第113話

 タロッサの街──四街区。

 大通りや商業地区から少し外れたそこは、安価な共同住宅アパートが建ち並ぶエリアだ。


「すーぐデレデレして……こっちの気も知らないで……あのバカ!」


 苛立ちを言葉にしながら、モニカはその閑静な路地を一人歩いていた。

 特に目的地はない。胸に渦巻くモヤモヤを吐き出すのに、ただ静かな場所に行きたいと思ったからだ。


「わざわざ冒険者にまでなってるんだから、少しくらい気付きなさいよね……! ほんと鈍感なんだからっ!」


 彼に対する恋心を抱いているからこそ、湧き出す不満。

 伝えてすらいない気持ちに彼が気付かないのは当然なのだが、モニカにはそれがわからなかった。

 幼い頃から共に過ごしてきた彼女にとって、これくらいは〝気付いて当たり前のこと〟なのだ。


 それほどまでに、二人の距離は近すぎた。



「はぁ……何やってんだろ、あたし」


 しばらく歩いた後、嘆息と共に吐き出す。それから彼女は路肩に積まれていた木箱に座り込んだ。

 ひと通りの不満を吐き散らしたら、急に冷静な気持ちになったのだ。


「乙女ですなぁ……」


 そんな彼女の肩に手を置いたのはエレノアだった。彼女は住宅の合間の空を仰ぎ見て、しみじみと吐露した。


「っ!? あんたいつの間に!?」

「にょほほほ! モニカ殿が心配でしたのでな。我の〝全能の眼プロピデンス〟なら探すのも容易いですし」

「あっそう……気持ちはありがたいけど、今はあんたに優しくできる自信ないわよ……」


 そう言ってモニカはそっぽを向いた。

 実のところ彼女は既に知っていたのだ。

 昨晩、エレノアが彼の部屋にいた事を。


 ドア越しに聴いた会話は不鮮明だ。だが、それでもエレノアが彼に好意を抱いており、その想いを本人へ告げたところまでを彼女は知ってしまった。


「はぁ……あたしにもあんたみたいな図太さが欲しいわ」


 そして彼女は自覚している。

 これがただの嫉妬心だということも。

 悪いのは素直になれない自分ということも。

 それでも、言葉にせずにはいられなかった。


「にょほほほ! 本当にモニカ殿はケント殿が好きなのですなぁ」


 理不尽極まりない妬み文句を受けても、エレノアは気にしない様子で言う。


「な、なによ? し、仕方ないじゃない……小さい頃からずっと一緒なんだから……。だから、その分あいつの良い所もいっぱい知ってるわけで……そしたら好きになってたんだもん」


 もじもじしながら答えるモニカ。そんな彼女の髪をエレノアはそっと撫でた。


「にょふふふ、それで良いのですよ。その気持ちをそのまま彼に伝えればよいのです。伝えなければ、一向に前には進みませんぞ?」

「……それができたら、こんなとこでウジウジしてないわよ。それに、あんたも好き……なんでしょ? なのに、なんで……」


 言ってしまえば、エレノアは仲間であると同時に恋敵である。

 それも恋愛に関して自分より行動力のある強敵だ。

 それなのに、どうして彼女は敵に塩を送るような行動を取るのか。

 モニカには、それが理解できなかった。

 

「まぁ、そうですな。確かに我はケント殿のことが好きです。ですが我はその……特殊といいますか……別に二番目の女でも構わないのです」

「……は?」


 エレノアのよくわからない答えに、モニカが怪訝な表情を見せた。


「いいですか? 我の最推しはローゼンハイム卿です。次席がレイガード様、その次がコーネル伯爵なのですが、ケント殿は彼と同列ですな」

「ちょ、ちょっと待って? いったい何の話をしているの?」

「なにって……推しの話ですぞ? 我は〝推し多き乙女〟ですからな。故に、たとえケント殿の推しが多くとも、我はそれを非難する立場にありませんぞ。そもそも恋愛感情の定義自体、曖昧なものであってですな。貴族社会では一夫多妻などごく当たり前であるからして──」

