闇エルフという種族


「~~♪ ~~♪」


 炎に照らされ、人影がゆらゆらと揺れる。舞踊と合わさって奏でられる歌唱は何処までも楽し気で軽やかだ。

 夜半、モージ一家の天幕の外に焚かれた篝火の回りをツェツェクがくるくると舞うようにステップを踏み、時にしなやかな動きで跳躍する。

 巫女モージその後継ツェツェクが日々繰り広げる、良き《舞い手》になるための修行風景だった。


「良い踊りだな」


 と、傍からツェツェクが踊る様を眺め、無邪気に称賛するジュチ。しかし客観的に見てツェツェクの舞踊の技量はまだまだ拙いものだった。それはモージが要所で何度も叱責をするところから明らかだろう。

 踊りに没頭しすぎて足元の石ころに転びかける視野の狭さ。教えられた動作を習熟する前に独自の変化アレンジを加える気儘さ。欠点を挙げればキリが無い。


「そら、足元の気がお留守だよ!! 手足の先まで気を入れて踊るんだ!」

「はぁいッ!」


 、ジュチの言葉に頷く者は多いだろう。山盛りの欠点を加味してもなお満点の評価を上げたくなるような魅力がツェツェクの舞踊にはあった。

 先んじて語ったように失敗は多い。だが天性の愛嬌をツェツェクは備えていた。何よりも目を奪われるのはその笑顔。どれほどモージからキツイ指導が入ろうと、失敗を繰り返そうと気にした様子もなくどこまでも天真爛漫にツェツェクは笑っている。その笑顔を見るだけで、傍で見ているジュチですら自然と気分が盛り上がってくるのだ。


(ツェツェクを見ていると、不思議と楽しくなってくる…。これが《舞い手》の資質ってやつなのかもな)


 技芸の本質とは詰まるところことに集約される。舞踏も例外ではない。舞踊の完成度を高めるのは少しでもその本質に近づくための手段に過ぎない。

 舞踏という技芸を通じて天神と精霊を楽しませ、力を借りやすくするのが《舞い手》の役目である。そして見る者を楽しませるという一点において、ツェツェクは技術ではなく天性の愛嬌でそれを為す卓越した資質を持っていた。


「良し。じゃあもう一度繰り返しだ」

「はーい!」

「返事は短くキリ良く!」

「はい!」


 尤も師匠であるモージはツェツェクの資質に胡坐をかくことを許さず、舞踏の技術や巫女の心得においても一流であれと厳しく指南していた。普段は末っ子に甘いモージだが、こと巫女としての修行となれば普段以上に厳しい面が顔を出す。

 しかしツェツェクもそんな厳しい指導にも音を上げることなく、それどころか楽しそうに修練を続け、グングンと成長していた。


(とはいえちょっと厳しすぎないか?)


 と、内心で首を傾げる。

 モージがツェツェクへ向ける指摘におかしなところは無いが、態度の節々から妙な焦りと言うか余裕のなさが感じられるというか…。よそ事に気を取られ、ツェツェクへの気遣いが薄れている気がする。幸い無邪気なツェツェクは気付いた様子はなさそうだが。

 そしてジュチにはモージの心を乱す原因の目星がついていた。

 というか、当事者だった。


(フィーネのこと、話したのはマズかったかな…)


 今日あったことは基本的に全てモージに話してある。

 ダブス湖沼で再会したフィーネやスレンのことも、彼女から贈られた魔剣についても。全てをだ。

 敢えてモージに隠し事をする理由は無かったし、下手に隠して後でバレたら考えるだに恐ろしいコトになるのは明白だ。ジュチも自分の命は惜しかった。

 しかし果たして何がモージの心をそこまでかき乱したと言うのか。

 その手掛かりを求め、ジュチはほんの数時間前に天幕でモージと交わしたやり取りの一部始終を思い出すのだった。


 ◇


 今日、再会した闇エルフの少女にまつわる一連の顛末を語った養い子を見て、モージは辛うじてため息を吐くのを堪えた。

 目の前の少年はモージにとっては生意気で手がかかる、しかしもう一人の養い子と同じくらい可愛い義息子だった。

 だが過日の飛竜襲撃という凶事に見舞われて以来、妙な騒動に巻き込まれる体質になってしまったようだった。

 少年が語る出来事は草原で長く命を繋いできたモージをして非常に稀と言い切れる、奇縁としか呼べないようなものだった。


「闇妖精の娘子と縁を結んだか…」

「ああ、良い奴だった。また会いたいな」


 呟く。

 果たして眼前の養い子は呟きの意味を理解しているのか。後ろ暗いことなどありませんとばかりに相槌を打つ能天気な顔を見れば、理解している気配はなさそうだ。堪え切れずついため息を吐くモージであった。


