第136話

「ここまで来りゃ大丈夫か」


 街道から大きく外れた森の中で、俺たちは足を止めた。

 後ろを振り返ってしばらく耳を澄ませてみたが、追跡されているような気配はない。


「ぜぇぜぇ……そ、そのようですな。我の〝全能の眼〟にも反応はありませぬ。」


 エレノアの【熱探知】にも反応は無いか。なら安心だな。

 俺たちはあの場から上手く逃げ出すことに成功したようだ。


(それにしても流石の偽装能力だな……昼間は効果が半減するのがネックだが、それを補って余りある性能だ)


 もはや説明不要な気もするが、俺が使用した【月影の女神】は【月の雫】の再現である。

 このスキルには生命力吸収以外にも、人の認識に作用する強力な偽装隠蔽能力があった。

 いつぞやの京都の戦いで、昼が夜になったりスケルトンが未知の魔獣に見えたりしたアレの事だ。

 今回はそっちの能力を活用してあの青年から逃げ出したというわけだ。


 ぶっちゃけ頑張れば勝てそうな気もしたが、そこまでして戦うメリットはない。

 俺が持つ【名もなき死】の代償は寿だからな。

 あのまま戦ってれば、何度か即死レベルの攻撃を受けるのは必至で、あっという間に寿命がなくなっちまう。


「しかし、驚きましたぞ。何か策をお持ちとは信じておりましたが、流石の我もは予想外でした……」

「同感だわ。とりあえず逃げるの優先で黙ってたけど、あんた心臓に悪すぎるわよっ!?」


 安全が確認できたことで緊張が解けたのか、モニカとエレノアは思っていた言葉を吐き出した。

 その表情には怒りやら心配やら、とにかく色んな感情が入り混じっている。

 まぁ、そりゃそうだよな。俺が胴体を真っ二つに両断される様子を間近で見たわけだし。


「心配かけて悪かった。けど、この通りピンピンしてるぜ。あれが俺の【神の数字ナンバーズスキル】なんだ。俺は色んなナンバーズスキルを再現できるんだよ」

「ふむ、流石は勇者のスキルと言ったところですな。ですが、痛みはあるのでしょう? であれば、あまり無謀な事はしてほしくないですぞ……」

「エレノアの言う通りよ。あんまり無茶しないでよね」


 そう言って表情を暗くするモニカとエレノア。……こりゃ代償のことは伏せていた方が良さそうだな。余計な心配をかけちまうだろうし。


「悪かった。けどそんなに不安にならなくても大丈夫だぜ。良くも悪くも奥の手だからな。積極的に使うつもりは最初からないさ」


 そもそも寿命がもたねぇしな。


「それより、まずは今後のことだ」


 俺は話題を切り替え、件の少女へと目を向けた。


「え、あ、あの……その……」


 それまで黙って会話を聞いていた彼女だったが、俺たちの視線が自分に向いたのを感じ取ってビクリと肩を震わせた。

 先ほどの青年が言っていた事を気にしているのだろう。


「心配すんな。別にアイツの言うことなんか信じてねーからさ」

「そうよ。あからさまに取ってつけたような理由だったし、あんなの真に受けないわよ」


 言いながらモニカは少女の前まで歩み寄り、姿勢を低くする。

 それから彼女へ優しく問いかけた。


「何があったか教えてくれない? えっと……名前はなんて言うのかしら?」

「エト……」

「エト……いい名前ね。それでエトはどうしてここに? 追われてる理由に心当たりはある?」


 モニカの質問にエトはふるふると首を振った。


「……よくわかんない。お家で寝てたはずなのに気付いたら知らない場所にいて……それで怖くなって逃げてきたの。それでしばらく森に身を隠してたんだけど、さっきの人が来て……」

「なるほど……誘拐されたようですな。失礼ですがエト殿の住まいはどちらに?」

「えっと、アウロラピアってところ」

「ア、アウロラピアですとっ? それは真ですか!?」


 エトの答えを聞いたエレノアが驚きを見せた。


「聞いたことのない地名だな。遠いのか?」

「遠いどころではありませんな。南部大陸にある魔族の国です。これはますます怪しくなってまいりましたぞ……」


 同じ不審感を俺は抱いていた。

 少なくとも奴隷にして売り捌く事が目的ではなさそうだ。

 奴隷の首輪が嵌められていないのもあるが、それ以前の問題だ。わざわざ別の大陸から拉致してくるなんて、とてもじゃないが割りに合わないだろう。


「ねぇ、この子、あたしたちと一緒に来たらいいんじゃない? どのみち中央大陸に渡る予定なんだし、その途中でアウロラピアに送ってあげればいいのよ」

「そりゃ名案だな。エレノア、南部大陸を経由できるか?」

「特に問題ありませぬ。我らには魔導騎竜ドラグナーがありますからな。多少距離が伸びたところで大した影響はないでしょう」


 決まりだな。今の時点で彼女を誘拐した首謀者を探し出すのは困難だろうし。

 それよりも彼女を故郷に送ってやったほうがいい。


「エトもそれでいいか?」


 俺はエトに訊ねる。すると、彼女はぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「だ、大丈夫か? 別に無理しなくても大丈夫だからな? 出逢ったばかりの俺たちを信用しろってのもなかなか勇気がいるだろうし……」

「ううん、そうじゃないの……お家に帰れるだって思ったら……勝手に出てきちゃって……」

 

 ……そりゃそうだよな。

 いきなり得体のしれない奴らに捕まって、見知らぬ土地に連れてこられて。

 上手いこと逃げ出しても、そこから帰る手段がないなんて辛すぎるもんな。

 むしろ今まで泣き出さずにいたことが驚きだ。


「大丈夫よ……ちゃんとあたしたちが家まで帰してあげるからね」

「うぅ……うえぇぇん……っ!!」


 モニカはエトを優しく抱き寄せる。すると彼女はさらにぼろぼろと泣き出した。

 ようやく得られた安心感。それが彼女の秘めていた感情を押し出したのだ。


 わんわんと泣くエトの髪を、モニカは何も言わずに撫でていた。

 その様子を俺とエレノアは黙って見守った。

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