第147話

 ルトヴィルム郊外の森。

 多様な魔獣が生息しており普段は何かしらの鳴き声が響くが、今はとても静かだった。

 そんな不気味な静寂に包まれた森を、マハトは一人で突き進む。


「……異様だな」


 マハトは率直な感想を吐露した。

 報告で聞いていたとはいえ、その不自然さを改めて実感したのだ。

 屍骸竜はおろか生きた竜種が現れても、ここまで異様な状況にはならないだろう。

 つまりは、出現したのは全くの別種である可能性が高い。

 竜や高位アンデッドよりも凶悪で高次の存在が、この森に現れた。

 マハトはそのように考えていた。


「やはりギルドの情報は当てにならんな」


 しばらく進んだところで彼は、変死した魔獣を発見する。

 血肉という血肉を吸い尽くされ、まるで干物のような姿に変貌した魔狼系の魔獣だ。

 その変わり果てた姿を見て、マハトは今回の標的が屍骸竜ドラゴンゾンビでない事を確信した。

 なぜならアンデッドは、喰い方はしないからだ。


「……魔石ごと溶かし喰ってるな」


 見つけた死骸を剣先で転がして、その状態を確認するマハト。

 骨と皮だけになった姿を見て彼は、獲物の血肉を溶かして吸収する魔獣──肉食魔草ハングリープラント刺突虫スタビングバグの類いを思い浮かべた。

 しかし、それらの魔獣は報告とは外見が大きくかけ離れている。


「……」


 いったい、この森に何が巣食っているのか。

 その答えに辿り着けないまま、マハトは森の奥へと進んでいき、そして──


 ヒュンッ!


 そんな風切り音と共に、細長い何かがマハトに襲いかかった。


「仕掛けてきたか。探す手間が省けたな」


 急襲に慌てる様子もなく、マハトは手にした剣で飛来した何かを切り落とした。

 ぼとぼとと音を立てて転がったそれは、先端に鋭い針のついた触手だった。


『あ゛あああぁぁぁッ……!』


 触手が伸びてきた場所から苦痛の声が響く。

 それから声の主はメキメキと木々を折り倒しながらマハトの前に姿を現した。


「なんだコイツは……」


 マハトの前に姿を見せたのは、彼が見たこともない魔獣だった。

 腐敗した巨体。機能するのかも怪しいぼろぼろの翼膜。そこだけ見れば屍骸竜に見えなくもない。だが、大きく開いた顎からウネウネと顔を覗かせるのは、先ほど彼が切り落としたものと同じ触手だった。