「ちょ、ちょっと! ストップ! 止めなさい!」


 何やら早口で熱弁し始めたエレノアに対して、額を抑える仕草を見せるモニカ。


「にょほ? まだ伝えたい事の五分の一も語っていないのですが……」

「いや、もういいわよ……とりあえずあたしが気にしすぎだってことは理解できたから」


 モニカは呆れた様子で呟いた。エレノアの持つ独特の恋愛観を耳にして、それまで抱いていた嫉妬や不満の感情が一気に吹き飛んでしまったのだ。


「はぁ……あたしの今までの気持ちはいったい何だったのかしら……」

「にょにょ!? 何やら失礼な物言いですな!? 言っときますが、ケント殿の最推しがモニカ殿になるかどうかは、まだわかりませんぞ!? それはモニカ殿のアプローチ次第ですから、こうして我がアドバイスをですな──」

「はいはい、わかったわよ。それについては感謝するわ。おかげさまで気持ちも少し落ち着いたし……ありがとね」


 また早口トークが始まる。そう予感したモニカは、早々に彼女の言葉を遮ってお礼を告げるのであった。



「ま、落ち着いたら何よりですぞ。それでは宿に戻りましょうぞ」

「そうね。そうするわ」


 モニカは頷いてから立ち上がる。

 それから歩き出そうとした彼女の動きを、エレノアの手が制止した。


「少しお待ちくだされ。何やら身を潜める熱源があります」

「熱源……? 誰かいるってこと」

「端的に言えば、そういう事ですな。それも複数──どこぞの不埒者かは存じませんが、我の〝全能の眼〟を前にして奇襲は無意味ですぞ!」


 声を張り上げながら眼鏡をクイッと上げる仕草を見せるエレノア。

 すると周囲の路地の陰から、ぞろぞろと男たちが姿を現した。

 善良な市民というよりかはゴロツキという言葉がよく似合う。そんな風貌をした者たちだ。


「チッ……バレちまったら仕方がねーな。予定と少し違うが、ま、問題ねぇか」


 リーダー格と思しき男がそんな事を言いながら武器を抜いた。他の男たちも彼に続いて各々の得物を構える。


「ちょっと。何よ、あんたたち……!?」


 あからさまな害意を向けられ、モニカが声を張り上げた。


「その問いかけは無意味ですぞ、モニカ殿。どう見ても暴漢か人攫いの類でしょう。まさかこんな街中で──それも白昼堂々仕掛けてきたのは驚きですが。それよりモニカ殿は構えてくだされ。言っときますが、我の戦闘力はアテになりませんぞ? まだゴルドレッドの魔石を補充しておりませんからな」

「いや、そんな自信満々に〝役立たず宣言〟ができるあんたも結構どうかしてるわよ……ああもう、面倒ね。あんたたちが売った喧嘩なんだからね。怪我しても文句は受け付けないわよ? ──【白聖衣クロス】ッ!」


