第135話

「はっ……?」


 思わず間の抜けた声が溢れた。

 いったい何が起こったのか、なんて惚けた台詞を吐くつもりはない。

 俺の腕が千切れ飛んだ理由は、ちゃんと理解している。


 ──剣を振るっただけ。


 目の前の青年が見せた行動は、それだけだ。

 恐らく放たれたのは魔法剣の類いだろう。間合いの外から斬撃が飛んできたのもそれで説明がつく。


 ──ただ、それはあまりにも速すぎた。


 速すぎて、回避どころの話じゃない。

 前世で同等のステータスを持っていたからこそ分かる。

 奴のステータスは、前世の俺に匹敵する。


「ケントっ……!」「ケント殿」

「来るなッ! お前らじゃ無理だッ!」


 負傷した俺を見て駆け出そうとした二人を、俺は強い言葉で制止した。

 目の前の青年がナンバーズスキルを持つ理由はさておき、その効果は恐らくステータス強化だろう。

 だとすればモニカやエレノアでは絶対に勝てない。

 残念だが、連携も、策略も、圧倒的なステータスの前では無意味なのだ。

 この俺が言うんだ。これ以上に説得力のある言葉は他にあるまい。


「でも……」

「心配すんな。お前らが死ぬと取り返しがつかねーけどよ。俺に限っては、まだまだがあるからさ」


 心配そうにするモニカに向けて、俺は余裕をたっぷりと含んだ笑みを送った。

 もちろんこれは虚勢なんかじゃない。

 なぜなら俺には、死の概念が存在しないからだ

 

「……腕を失っても戦意を失わないか。この俺に喧嘩を売るだけあって、それなりの胆力は持ち合わせているようだな」

「くそ痛えーけどな。けど、これくらいじゃビビらねぇよ。なにも隠し玉を持ってるのは──お前だけじゃねーからな」


 彼の言葉に、俺は笑いながら返した。


「……」


 青年は無言のまま眉をひそめた。

 俺が言い放った言葉の意図が全く理解できない。そんな顔をしている。


「そんな顔するなって。見てりゃすぐわかる──神の虚数オルタナンバーズ


 そして俺は紡いだ。

 圧倒的なステータスを持つ強者。ソイツに対抗しうる、俺の切り札を。


「そんな余裕を与えると思ったか?」


 唇を動かす刹那に間合いを詰めた青年が、その凶刃を躊躇いなく振るう。

 煌めく一閃が俺の胴体を引き裂いた。

 一つの身体が二つに分離していく、そんな奇妙な感覚。

 死ぬほど痛いが、それでも俺は笑いを堪えることができなかった。

 何せ死に際が派手であればあるほど、ヤツに一泡吹かせることができるからな。


「……【名もなき死ドライツェーン】」


 言葉と同時に、何もかもが巻き戻る。

 臓器も、血液も、千切れ飛んだ片腕も。

 寿命じかんという対価を払って、俺は全てを巻き戻す。

 もはや剣如きでは俺を殺すことはできない。


 ──なぜなら俺の時間は、既に静止死んでいるのだから。


「……ッ!?」


 まるで幽鬼の類いを目にしたかのような、そんな表情を彼は見せた。

 そりゃビビるだろうな。回復不能な致命傷を負わせたはずの相手が、数秒後には無傷でピンピンしてんだから。


 ま、そんなことはどうでもいい。

 敵さんが驚いている今、俺が取るべき選択はただ一つ。


「驚いているところ悪りぃけど、そろそろ退散させてもらうぞ。神の虚数オルタナンバーズ──月影の女神アハツェーン



 ◇



「何だ……これは……?」


 黒級冒険者──マハトは抱いた疑問を口にせずにいられなかった。

 驚異的な再生能力を操る謎の青年と、その仲間と思しき二人の少女。

 そして自身の標的である魔族の少女。


「どこに消えた……いや、ここはどこだ?」


 先ほどまで目の前にいた彼らの姿が、忽然と消えてしまったのだ。

 転移系の魔法? それとも幻覚の類か?

 わからない。何もかもがマハトには理解できない。たった今起きた現象について理解しようとすると、彼はまるで頭に霧がかかったかのように思考できなくなるのだ。


「クソッ! なんだ!? なんなんだこのはッ!? 俺の思考に入ってくるな!?」


 思考しようとすればするほど彼の頭に浮かぶのは、とある光景だった。


 ──それは、満月だ。


 真っ黒に塗りつぶされた世界。黒染めの空に浮かぶ月。

 それが脳内に焼き付いて離れない。

 

 これはいったい何の魔術だ?

 そもそも俺は誰を探していた?

 俺は彼女を──彼女とは誰だ?

 誰から、何のために?


「くそォ……俺の中に入ってくるなッ!?」


 心が侵食されていくような感覚に、マハトは堪らずナイフを抜き出した。

 そして躊躇いなく自分の太ももに突き刺した。


「ハァハァ……くッ……」


 激しい痛みが彼の思考を澄み渡らせる。

 月影の女神アハツェーンがもたらす欺瞞の権能は非常に強力だ。しかし、彼は強靭な精神力によってそこから自力で脱した。


「してやられたか……」


 マハトは周囲を見回すやいなや、歯痒そうに呟いた。

 先ほどまで自身を支配していた権能の気配は消えた。しかし、それでも彼らの姿が見えないということは、逃げられたということだ。そう彼は理解する。


「……確かケントと呼ばれていたな」


 それだけ呟くと、彼は太ももに突き刺さったナイフを引き抜いた。

 銀色の刃先から垂れ落ちる赤い雫。朱色に滲む衣服。

 それなりに深い傷。しかし、マハトはそれを気に留める様子もなく、そのままゆっくりと歩み始めた。

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