第144話
「いつの間に消えたんだ……?」
俺が唖然としていると、足元の黒ネズミがキュウキュウと騒ぎ立てた。
俺たちに背を向け、首だけ振り返って何かを伝えたそうに鳴いている。
「ねぇ、もしかしてエトを見つけたんじゃない?」
イザベルが残した言葉に従うなら、こいつがエトの元まで案内してくれるはずだ。
「……案内を頼めるか?」
俺がお願いすると黒ネズミはキュウ、と返事してから駆け出した。
どうやら言葉は通じるようだ。
「……ついてこいってことか。モニカ、追いかけるぞ」
「あっ、ちょっと待ってよ!」
暗がりの中、俺たちはネズミの姿を追って駆け出した。
◇
「うっ……ひどい臭いだな」
「本当ね……鼻がひん曲がりそうよ……」
黒ネズミに案内された場所は、そう遠くない距離にあるゴミ集積所だった。
こういう大きな都市は人口が多いからな。ちゃんとゴミを集める場所が整備されているのだ。
とはいえ、現代ほど整っているわけではない。
定期的に焼却はしてるのだろうが、それでも路面や建物にこびりついた悪臭が鼻についた。
「エト……いるのか? いたら返事してくれ」
本当にここにエトがいるのだろうか。
正直、こんな場所に来る理由がわからない。
しかし、案内してくれた黒ネズミの様子から場所に間違いはないようだ。
「──お兄ちゃん?」
しばらく周囲を探していると、建物の陰──暗闇の奥からエトの声が聞こえた。
「エト? そこにいるの?」
俺とモニカはエトの声がした方向に視線を向ける。しかし、どれだけ目を凝らしても、そこに彼女の姿はなかった。
どうなってんだ? 確かにそこの建物の陰から声がしたんだが。
「ちょっと待ってね……今、魔法を解くから」
俺が暗闇を凝視していると、そんな言葉が聞こえた。
しばらくして、黒いモヤのようなものがその場から霧散していった。
やがて顕になったのは、寝間着を泥々に汚したエトの姿だった。
「エト……!」
真っ先にモニカが駆け寄り、彼女を抱き留めた。
「すごく心配したのよ……!?」
「ご、ごめんなさい……もう少ししたら宿に戻るつもりだったの……」
モニカの胸の中で、エトは申し訳無さそうに眉を下げた。
「……操られていたわけでも、距離を置きたかったわけでもなかったのか」
彼女の言葉から、俺たちが恐れていたことは全て杞憂だったのだと理解した。
傍から見る限り、何者かによって精神が操られている様子はない。
誤魔化している素振りもないし、宿に帰ってくる予定だったというのも本当なのだろう。
「それにしても、何でこんなところに?」
俺が尋ねると、エトは少し困った顔をした。
「えっと、それは……その……」
何やら言い出しにくそうに俯くエト。
どうしたんだ? 俺とモニカが頭にはてなを浮かべている中、それは唐突に響いた。
『あ゛あ゛ああ、あぁう゛あ……』
人のような、獣のような。
そんな形容し難いうめき声。
「な、何!? 今の声!?」
「わからん。ただ、人間じゃなさそうだ」
咄嗟に身構える俺とモニカ。
声がしたのはエトが出てきた場所の、さらにその奥だ。
「あぁ……どうしよ……」
何やら慌てるエトだったが、今はそれどころじゃなかった。
『あぁ、あうあ……』
ずるずると何かを引き摺る音と共に、何かがこちらに近付いてくる。
月光に照らされて顕になった、その姿に。
──俺は絶句した。
「何なの、こいつ……」
モニカは呟きながら後ずさった。
俺たちの前に現れたのは、皮膚の爛れた四足歩行の獣だった。
どこか人間味のある醜悪な顔。血と膿に塗れた剥き出しの地肌。
その悍ましい姿は、まるでホラーゲームに登場するクリーチャーみたいだ。
「こいつがグロリアーナの言っていた魔獣か……?」
この強烈な見た目と腐臭は、確かにアンデッドっぽいが確証はない。
なぜなら、こんな魔獣は前世でも見たことがないからだ。
『ああ゛あ゛あ゛ぁぁあ』
謎の魔獣が口を開くと、そこから無数の触手が伸びた。
どちらかと言えば獣寄りの見た目からは想像できない行動に、俺は焦った。
「やべぇ! モニカ、変身するまで頼む!」
「言われなくてもそのつもりよ!」
モニカは構えた槍の先を魔獣へと向ける。その巨大な穂先に聖属性の魔力が宿った。
そして彼女は聖槍術スキルを発動させる──だが、しかし。
「ま、待って! 殺さないで!」
「エトっ!?」
突然、間に割って入ったエト。驚いたモニカは、強引に槍の軌道を変える。
鋒から放たれた閃光は、エトの頭上を突き抜けて夜空に消えていった。
「ちょっと! 危ないじゃないっ!?」
モニカは声を荒げる。そして怒りを含んだ眼差しをエトに向けた。
危うくエトに風穴を空けるところだったのだ。彼女が怒るのも当然だろう。
エトは申し訳無さそうにしつつも、背後の魔獣を気にかけながら答えた。
「──ごめんなさい。でも、この子は魔獣じゃないから」
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