妖精王女 前編


 フィーネ…アドルフィーネ・フレア・イン・ヴォルヴァはである。

 当代の妖精王ガンダールヴとその王妃の間に生まれた唯一の直系王族であり、順当にいけば次代の妖精女王となる高貴な身分。

 種族的に美形が多い闇エルフの中でも更に際立った美貌。

 闇エルフの王族でも特に血が濃い者にのみ発現する虹色の虹彩。

 そして何よりも精霊から絶対的な寵愛を受ける特異体質!

 彼女の父、実り豊かなる大君ガンダールヴ・フレイ・イン・フロージは国の内外に名を知られる為政者だ。国家の運営は邦長クニオサが集まる賢人議会に任せ、自身はもっぱら国家の祭祀を司り、国を纏める権威の象徴として君臨する。これまで大過なくその治世を務めてきた名君である。

 そして国中の同胞の祈りを束ね、時に嵐を、時に流れ星を呼び寄せる戦略級の巫術師でもあった。かつて闇エルフの財と人を狙い攻めてきた草原の大勢力をことで撃滅した逸話は武勇伝を超えた神話の域にある。

 だが青は藍より出でて藍より青し。

 闇エルフの王と王妃の間に生まれた待望の御子は生まれながらにして他と隔絶した素質の持ち主だった。

 人々が地に足を付けて暮らす現世うつしよとは一線を画す精霊たちの幽世かくりよを闇エルフは精霊界アルフヘイムと呼ぶ。遥か東方では幽冥界や根の国、西方においてはメーノーグやイデア界の名で知られる世界だ。

 闇エルフはひと族よりも精霊界アルフヘイムに親しく、精霊の力を借りやすい巫術に優れた種族である。しかしその差は個々の技量次第でひっくり返ることは幾らでもあり、人族の達人と闇エルフの凡人を比べれば前者が勝る。

 だが闇エルフの中から極々稀に人族どころか闇エルフの天才ですら比較にならないが生まれることがある。天才、神童などという言葉では表現できない規格外。世界に愛された祝福の御子とでも呼ぶしかない化外の者。

 彼らは現世うつしよ幽世かくりよ、生まれながらに二つの世界と重なり合うように誕生する。巫術師が祈りを捧げて心を幽世かくりよに近づけて精霊たちと意思を交わすのに対し、彼らは呼吸をするように重なり合う両界を見通し、ごく自然に精霊と同族のように言葉を交わす。

 両界の神子みこ

 闇エルフ達は彼らをそう呼ぶ。

 そして闇エルフの王女アドルフィーネは両界の神子みこであった。


 ◇


 闇エルフは生殖能力が他の種族と比べて弱く、王夫婦は長らく子は恵まれなかった。しかし長年の冷めることなき夫婦愛の果てに子を授かる。名君の治世における唯一の不安材料だった世継ぎ問題を解決する待望の子は王国の民から祝福されて生まれついたのだ。

 男児ではないことは残念がられたものの、女子だからと虐げられる理由はない。安寧に包まれた揺り籠のような環境でアドルフィーネは大切に育てられた。

 だがすぐに異変は明らかなものとなる。

 幼子の一喜一憂にのだ。

 ぐずれば嵐が巻き起こり、笑えば春風が吹きすさぶ。立って歩けば花々が咲く奇跡の御子。

 その数ある逸話から極まったものを一つ上げるならば、愛騎たる飛竜との出会いだろう。

 ポ-タラカ王宮の一画に設立された飛竜用厩舎にて。折あしく機嫌を損ねた飛竜ドゥークが乗り手を振り落とし、周囲に敵意を剥き出しにした警戒体勢を取ったまさにその時。フィーネと彼女に仕える侍女達がたまたまその近くを行き会ったのだ。


「大きな音…」

「然様でございますね、姫様」

「何かあったのかな?」


 既に物心つき、幼いながら流暢に言葉を手繰る幼子は騒ぎの方向へスタスタと危機感のない足取りで近づいていく。


「姫様! この先で何が起きているか分かりません。向かってはなりませぬぞ」

「だから見に行くんだよ。起きていることを見定めなきゃ」


 慌てて後を追った年嵩の侍女は軽挙を慎むよう告げるが、馬耳東風とばかりにフィーネは聞き流す。この頃から既にお転婆の片鱗というか、自分の気持ちに正直な気性が顕れていた。

