第137話

「大丈夫そうか?」

「うん……」


 ひとしきり泣いて、エトは落ち着きを取り戻したようだ。

 まぶたを腫らしながらも、その表情は少しだけ穏やかなものになった気がした。


「エレノア、ここから一番近い街のルートはわかるか?」

「にょ? もちろん存じておりますが、どうするのですか?」

「少しだけ立ち寄ろうかと思ってな。流石にこの格好で連れ回すのは酷だろ?」


 答えながら俺は視線をエトへ向けた。

 彼女の服はボロボロで、肌も髪も土で汚れていたからだ。

 あまりこの近辺に長居するのはよくないが、最低限のことはしてやらんとな。


「そりゃ、あんたの言うとおりかもしれないけど……大丈夫なの?」

「モニカ殿の懸念はごもっともですぞ。街の衛兵などにもエト殿の件が通達されている可能性があります……」


 不安そうにする二人。その不安を払拭してやるべく俺はにかっと笑って親指を立てた。

 

「まぁ、俺に任せとけって」



 ◇



 そんなわけで俺たちは、ルイドール領にある都市ルトヴィルムを訪れた。

 領主邸のある都市らしく防壁が街を囲み、壁門ではしかめっ面をした兵士が検問を実施していた。

 俺たちはその待機列に並ぶことにした。


「……よし、通っていいぞ。次!」


 検問は半ば流れ作業と化しており、少し待つだけで俺たちの番になった。


「何か身分を証明するものはあるか?」

「あぁ、これでどうだ……モニカも出しておけ」

「わかったわ」


 ふてぶてしい顔をした兵士に、俺とモニカはギルドの登録証を提示した。


「ふむ、橙級なら問題はないな。後ろの二人は?」


 兵士は記帳しながら、エトとエレノアへ視線を向けた。

 すかさず俺はその質問に答える。


「この眼鏡をかけたヤツはウチの荷運びポーターだ。収納魔法が使えるから雇っている」

「えぇ、この通りですぞ!」


 俺の説明を補足するように、エレノアは【収納】魔法を発動させた。

 そして空間から魔獣の素材を取り出して兵士に見せた。


「なるほどな」


 それを見た兵士は納得したのか、特に問題がなさそうな顔で手元の用紙に何かを書き込んだ。


「それからこの子は──」


 続いて俺は、エトに羽織らせた外套のフードを下ろした。


の子だ。よく似てるだろ?」


 フードの下から顔を覗かせたのは、の少女だった。

 淡い翠色の髪。ちょっぴりツリ目だが愛嬌のある顔立ちは、幼い頃のモニカにそっくりだ。

 言うまでもないが、このリトルモニカはエトである。俺の固有スキル【月影の女神】によって、その容姿を偽装したのだ。


「ふむ、疑うまでもないな。よし、通って良いぞ」


 兵士の男はモニカとエトの顔を交互に見比べると、納得したように頷きながら街に入る許可を出した。


「どうもー。ほら、二人ともいくぞ」

「う、うん……」


 それを聞いて俺はモニカを抱き寄せ、さらにはエトの手を繋ぎながら門を潜り抜けた。


「ちょ、ちょっとひっつき過ぎじゃないの……?」

「なんで恥ずかしがる必要があるんだよ。俺たち夫婦なんだしさ? ほら、エトもママに言ってやれ」

「ふえっ……? あっ……ま、ママとパパは仲良しがいいな……!」

「……っっ!」


 どさくさ紛れて何をやってるんだと思うかもしれないが、これにはちゃんとした意味があった。

 夫婦として自然に振る舞い、門周辺の兵士に疑念や違和感を抱かせないためである。

 俺が持つ【月影の女神】の効果は、月の光を浴びた全員が対象だ。

 しかし、広い効果範囲を持つ反面、その効力は月の光の強さに依存してしまう。つまり、光が薄い日中だと、ちょっとした違和感から偽装に気付いてしまう恐れがあるのだ。

 さらに言えば新月の日は効果が完全に切れてしまう。当然といえば当然だが。


「ふぅ、これだけ離れりゃ安心だな」


 門からしばらく進んだところで、俺はモニカの肩に乗せていた手を離した。


「よし、それじゃ適当に服屋を探して……ってどうしたんだお前?」


 隣に視線を向けると、モニカが顔を赤く染めていた。そりゃもう、茹でダコのように真っ赤に。

 小さい頃から戯れ合う仲だというのに、何を今更恥ずかしがってんだか。

 

「なんでもないわよっ! さっ、早く行きましょ!」

「にょほほほっ……モニカ殿は役得ですなぁ」


 エレノアが気色悪い笑みをモニカに向けた。


「う、うるさいわねっ! さっさと案内しなさいよ!」

「にょほおぉぉぉ!? そんなに強く引っ張らないでくださいませ! う、腕がもげっ!?」


 モニカはエレノアの手を引ったくると、そのままずんずんと先に進んでいく。

 無論、小柄でステータスも低いエレノアは彼女の腕力に敵うはずもなく。

 まるで帰宅を拒む犬っころのように、ずるずると石畳を引き摺られていくのだった。


「何やってんだ、あいつら……。悪いけど少し早歩きで行くぞ?」

「う、うん……わかった」


 俺は呆れながらも先ゆく二人の後ろをついていった。



 ◇



「にょほっ! ここにしましょう! 我の良店を見つける感覚器がびんびんと反応しておりますぞ!」


 しばらくして俺たちは、一軒の服飾店に辿りついた。

 発展途上のこの世界じゃ珍しく、小洒落た外観の店だ。俺には良し悪しがさっぱりだったが、店舗や立地を見る限り悪くはなさそうだ。


 店内に入って最初に目にしたのは、壁の棚にずらりと並んだ生地だった。

 ロール状に纏められたそれらは色相ごとに丁寧に陳列されており、木棚を華やかに彩っていた。

 平民用の店でここまで色を揃えているのは珍しい。


「わっ……可愛い……かも」


 傍らでモニカがぽそりと呟いた。

 彼女が見ていたのは、木製のマネキンに着せられた女性用の服だった。

 こちらも平民向けとは思えぬデザインで、現代の服を見慣れた俺でも素直に可愛いと感じた。


「にょおお……やはり我の勘は正しかったようです! 見てくださいケント殿! これだけの品がたったの銀貨一枚ですぞ!」

「そりゃ、とんでもない安さだな」


 見たところ生地感は全く安っぽくない。

 庶民ご用達の安価な服とは明らかに異なる質感だ。

 これほどの品質なら貴族や豪商相手に銀貨20くらいで売られてそうなものである。


「しかし、いったいどうやってこの低価格を実現したのでしょう? この滑らかで優しい手触りは、恐らく〝デッドクラウラーの繭糸〟で織られた生地……。これでは原価率が高いどころか、販売価格を大幅に超えてしまっておりますぞ……?」

「──あらぁ、お嬢ちゃん。そんなに気になるのん?」

「えぇ、それはもう。我も生産職ですから。気にならないはずが……にょえ?」


 不意に響いた野太い声。エレノアは間抜けな声を上げながら後ろを振り返った。


「うふふ。〝妖精女王の秘園ティターニア〟にようこそ。歓迎しちゃうわぁ──素敵な妖精さんリトルフェアリーたち」


 彼女が振り向いた先には、はち切れそうなほどの筋肉バルクで彩った、屈強な男が立っていた。

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