 モニカは購入したばかりの大槍──ペネトレーターを【収納】ポーチから取り出すと、スキルを発動させる。真新しい鎧の表面を白い魔力が包み込んだ。


「なるほどな。これがアイツの言ってた強化スキルか……お前ら注意しろよ?」


 男が合図すると、二名の男が飛びかかった。

 神速にはほど遠いが、それでも相当な速度だ。

 この事から彼らがそれなりに高いステータスを有していることが伺えた。


「二人がかりで来ようが関係ないわよっ! 【穿光ピアッシングレイ】ッ」


 モニカは臆することなくスキルで迎え撃つ。

 閃光を纏った槍撃は男のうち一人を弾き飛ばしたものの、もう一人は止まらない。仕方無しに相手の剣を槍の柄で受け止めた。


「くっ……!」

「ひひ、お嬢ちゃんは初めてか? 多人数相手に不用意にスキルを放つのは悪手だぜ?」

「忠告のつもり? もしそうなら余計なお世話よっ!」


 モニカは声を荒らげながら、強化された腕力で男を強引に押し返した。体勢を崩した男に向けて槍を突き出そうとするが、別の男が切りかかってきたのでステップで回避する。

 その直後には別の男が投擲したであろうナイフが数本、彼女やエレノア目がけて飛来する。モニカは槍を振って、それらを全てを叩き落とした。


「やるじゃねぇか。でも休んでる暇は無いぜ!?」


 次から次へと襲い来る男たち。その連携は見事なもので隙がない。

 さらには意図的にエレノアを狙った攻撃まであり、モニカは対応を余儀なくされていた。


「……っ! 次から次へと……!」

「にょにょ……ならず者にしては、なかなかの手練ですな。くぅ、このような時こそゴルドレッドの出番だと言うのに……!」


 多人数を相手にする場合、まずは頭数を減らすのが一番だ。

 モニカはそれを理解しており、何とか反撃を試みようとしているが上手くいかない。

 男たちの連携が取れているというのも理由の一つだが、それ以前に彼女自身、対人戦闘における槍の扱い方に慣れていないのだ。


「おーい、お友達の隣がガラ空きだぜぇ?」

「にょおぉっ!?」


 しばらく剣戟が続いたところで、いつの間にかフードを被った男がエレノアまで接近。その首にナイフを突きつけていた。


「しまっ……!」


 モニカの意識がエレノアに向いた、その刹那。飛来したナイフがモニカの大腿部に突き刺さった。


「痛っ……!」

「モ、モニカ殿っ……!」


 痛みに膝をつくモニカ。同時に彼女は、自分の身体から力が抜けていくのを感じた。

 リーダー格の男が、その様子を見て不敵に笑う。


「どうだ? 魔力が掻き乱されて思うように力が出せないだろう?」

「あ、あんた、いったい何をしたの……?」

「さぁな。依頼人からのプレゼントなもんで詳しくは知らねぇよ。俺が聞いたのはアンタを弱体化させる薬だっつーことくらいだ」


 男はわざとらしく肩を竦めた後、空になった薬瓶を放り捨てた。

 それからモニカの下まで歩み寄り、その髪を掴んで強引に顔を引き上げた。


「このっ……」

「へぇ、なかなか上玉じゃねぇか。それじゃ一緒に来てもらおうか」


 男はそう吐露してからモニカの口布を押し当てる。催眠薬がたっぷり染み込んだそれによって、彼女はあっと言う間に意識を失った。


「モニカ殿っ!? な、なんと卑劣な……か弱き乙女相手にこのような事をして恥ずかしくないのですか!?」


 一連の様子を見ていたエレノアが叫ぶが、男たちは下品な笑みを浮かべるだけだった。


「兄貴、この芋臭い女はどうします? 始末しておきますか?」

「あぁ? そうだな。売り物にすらなんねー見た目だし、街の外に連れ出して処分しとけ」

「わかりました……おら、行くぞ」


 リーダー格の男の指示を受け、フードの男がエレノアを強引に担ぎ上げようとした。


「ふっ、我を舐めてはいけませんぞ!!」

「あっ!? てめぇッ!? 待ちやがれッ!?」


 ナイフが首元から離れた、その一瞬の隙を突いて彼女は駆け出した。

 それと同時に詠唱を開始する。


『──〝拘束解除リリース〟! 地を駆けよ、魔導戦車クアドリガ!』


 エレノアが異空間から取り出したのは、とある乗り物だった。

 平行に配置された二つの車輪と、車輪間を繋ぐプレート。

 そしてプレートの中心から垂直に伸びる持ち手が特徴的な、立ち乗り式の車体だ。


 その特異な形状を現代的に説明するならば、体重移動式の平行二輪車。


 ──つまりは、一時期、話題になったである。


「とうっ!!」


 エレノアは自律して並走するソレに飛び乗ると、すぐさま前傾姿勢を取る。そんな彼女の動きに合わせて魔導戦車クアドリガはぐんぐん加速していく。


「速ぇ!? なんだよ、あの変な荷車は!? クソッ!」


 彼女を追撃しようと男がナイフを取り出すが、もう遅い。

 狙いをつける頃には、既にエレノアの姿は見えなくなっていた。



 ◇



(待っていてくだされ、モニカ殿! すぐに助けを呼んでまいりますぞ……!)


 砂煙を巻き上げながら、市街地を爆走するエレノア。

 奇怪な光景に通行人の視線が集まるのも気にせず、ひたすら走る。

 そんな彼女が向かう先は、ただひとつだ。


(──ケント殿!)

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