 殺気だった騒音の源へ足を進めることしばし、すぐに威嚇体勢の飛竜とそれを取り囲みながら手を出しあぐねている闇エルフ達の姿が在った。


「姫! 何故ここに…!?」

「こんにちは! 騒がしいので様子を見に来ました」

「は、は。そう言われましても、見ての通りとしか申し上げられませんが」

「そうみたいだね。今日のあの子は虫の居所が悪かったのかな?」


 漂う荒事の気配は明確だというのに、あっけらかんと挨拶する姫君へ先ほど飛竜スレンから振り捨てられた騎士は呆然と言葉を返す。

 スレンの回りには王宮の厩舎に努める者たちが取り囲み、各々荒ぶる飛竜を宥めようとしたり、抑え込む準備をしていた。


「あの子の名前は?」

「スレンです」

守護者スレンって言うんだ! 良い名前だね」

「は、はは…。姫様にそう言っていただければ奴も喜ぶでしょう。しかしここは危のうございます。姫様にはここからもうしばし離れ―――」


 と、職務意識に従い、苦笑交じりに危機意識の欠如した姫君へ苦言を呈そうとする騎士。だが騎士の言葉が耳に届くよりも先に恐ろしく迷いの無い足取りで飛竜スレンへと近づいていく。これには騎士も目を剥いたが、咎めるよりも先に普通なら無謀極まりない蛮勇をフィーネが示した。


「こら、スレン! こっちを見なさい!」


 気負いなく荒ぶる飛竜に近づくや、叱咤するようにスレンの名を呼び付けたのだ。自然スレンの注意はそちらに引かれ、ギョロリと強烈な視線が向けられる。同じくらい周囲の者たちからギョッとした目が向けられるが、そんなことは些事とばかりにフィーネには気にした様子もない。

 苛立ち混じりに咆哮を上げて小さなものを威嚇する飛竜。凶悪な気配を振りまいて睨め付ける視線と視線を合わせ、フィーネはただ一言。


!」


 悪いことをしたら叱らなきゃダメなんだよ、と。

 そんなささやかで押しつけがましい善意によって、少女は飛竜を威圧した。気負いなく、当然のようにと。


『グ、ルルル…!』


 体格差で言えば十倍では効かない小さな矮躯に気圧されたようにスレンは一歩引いた。だが距離は変わらない。スレンが引いた分フィーネが踏み込んだからだ。


『――――――――』


 そのままたっぷり三、四呼吸分ほどの沈黙が続き、やがて強大なる飛竜は闇エルフの幼子に首を垂れた。精霊に近しい《魔獣》である飛竜には見えていたのだ、小さな幼子に付き従うように舞い踊る莫大な数の精霊たちが。

 無暗に抗い、その秘めた暴力が向けられれれば勝ち目はない。野生の本能を持ってスレンはそう判断し、闇エルフの姫君の軍門に下った。

 強大無比な飛竜が闇エルフの幼子に屈する。

 その余りに奇態な光景を多くの者が目撃し、悪い冗談でも見せられたかのように一種異様な空気が場に漂う。

 周囲から向けられる畏怖を込めた視線に訝しそうに首を傾げながら、やはり緊張感無く笑うフィーネ。彼女は大人しくなったスレンに近寄って自由にその巨体を撫で回しながら一人楽しそうにはしゃいでいた。

 この騒動の後、もしあそこで飛竜が牙を剥いたならばどうなっていたか、と声を荒げて叱る乳母にフィーネはむしろ不思議そうに返した。


「うーん。風の精霊さんにお願いして吹き飛ばすか、土の精霊さんに首根っこを押さえつけてもらうかかなぁ。王宮で大火事を起こしたり、水浸しにするのはダメだよね?」


 まるで当然のことのように返された常識を投げ捨てた台詞に教育係を務める乳母ベイラ・スキールニルは匙を投げかけた。なおベイラの娘であり、フィーネの乳姉妹アウラは無邪気にキャイキャイと囃し立て、母親にキツイ折檻を食らっていた。


「ベイラったら怒りんぼだねー」

「ねー」


 仲良く語尾を合わせてクスクスと笑う仲睦まじい少女達に、王宮の礼儀作法を今ばかりは忘れたベイラは深く深くため息を吐いた。

 そしてこの日の顛末は当然ベイラが仕える主たる国王夫妻に報告が上がり、王宮に激震が走った。


 ◇


 飛竜、王女フィーネに屈服す。

 その報せは王宮を瞬く間に駆け巡り、多くの民は流石は我らの姫よと無邪気に褒め称え、一部の賢人達は恐ろしく深い渋面を作った。

 飛竜は《天樹の国》においてもある種特別な地位を占める《魔獣》である。

 王国の主な騎乗魔獣である地駆け竜ガルディミムスは食性が雑食で給餌調達に手間がかからず、繁殖能力が高く数を揃えやすい。調教も《魔獣》の中では比較的容易く、肉と卵は高山地帯において貴重な栄養源になるという極めて優良な畜獣だ。

