故だろう。

 善かれ悪かれ天然気質というか、フィーネは世間知らずで自分の欲求には素直な性格なのだ。何より本人に悪意が無いので悪いことをしているという自覚がないことも大きい。


「……あれ? 子どもが倒れてる、もしかして病気? あんなに人が集まって…まさか、あの娘がジュチくんの…?」


 だがこの時フィーネが同調した風精の視覚越しに捉えたのは、まさにジュチの義妹であるツェツェクが《子殺しの悪魔》に憑りつかれたその日の情景だった。

 部族を覆う暗い影のような重苦しい雰囲気、そして自分を激しく責めているだろう厳しい表情を浮かべるジュチを見て、つい少年の名を呟く。


「ジュチくん…」


 、とやり場のない感情が言葉となって口を衝いて出そうになる。

 フィーネもまた妹分アウラやまいに倒れている。少女の胸中にあったのは同情ではなく、共感だった。

 驚くほど自然にフィーネはジュチの気持ちに寄り添い、共感の深さを確信していた。

 だってアウラの病気について語った時に少年は言ったのだ。

 それは、辛いなと。

 彼はそう言ってくれたのだ!

 その言葉が嬉しかったから、その気持ちが分かるから、ジュチはフィーネの心を捉えて離さないのかもしれない。


「頑張れ…」


 ふと、抑えきれない心が言葉になってフィーネの口を衝いて出る。


「頑張れ…! 負けないで! 私も、絶対に負けないから!!」


 寝台にうつ伏せになった状態から立ち上がり、周囲を顧みず激励の声を飛ばす。

 突然上げた大声に隣室に控える侍女達が訝しむ気配が意識の端に引っかかったが、気にするほどの余裕はなく、ひたすらに思いを込めてジュチへ向けて叫ぶ。


「何も出来ないかもしれないけど、何が出来るかなんてわからないけど! 私が一緒だから!!」


 だから頑張って、と。

 その叫びはもちろんジュチに届かない。

 それでも今この時、フィーネは思いの丈を込めて叫びたかった。

 いまのフィーネに何が出来るわけでもない、何かすることを許されてすらいない。

 だがフィーネの心には、炎のように燃え立つ気持ちが湧き上がり、易々と鎮火することはなかった。 

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