彼の居ない世界で 其の参

 ──彼が居なくなって、ひと月が経過した。


「……はぁ」


 神奈川県、多摩川

 向う岸に広がる荒野東京を一望しながら、私は深いため息を吐いた。


「なんじゃ、辛気臭い顔をしよって。我が家が恋しくなったのか?」


 そんな私を見て、隣に立つユーノがそんな事を口にする。

 ……わかってるくせに。そんな不満を浮かべながら、私は答える。


「ウチなんてまた買えばいいんで。つか、そもそも未練はないっすよ。親父も家が新しくなったっつって喜んでるくらいっすから」


 狐塚局長の言う通り、東京都の魔素濃度が著しく上昇、魔獣がダンジョン外を闊歩するようになってしまった現在。もはや東京という土地そのものに未練などない。都会に住みたいと思うのは、そこがからなのだ。人外魔境となった今の東京の不動産価値はもはやゼロにも等しい。一応ながら、今でも土地の所有権は有効らしいけど。


「ま、それもそうか。妾はちと寂しいのう……彼処あそこは、あやつの家は、妾を受け入れてくれた場所じゃからの」

「ユーノに取ったらそうかもっすね。なおさら、早くパイセンには帰って来てもらわないと」

「うむ。その為にも色々と試さねばならぬな」


 ユーノとそんな会話を繰り広げながら──私はひと月前のやり取りを思い出す。



 ◇



「パイセンを生き返らせる……?」


 琴音が放った言葉を、私はオウムのように繰り返した。いつの間にか局長の襟首を掴む手が弱まり、足元で彼がドサリと尻もちをついた。


「そ、それはどういう意味なの……かな?」


 私と同じような表情をしたまま瑠璃子が彼女へ問いかける。当然の疑問だ。本来、死人が甦ることなど、到底あり得ないのだから。

 だけど私は琴音の言葉に興味を惹かれていた。


 なぜなら彼女は──


「そのままの意味や……別に小難しいことは言うてへんで。なんせウチは既にやからな」


 その一言に、私は確信した。


「──〝日坂朱音〟の事っすね」


 彼女のスキルは──死者を甦らせる類だと。


「あぁ、その通りや。朱音はウチが甦らせた。ウチが手にしたナンバーズスキルによってな」


 日坂朱音という存在について、パイセンから少しだけ話は聞いていた。琴音が手にしたナンバーズスキルによって生き返った特殊な存在だと。

 正直に言えば、聞かされた当時は『あぁ、またダンジョンの摩訶不思議な力か』程度の感想しか浮かばなかった。

 なぜなら、あくまでもそれが他人事だから。例えば『初の人間クローンに成功!』みたいなニュースが流れたとしても、『へぇ、科学技術の進歩ってすごいな』くらいの感想しか浮かばないのと一緒だ。そのビッグニュースの裏側に関係者や研究者がどれほどの〝想い〟や〝願い〟があったとしても、ニュースを見ている第三者にとっては、まるで興味がないのである。

 

 だけど、今は違う。


「そっすか……そっすよね……」


 大切な人を失った今。その当時抱いた感想はまっさらに塗り潰されて。今はこの死霊術師ネクロマンサーの少女が、希望の女神に思えた。


「それで、どうすれば賢人は甦るのじゃ!? お主がスキルを使えばすぐなのか!?」

「そんなにがっつかれても今すぐは無理や。まずは……」

「ど、どうして? もし魔力が足りないなら、私が【魔力譲渡マナヒール】で……」

「ちょいちょい! 順を追って説明するから少し落ち着き!」


 食い気味の二人を落ち着かせながら、琴音はパイセンを甦らせる方法について説明を始めた。


「そもそもスキル発動には条件を満たす必要があるんや」

「条件、っすか?」

「ああ、せや。あんちゃんを生き返らせるには、そこをクリアせなあかんのやけど……残念やけどこの条件はウチらにも一切わからん。つまりはノーヒント。森の中で木を探すようなもんや」

「そうなんだ……ちなみに朱音ちゃんの時はどうしたの?」

「朱音の時はスキルを得た時点で既に発動条件が満たされとったんや。あん時はそうやな……ただ、もう一度朱音に会いたい、そう願ってたくらいや」

「……ふむ、想いが発動条件なのかの? だとしたら妾たちの想いが劣っとるとは思わんがの……」


 早くも手詰まりに見えた。せっかく彼を生き返らせる手段が見つかったというのに。


「あのー、その件についてですが。私からも説明してよろしいでしょうか?」


 そう言って手を挙げたのは狐塚局長だった。私が掴み上げて乱したスーツをいつの間にやら整え、いつもの胡散臭い笑みを浮かべている。


「これから彼を甦らせるにあたって──まずはダンジョンという存在。それから、もう一つの世界について知る必要があるでしょう。後は……そうですねぇ……貴女方がこれから何をすべきかも、ね?」


 そう前置きした後、狐塚局長はゆっくりと語り始めた。


「まず初めに。ダンジョンとは、こことは異なる世界──異世界の産物なのです。そこに巣食う魔獣も、天職やスキルと呼ばれる能力も。その全ては異世界からもたらされたのです」


 初っ端から嘘みたいな話が、狐塚の口から飛び出した。だけど、その言葉にからかうような意図は一切含まれていない。これこそが真実であると、そう言わんばかりの真面目な口調だ。