 見た目は他の地域で伶盗龍リンタオロン、あるいはラプトルと呼ばれる双脚の走竜との類似性が認められる。

 そうした地駆け竜ガルディミムスの優れた特徴に対し、飛竜は概ね真逆の欠点を数多持つ。

 まず人為的な繁殖が極めて難しく、危険な飛竜の巣から卵を盗み取るところから始めねばならない。そして危険を冒して得た卵から孵る飛竜の幼体は半数程度。餌は幼体の初期を除けば絶え間なく獣肉を欲し、成長期には山羊や毛長牛を一日に二頭以上欲する大喰らい。そして極めて馴致が難しく、乗り手を選ぶ《魔獣》だ。

 だが一度乗りこなせば空を自由に翔け、《精霊マナス》由来の強大な暴力を振るい、時に一騎を以て一軍を打ち破ることすらある。

 そんな飛竜が編隊を組んだ部隊は、大祭司たる妖精王に並ぶ《天樹の国》の決戦兵器と呼ぶにふさわしい武威を秘める。

 故に飛竜乗りは王国の至宝であり、相応しい技量と見識、何よりも忠義を求められる。また飛竜自身が極端に乗り手を選ぶ性質であることから否応なく飛竜に実力を認めさせなければその背に乗ることすら叶わない超実力主義的な兵種でもある。

 そんな飛竜乗りであっても、ひと睨みで飛竜を屈服させるというのは次元が違うと言う他ない。

 極めて単純な事実として、幼子フィーネが暴走すれば止められる者が誰もいないのだ。

 唯一振るう暴力にて匹敵しうる妖精王ガンダールヴとて、その隔絶した巫術師としての技量を振るうためには国を挙げた《祭りナーダム》、すなわち民草達の祈りを束ねる儀式が必要となる。

 仮にフィーネが気紛れから、あるいは精霊マナス》にお願いごとをした結果が国家存亡級の災厄と成り得たとしよう。ガンダールヴ王が《祭り》を終え対抗呪術を手繰る頃には手遅れになっている可能性が極めて高い。

 妖精王女アドルフィーネ・フレア・イン・ヴォルヴァ。

 かつて神童と呼ばれた鬼子に周囲から向けられる感情は少しずつだが、無邪気な親愛から畏怖と忌避に変わりつつあった。

 無自覚に垂れ流すその威風は飛竜が首を垂れるほどに強大であり、既にある程度自覚的に力を使いこなしている気配すらある。幼く、気ままな気性は何処までも軽やかで自由な行動に繋がる。そんなフィーネの気性を微笑ましく思えるほどの余裕は王国の賢者達は持ち得なかった。

 幼い少女の気紛れで世界が左右されると言う事実に、王国に名だたる賢者たちが恥も外聞もなく恐怖したのだ。

 王と賢者達は寄り集まって議論を交わし、遂には一つの結論を出した。


 


 外向きの表現はもう少し穏当であったが、内実はまさにそのままであった。

 フィーネを教育する当代一流の才人達はその優れた見識とともに常日頃から少女を縛る言葉を教え込んだ。さながら獣を縛る枷、またはただ呪いのように。


「決して掟に背いてはならない」

「悪行を為す者は償わなければならない」

「掟に背く者は周囲に災厄を振りまく罪人である」


 教えそれ自体は行き過ぎとは言えないものだったが、そのは偏執的ですらあった。

 幼い少女の柔らかな心に、強迫観念に至るまで徹底的に「良い子」であれと刻み付けたのだ。

 当然その行き過ぎたにフィーネの両親たる国王夫妻は猛反発したが、国政の実権は邦長クニオサ達の集いである賢人議会にあり、祭祀の担い手である王は実権に乏しい。

 それにガンダールヴ王も内心では分かっていたのだ。気性が気ままに過ぎるフィーネにはなにがしかの楔が必要だと。

 無理やり抑えつけるのではなく、人の側へと結びつけ共に歩んでいくための基点。国王夫妻は自らその楔にならんと愛娘フィーネと多くの時間を過ごし、闇エルフらしい深く確かな親子の愛情を育んだ。

 そして乳母であるベイラ・スキールニルとその娘アウラ・スキールニルもまた家族のようにフィーネを愛した。

 フィーネがかつての天真爛漫さを幾らか失いながらも、快活さと粗忽さという人間味まで失わなかったのはひとえに彼女を育んだたちの功績だったろう。

 かくしてどこか歪さを抱えた「良い子」としてフィーネは成長した。家族と国を愛し、誇りに思いながらも同時に「悪い子」であることを病的に忌避する歪みを抱えた「良い子」として。

 そんな彼女が一つの出会いをキッカケに変わっていく未来を、この時の彼女は知らなかった。

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