「寄生型の悪魔デーモンか?」


 そのグロテスクな風貌から寄生型の悪魔ではないかとマハトは推察するが、確証はなかった。

 悪魔の類いはスライムと同じ不定形魔獣に分類される。故に見た目だけで種類まで特定するのが困難だった。


『あああああぁぁあ゛あ゛ッ!』


 人と獣を足したような悍ましい叫び。

 それが合図となって、魔獣の口から無数の触手が飛び出した。

 鋭利な針を剥き出しにして、四方八方からマハトを襲う。

 しかし、彼はその場から微動だにせず、なぜか手にしていた剣を鞘に収める。

 それから柄に手を添え、のような構えを取った。


「無駄だ──【曼珠沙華】」


 彼がスキルを発動した刹那、煌めく剣閃が花開く。

 彼に迫っていた触手は瞬く間に切り落とされ、鮮血と肉片が飛び散った。


 ──刹那の間に放たれた無数の斬撃によって血肉の花が咲く。


 その恐ろしくも紅い光景は、彼岸花を連想させた。


「赤い血か。やはり宿主となった魔獣がいると見るべきか」


 そう吐露しながら、マハトはを鞘に収めた。すると、刀と鞘が光に包まれ、今度はへと形状を変えた。


 この奇妙な武具の名は<戦神の剣バルデルト>という。

 全ての武具スキルを扱う【覇剛の獅子ナンバーズ:エイト】を宿した彼だけが持つことを許された、変幻自在の神の武具であった。


「【怒竜咆矛ドラゴンロア】」


 マハトは手にした矛に覇気を纏わせ、大地を深く踏み締めた。

 次の瞬間、彼は一気に間合いを詰めると必殺の突きを放った。

 高いステータスを存分に活かした神速の一撃。

 しかし、そんなマハトの攻撃にも魔獣は反応していた。

 切っ先が届く寸前に浮かび上がった魔法陣から真っ黒な石板が現れ、彼の一撃を弾き返した。


「【闇冥鉄モノリス】……? 高位の闇魔法まで扱えるのか。ならば──」


 魔獣が使用した魔法に若干の驚きを見せつつも、マハトは次なる攻撃を放つ。

 その際、彼の得物は既にへと変化していた。


「【魔導切断マナブレイカー】ッ!」


 彼が放ったのは魔法障壁の破壊に特化した【大剣術】スキルだった。

 斜めに振り降ろした大剣は黒壁ごと魔獣を斬り裂いた。


『ああああ゛ッ! ああぁぁあ゛ッ!』


 胴体を袈裟斬りにされた魔獣は苦痛で叫び声を上げた。


『ああ゛ぁぁあ゛あぁあッッ……!』


 赤黒い液体がボタボタと零れ落ちる。

 足元に生えた雑草が真っ赤に染まるほどの出血量だが、それでも魔獣は生きていた。


『あぁうぅあ゛っ……』


 痛みに耐えきれなくなったのか、魔獣はどさりと横たわった。

 その傷の深さから、うに死んでもおかしくない状態だった。


『うぅあ゛っ……』


 そんな状態でも、魔獣は未だに触手を伸ばして攻撃を試みていた。

 自身の生命が尽きようとしているにも関わらずだ。

 その異常な行動は、まるで何者かに捕食行動を強制されているかのようにも見えた。


「苦しいか」


 マハトは触手を切り払うと、少しだけ同情を含んだ瞳を魔獣へ向けた。

 この魔獣の精神は、何かに支配されている。

 先ほどの数分間の戦闘を通じて、マハトはそのように直感していた。


 苦痛に悶え、嘆き叫ぶ姿。それなのに未だに伸ばそうとする触手。

 この魔獣は反応と行動がいまいち噛み合っておらず、生き物としてあまりに不自然過ぎた。


 ──故に、マハトは魔獣に少しだけ憐れみの感情を抱いた。


「すぐに楽にしてやろう」


 彼が手にした大剣が今度は槍の形状へと変化した。

 柄にまで掘られた繊細な彫刻と銀の光沢が美しい、一体成形の金属槍だ。


「光がせめてもの救いとなれ」


 マハトは槍に変化した<戦神の剣バルデルト>を投擲した。

 音速に近い速度で放たれたそれは、ずしゃりと魔獣の巨躯に突き刺さった。


「──【煌神槍ルークス・ハスタ】」


 彼が詠唱した直後、天から光の槍が数本放たれて魔獣へ突き刺さった。


 彼が発動したのは【聖槍術】の最上位スキルだった。

 聖なる光が魔獣を構成する魔素を溶かし分解していく。


「……なんだ?」


 マハトは光の塵となって昇華されていく魔獣の肉体から奇妙なモノを見つけた。

 見慣れた臓器とは少し異なる、奇妙な肉塊だ。

 血肉に埋もれてわかりにくいが、そこはかとなく人の顎のように見えた。


 ──光の中で肉塊がもぞりと動いた。 


 それは確かに唇を動かす動作だった。それまで見えていた〝人の顔のように見える何か〟が、その動きによって〝人の顔〟へと変わった。


「……なッ!? まさか!」


 それを見たマハトは慌てて肉塊に手を伸ばし、その周囲の血肉を掻き分けた。

 血肉と黄色い脂肪を取り除くと、それが何なのかはっきりとわかった。

 

「……これはいったいどういう事だ」


 魔獣の体内に埋まっていたのは、少女の顔だった。

 それも、まだ発達していない小さな角を持った幼い魔族の少女だ。


『あぅ……あ……』


 少女はもう見えていないであろう白濁した瞳をマハトに向ける。

 それから奇形化した唇を必死に動かした。

 まともな発声はできていない。

 けれども、その唇の動きから少女の言葉はマハトに届いた。


『アり、ガとう』


 ──それだけ残して、魔族の少女は光子となって消えていった。



 ◇



 依頼を終えたマハトは、冒険者ギルドへと戻ってきた。

 魔獣の詳細は伝えず、ただ討伐完了した旨だけをリュアンへ伝えた。


「ありがとうございます! マハト殿がいて助かりました……!」

「……」


 満面の笑みで感謝を伝えるリュアンとは対照的に、マハトの反応は薄かった。

 腕組をしたまま無言でソファに腰掛ける。


「マハト殿……?」

「なんだ?」

「あ、いえ……その、反応がなかったものですから……」

「……あぁ、悪い」


 そのあまりに不機嫌そうな様子にリュアンは顔を青ざめた。

 何か機嫌を損ねるような事をしてしまったのだろうか。

 そんな事を考えながら、慎重に言葉を続けた。


「それでは今回の報酬ですが……」


 今回の報酬についてリュアンが切り出すと、急にマハトは立ち上がった。


「……?」

「金は不要だ。教会にでも寄付しておけ」


 それだけ言い残すと、彼はさっさと応接室を出ていってしまった。

 突然の行動にリュアンは言葉を失ったまま、彼が出ていった扉を見つめていた。


「……失礼します」


 その数十秒後、マハトと入れ替わる格好で職員が応接室に入ってきた。

 淹れたばかりの紅茶を乗せたトレイを手にしたまま、彼女は室内を見回す。

 ぽかんと口を開いたまま硬直するリュアンを見て、バツが悪そうに声をかけた。


「お茶をお淹れしたのですが……もうお帰りになられました?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る