「突拍子もない話じゃが、まぁ信じよう。妾自身の存在も含めて、その方が腑に落ちるからの」


 ユーノが冷静に答えた。

 彼女自身、亜人と呼ばれる別の種族だ。だからこそ、こんな嘘くさい話でもすんなりと飲み込めるのだろう。


「理解が早くて助かりますねぇ。流石は【叡智トーラの書】を持つ方だ」

「ふん、世辞はよい。それよりもじゃ。なぜ異世界の産物なんぞが、この世界に在るのじゃ」

「それには色々と深いワケがありまして……ざっくり結論だけ先に申し上げますと、馬原さんを殺した存在──の持つ能力スキルが関係しています」


 狐塚局長曰く、魔王と呼ばれる存在は世界に干渉するスキルを持ち、異世界とこの世界を融合しようと目論んでいる。その過程で、この世界にダンジョンやスキルシステムと言った概念が現れたとの事。そして狐塚自身はその目論見を阻止すべく、の世界から転生してきたと言うのだ。


「魔王、世界の融合……なんか壮大な話になってきたっすね。ぶっちゃけ嘘くさいっすけど……まぁ、今は信じるっす」

「いやはや、ありがたいですねぇ」

「でもそれがホントだとして、どうしてそんな事を? スキルも魔法もなかったウチらの世界を、その魔王とやらが狙う意味がわからないっすよ」

「それは魔王が一度、敗れているからですよ。彼に唯一勝る存在……わかりやすく言えばってやつにですねぇ。要するに地球ここは、彼の避難先なわけですよ。誰にも邪魔されずに理想郷を作るための箱庭ってわけです」


 確かにそれならば、自分を死に至らしめるような相手が存在しない事になるのだろう。

 現代に存在する天職やダンジョンが、あくまでも魔王とやらが干渉した結果だというのなら。自分を殺す存在まで、わざわざ呼び込むはずがないのだから。

 もっとも、それに巻き込まれる私たちはたまったものじゃないけど。迷惑にも程がある。

 ユーノは私と同じ感想を抱いたらしい。呆れた様子で吐露した。


「なんと、はた迷惑なやつなのじゃ……じゃが、そのお陰で妾がここに存在していると思えば複雑な気分じゃの」

「お気持ちはわかりますよ。……話を戻しますが、このまま放置すれば世界は一つに統合されます。当然ながら異世界あちらにも影響がでます。ですから私はこの場所に来たというわけです」


 狐塚局長は、一旦そこで話を区切った。それから何かご質問は、とでも言いたげな表情で私たちの顔を順に眺めていく。恐らく私たちが話についていけているかを確認しているのだろう。そんな彼に、瑠璃子が質問を投げかけた。


「ダンジョンの成り立ちについては理解しました。結局、私たちは何をすればいいのでしょうか? どうすれば……賢人さんを生き返らせる事ができますか……?」


 私たちが、心の底から知りたい情報。それを問う瑠璃子。

 全く持ってその通りだ。私たちは別にダンジョンの謎を解き明かしたいわけじゃない。ただ、彼を取り戻す術を知りたいだけなのだ。


「それもそうですねぇ。一概に無関係とは言えないのですが……それは追々話すとしましょうか」


 そんな彼女に向けて、狐塚局長はいつになく優しい笑みを見せた。


「さて、彼を取り戻す方法ですが、簡単な話です。貴方達は、ただひたすらに戦えば良い」

「戦う……? それは魔獣とってことすか?」

「えぇ、そうです。先ほども言った通り、魔王本体の転生によって都内の魔素は上昇し、魔獣氾濫スタンピードが起こります。その対処に協力してください」


 魔獣と戦え。そう告げる彼にユーノが声を荒らげた。


「それはお主の思惑じゃろう! それとあやつの復活と、いったい何の関係があるのじゃ!?」


 局長の言葉は、私たちという戦力を上手く活用したいだけに聞こえる。ユーノが指摘するように、スキルの発動条件との関係も不明だ。


「いやはや、それが関係ありまして。一つ質問ですが、ユーノさん──我々が持つスキル、そのレベルが上がるのはどんな状況ですか?」

「それはスキルを使用する場面じゃが……まさか、そういうことなのか?」


 ユーノの反応を見て、狐塚局長は満足そうな表情を見せた。


「具体的に言えば【祝福の花園ナンバーズ:ナインティーン】の発動条件を知る鍵は、ユーノさん。貴女の【叡智の書ユニークスキル】にあります。そして貴女が司るのは知識だ。魔王の登場によって異世界からの干渉は、一層強まることでしょう。それを間近で観測するのに、な役回りだと思いませんか?」



 ◇



 以上が、狐塚局長から聞いた話だ。それが、今の私たちの役割に影響している。


「11時の方角から鳥型の魔獣が接近してるっす……ありゃ新種っすね。ユーノ、鑑定してどんどん経験値を溜めるっすよ」


 そんなわけで、現在。

 私たちは防衛ラインの警護に参加して、近づく魔獣の掃討に従事していた。

 全ては、ユーノのスキルレベルを上げるために。


「人使い……いや、ゴブ使いが荒いのぅ。理屈はわかるのじゃが、あの男に上手いこと乗せられてる気がするのじゃ」

「あっちにも利があるのは確かっすね。でも文句を言っても仕方ないっすよ。ノーヒントで闇雲に探すよりかはよっぽど建設的っすから」


 答えながら、私は両手に短剣を構えた。かの西園寺が手掛けた特注のブルーミスリル製ブレードが、私の顔を鏡のように映し出す。


「それより──今は、ウチらが守るっすよ。パイセンの帰ってくる場所を」

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