「レンバスに、魔剣。どちらも黒エルフの国と言えどちょっと見ない代物だよ」


 特にモージが注目したのはレンバスだ。かつて闇エルフの国を訪ねた時に耳にした風習に曰く、レンバスの貯蔵と授与はであると言う。

 ジュチは聞き流したようだが、件の少女は母から貰ったと語ったらしい。

 そこに魔剣に刻まれた紋章…擬章化した山々と天を衝く大樹、そして星々から成る《天樹の国シャンバラ》の国章を重ね合わせれば、自然と少女の身分も推測が成り立つ。


(とんでもない縁を結んだものよ。果たして順縁となるか逆縁と化すか…)


 少年少女の無邪気なやり取りと笑って流すには想定される相手の身分が大物過ぎる。

 加えてモージが多少持つ闇エルフに関する知識も懸念を深めていた。

 。良くも、悪くも。

 良い方向へ転がれば家族への情愛や共同体への強い帰属意識となる。特に伴侶へ向ける愛は深く、一度契りを結べばけして裏切ることなく、一途に愛を抱き続ける良き伴侶となると言う。

 一方でその強い情愛が悪い方向に転ぶこともある。痴情のもつれはその典型例だろう。特に移り気な他種族との間で起こることが多いと言う。

 妖精族の恋心を弄んだ者の末路は大抵悲惨なものになる。想像も出来ないくらいに奇怪な、または度を越えて残酷な殺され方を指して『妖精の嫉妬を受ける』という慣用句があるくらいだ。


(自らの佩刀と対となる懐剣…それも魔剣を約束の証と差し出す辺り、意識してのことかは分からんがかね)


 男女の契り、比翼連理の誓いと呼べば大袈裟すぎるか。

 だが決して軽視して良い出来事ではないのは確かだった。

 果たして闇妖精という種族において対の懐剣を与える行為がどれほどの意味を持つか……それは賢者と呼んでいい程智慧を蓄えたモージをして不明だった。

 善き方に転べば良い、だが悪い方に転べば果たして何が起こるか…。特にジュチの話から受ける闇妖精の少女フィーネの印象はいささか思慮の足りない性格のように思える。不器用なくらいに誠実ではあるようだが…。


(万が一の仮定として、フィーネなる少女がジュチに惚れ込んだとする)


 サラリとジュチの男としての器量を低く見積もりつつ、思考を進める。


(こやつが、果たしてやれるか…?)

「???」


 厳しい視線で己を検分するモージに首を傾げている少年の姿から、否と判断を下す。この純朴だが少々鈍いところがある養い子が方面で器用に渡り切れるとは思えない。


(かと言ってジュチに言い聞かせて何とかなるものでも…。相手は闇エルフの娘子ぞ)


 この場合、問題になるのが相手の種族。というか闇エルフの生態だった。

 前述したように闇エルフの愛情は極めて深い…と言うよりも。相手に裏切られでもしない限り愛情は冷めず、何処までも一途に尽くす。仮に道具を使わず手足の爪を整えるよう伴侶が頼めば、躊躇わずに全ての指を口に含み、歯で爪を噛み切って整えるくらいに。

 そして闇エルフは一度伴侶と見定めた相手にはどこまでも真っ直ぐに恋情をぶつけ、例え拒絶されてもそう簡単に諦めることがないという。そもそも人間離れした美しさの彼ら彼女らに愛を告げられて拒絶できる者は多くないだろうが。

 一度闇エルフの異性と結ばれれば何時までも若く美しい上に決して愛が冷めない理想的な伴侶が手に入るのだ。もちろん浮気と刃傷沙汰が等号イコールで結ばれるという危険性は孕んでいたが。


(不思議と同族相手では相思相愛で丸く収まることが多いらしいが…。古き時代の山の上の王国では揉め事が絶えなかったと聞くからな。慎重に動かねば)


 今は《天樹の国シャンバラ》と呼ばれる山の上の王国はかつてはるか西方から移住してきた闇エルフと同地の先住民族である騎馬の民との血の交流の果てに生まれた国だ。その成立経緯はモージすら知らないが、闇エルフという種族の特性上成立当初は血の雨が降ることもしばしばあったらしい。

 尤も若い頃のモージが《天樹の国シャンバラ》を訪れた時にはそうした刃傷沙汰とは一切無縁に過ごせたから、恐らくは長い時間と血の混淆がそうしたもめ事を避ける智慧を生み出したのだろう。


(うむ。それに私の考え過ぎと言うこともありうる。例え懸念が当たったとしても王国の者たちとてそう易々と王女の我が儘を叶えはしまい。案ずるばかりではどの道も選べまい)


 と、自分でもあまり信じていない楽観的な考えを敢えて胸の内で言葉にしながら、将来訪れるかも分からない不安から目を逸らした。実際これ以上はモージの手が届く問題ではなかったし、精神衛生上でも見なかったことにしたかった。

 何はともあれ。


「ジュチよ」

「?」

女子おなごには誠実にな」

「ボケるにはまだ早いだろ。なんでいきなり訳の分からないことを言ってるんだ」


 スパーンと快音が鳴り響くと、少年はうめき声をあげて頭を抱えた。

 賢女の金言を一蹴した愚かな少年に容赦のない平手を食らわしたからだった。

 

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