第145話
「魔獣じゃない……?」
「うん。この子は……まだ人間だから……」
「それって……」
モニカは信じられないといった様子で魔獣──いや、魔獣モドキに目を向けた。
何度確かめようとも、その醜悪な姿は魔獣そのものだ。
こいつが人間だと説明されて『はい、そうですか』と納得できるヤツはそうそういないだろう。
しかし、俺たちには心当たりがあった。
この悍ましい生き物が人間だと言われても、すんなりと納得できるような出来事に。
「……ハインツと同じってことか。こいつも……魔獣にされちまったんだな」
人が魔獣と化す。
そんな恐ろしくも不可解な現象を目の当たりにしたのは、つい最近のことだ。
だからこそエトの言葉を素直に信じることができた。
同時に、とある懸念が俺の頭に浮かんだ。
「なぁ、エト。確かさっきまだって言ったよな。って事は、このまま放っておくと本当の意味での魔獣になっちまうのか?」
ハインツと同じ原理で魔獣化したならそのうち暴れ出すんじゃないか。
もしそうだとしたら、俺はこの魔獣モドキをこのまま放っておくわけにはいかないのだ。
俺の問いかけに、エトは少し考えてからゆっくりと答えた。
「……大丈夫だと思う」
「どうしてそう言い切れるんだ?」
「この子は……私と同じ魔族だから。魔族は人族より魔素に強いの。この子も同じ。たくさんの魔素で見た目は変わっちゃったけど、ココロは、変わってないよ」
そう言ってエトは魔獣モドキが伸ばした触手にそっと手を触れた。
それに呼応するかのように粘液質の触手がしゅるしゅると彼女の細腕に絡み付くが、危害を加える様子はなかった。
『うああぁあ゛ぁ……』
魔獣モドキ、いや元魔族と言うべきか。
とにかく表現の難しいソイツは、俺やモニカにも触手を伸ばしてきた。
「ちょ……」
「大丈夫だよ。この子なりの親愛表現だから」
反射的に身構えてしまったが、エトは安心してと言わんばかりに微笑む。
「お、おう……そうか」
いや、そう言われてもな。こういう触手系はあまり得意じゃないんだが……。
とはいえ、忌避的な感情を見せるのは人道的によろしくないだろう。こんな見た目でも人間なのだから。
ねちょねちょした触手が腕に絡みつくのを俺は黙って耐えた。
「ひゃっ……ちょっと!? どこ触って……やっ……」
「んっ……もう、くすぐったいよぅ……んんっ」
無論、触手は二人にも伸びており、それぞれ何とも言えない反応を見せた。
色々とけしからん絵面になっているが、俺は何も言わなかった。
そう、これはコイツなりの親愛表現なのだ。
決してえっちな事ではない。
「うぅ……エト、本当にこれって親愛表現なの……? ちょっと激し過ぎ、ひゃんっ……」
「すごく喜んでるみたい……魔獣じゃないってわかってくれる人が増えて嬉しいのかも? やっ……もう、だ、だめだよ?」
もう一度言うが、えっちな事ではない。
きっと感情表現が犬に近いのだ。
ほら、犬って嬉しい時に主人をべろべろに舐め回すだろ? 多分それだ。
ちなみに俺は今、顔を触手で舐め回されている。つらい。
◇
「さて、これからどうしたもんか」
けしからんタイムが一段落ついた頃。
粘液でベトベトになった顔を服の袖で拭いながら、俺は吐露した。
「……このまま街に居続けるのは無理でしょうね」
モニカが気の毒そうに魔獣モドキを見る。
魔獣ではない。そうは言っても見た目は魔獣そのものだ。
街の人たちに受け入れられるはずがない。
もはや人族の領域に、コイツの居場所は存在しないのだ。
(何のためにこんな事を……)
誰が、どんな目的で人を魔獣へ変えているのか。
その真意は皆目見当もつかない。
確かなのは、そこに渦巻く悪意だけだ。
(このまま放っておいていいことなのか?)
複雑な心境で魔獣モドキを眺めていると、エトが俺の裾を引っ張った。
「見た目だけでも変えられないかな? その、私みたいに……」
「そうだな。それくらいならしてやれるか」
俺の【月影の女神】ならコイツを適当な動物に偽装できる。
人前で触手を出したりしなけりゃ、効果も持続するだろう。
俺はスキルを発動しようと手をかざした。
『あアあ゛あぁァぁッ……!』
突然、魔獣モドキが叫び声をあげた。
「ど、どうしたの!?」
「わかんない……! 落ち着い……きゃ!?」
エトが落ち着かせようと傍に駆け寄るが、触手を使って彼女を弾き飛ばした。
『あぁ゛、あァあう゛……』
唸りながら魔獣モドキは伏せるような体勢を取った。
その次の刹那、肩のあたりからめきめきと何かが伸びた。
「翼……!?」
魔獣モドキから生えてきたのは、骨に皮を貼り付けただけの貧相な翼膜だった。
ヤツはそれを広げるや否や、夜空に飛び上がった。
「あっ、おい! どこに行くんだよ!?」
魔獣モドキは俺の声を無視して、あっという間に闇夜の彼方に飛び去っていってしまった。
「……どうしちまったんだ?」
その疑問に答える者はおらず、遠くの方で響いたのは悲痛そうな叫びだけだった。
◇
ルトヴィルムの外周を囲む石壁を越えた先にある森林地帯。
そこまで来たところでウルキナは、ゆっくりと下降していった。
地面に降り立つと、近場の木によたよたと近づき、その幹に身体を預けた。
翼があるとはいえ、あまり飛ぶのに適した形状ではない。
ましてや、まともな食事をしていない彼女の体力は非常に衰えており、ここまで来るのがやっとだった。
『……』
ウルキナは無言で夜空を見つめた。
頭に浮かぶのは、自分の慟哭に気づいてくれた同胞の少女の姿。
それから、こんな酷い見た目の自分を理解してくれた彼女の友人たち。
彼女は、彼らと出会えてとても嬉しかった。
とても短い時間だ。本当はもっと長く彼らと居たい。
だけど、彼女はすぐさま彼らから離れる事にした。
鋭敏になった感覚器官が、あいつの気配を感じ取ったから。
『あはっ! いたいた! もう、急に移動し始めたからびっくりしちゃった。私の気配に気づいたの?』
自分をこんな姿に変えた、悪魔のような少女の気配を。
『ああぁあ゛あぁ゛ああ……っ!!』
ウルキナは、精一杯の唸り声をあげた。
歯も舌も失った彼女ができる、唯一の威嚇だ。
外見の恐ろしさも相まって、それなりの迫力がある。
しかし、目の前の少女はウルキナの威嚇に動じるどころか、赤い唇を三日月の形に歪めた。
『うふふ、依代としては不適格だったけど、魔獣としての素質は十分ね』
そう言って少女は、ウルキナに向けて手をかざす。
同時に彼女の腕が粘土をこねるように波打ち、その姿かたちを変えていく。
次の刹那には、まるで昆虫の産卵管のようなものへと変貌していた。
『ああ゛あぁ゛ああっ……!』
その異形の腕を目にしたウルキナは、さらに強く威嚇した。
『あはっ、心配しなくても大丈夫よ。貴女なら、きっと素敵な怪物になれるわ』
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