第四部
新たな旅立ち 編
第89話
──アルカナム。それが、この世界の名だった。
誰がいつ、そう名付けたのかはよくわかっていない。遥か昔からそう呼ばれ、それが人伝や書物によって、
そんなアルカナムには、いくつかの国が存在していた。その一つに西大陸最大の領土を持つ大国──シャリオヘイデン王国がある。その王都から遥か南西に進んだ辺境にあるアクリ村。そこが俺の現在の居場所だった。
国の名前からして封建社会と思われるが、正直、詳しい事はわからない。この村で手に入る情報には限りがあるし、便利なネットもスマホも、この世界には存在しないのだから。
そんなわけで絶賛、異世界転生っぽいのを遂げた俺は、特に何か使命を帯びたわけでも、チートな能力を得たわけでもなく。平民のケントとして16年を平凡に生きてきた。
けれども、そんな日々も今日で終わりだ。
「さぁ、着いたわよっ!」
俺の手を引く翠髪の少女──モニカが、ささやかな胸を張って言う。
「いや、見ればわかるけど……。つーか、そんな声を大にして言うほどの距離歩いてないだろ。超ご近所さんだぞ、俺ら」
「うるさいわねー。気分よ、気分」
俺はいつも通り朝食を取るべく、彼女の家へとやってきた。
見慣れた幼馴染の家。俺の家より大きな木造の二階建である。通常、ヨーロッパ的な世界観と言えば石やレンガ造りの家を連想するが、それは場所によりけりだ。この辺りは湿度があり、霧もよく発生する。それに材木資源が多いから、この村で建てられる住居は大抵が木造住宅なのだ。
「ママー、ケント連れてきたわよ」
家に入るやいなや、モニカが声を上げる。
すると、奥から彼女と同じ髪色をした妙齢の女性が出迎えた。
「おかえり。ありがとね、モニカ」
この人はマイラさん。初めて会ったならば、モニカのお姉さんですか、と問いかけてしまいそうなほどに若く麗しいが、正真正銘、モニカの母親である。
そんな彼女は俺の顔を見るとニッコリと微笑み、
「おはよう、ケントちゃん。昨晩はよく眠れた?」
「おはよう、マイラさん。そんなに心配しなくても、ぐっすりだったよ」
「そう、なら良かったわ。さっ、テーブルに座って。すぐに朝ごはんの支度するからね。ほら、モニカも座りなさい」
「はーい」
マイラさんに促されて俺とモニカは席へとついた。それからしばらくして、マイラさんがテーブルに朝食を並べていく。
本日の献立はトル麦パンに、岩塩と香草で味付けしたスープ。それからスライスして炒めたモモナという芋だ。まさに村の定番とも呼べるメニューだった。
特にスープは重要だ。というのもトル麦パンは非常に硬い。前世的知識で言えばライ麦パンに近いパンだ。そのためスープに浸して食べるのが鉄板なのである。
そんなわけで食卓には欠かせない一品なのだが、本日の具材は普段のそれと一味違った。
「おぉ、お肉たっぷりだ……!」
「うふふ、今日は特別な日だからね。ママ、奮発しちゃった」
スープには、マッシュピグと呼ばれるブタ型魔獣の肉がどっさり入っていた。こいつは特定のキノコしか食べないグルメな魔獣で、その食性故に生息域が限られている珍しい魔獣だ。そのため食材としての価値が高く、街に持っていけば、いい金になる。言わば、ちょい贅沢食材。それが、今朝のスープの具材として、惜しげもなく使われていた。
「ママ……これは流石にやりすぎじゃない? 黒パンを浸すスープに、こんなに良い肉を使うだなんて……」
「あら、そんな事ないわ。今日は成人の儀なのよ? これくらいお祝いしなきゃ! それに、この辺りはマッシュピグの住処が近いから。アンガスさんにお願いすれば、結構お安く手に入るのよ」
それを聞いて、そこはかとなく安心した。
アンガスさんというのは、この村で猟師をしているオッサンだ。噂じゃマイラさんに気があるらしく、いつも適当に理由をつけてはマイラさんところへ〝手土産〟を持ってくる男だ。流石にマッシュピグとなればタダってわけにはいかないだろうけど、少なくとも家の家計を圧迫するような値段では売りはしないだろう。
「あー……あのオッサンね。なら殆どタダも同然ね。でも、それにしたって朝食までこんな豪勢にしなくても……こういうのって普通、夕食時に食べるものでしょ? ねぇ、ケントもそう思わない?」
「え? いやまぁ、いいんじゃないか? 俺はむしろ嬉しいけど……だってマッシュピグの肉だぞ?」
精神年齢は40手前だが、肉体は育ち盛りの男児そのもの。そりゃ肉食べたいよ。なにせ生活水準が日本とまるで異なるからな。基本的には豆類や川魚がここでの暮らしにおけるタンパク源。食べれない期間が長い分、肉に対する欲求は自然と高まるってもんだ。
「そりゃ肉は嬉しいわよ。けど、これじゃ……」
「細かいことは気にしなくていいんだよ。それだけ今日のこの日を祝ってくれてるってことだろ?」
「……」
これはマイラさんなりの祝福なのだ。本日、成人を迎える俺たちへの。
そりゃあ『異世界豚汁じゃん』なんて言われてしまえば、ぐぅの音も出ないが、それでも、この村の生活水準的にはご馳走なのだ。感謝以外の言葉が出るはずもない。
そんなわけで俺はマイラさんに向き直ると、
「マイラさん、本当にありがとう。すごく嬉しいよ」
改めて感謝の意を伝える。すると嬌声と共に、柔らかいものが頭に触れた。
「きゃー! ケントちゃんてば、嬉しい事言ってくれるわねっ! い、いいのよっ!? いつでもママって呼んでくれていいんだからねっ!?」
「ちょ、ちょっとママ! 恥ずかしいからやめてよ! つか、あんたも抵抗しなさいよ! 幼馴染みの母親に抱きつかれて喜んでんじゃないわよ!」
「いででで! つねるなって! 別に喜んでないから!」
「えぇ……喜んでくれないの……?」
「マイラさんは話をややこしくしないで!? ほ、ほら! 早く食べよう! 折角のスープが冷めちゃうしさ!?」
そんなこんなで、わちゃわちゃとした朝食が始まった。
◇
「それにしてもケントちゃん──本当に村を出ちゃうの?」
団らんの朝食も半ば。マイラさんの口から、そんな言葉がこぼれ出た。
「あぁ、そのつもりだよ。もちろん村での暮らしも楽しいけど……色々と世界を見て回りたいんだ。そのためにずっと待ってたんだから」
俺は、今日という日を待ちわびていた。
その理由はただ一つ。本日が成人の儀の日であり、同時に──天職を授かる日だからである。この国では16歳を迎えると成人と認められ、街の教会で天職を得る──つまりは、
「そう、でもママ心配だわ……聖石の無い場所じゃ魔獣だって出るんだし……」
「あはは、大丈夫だって。何となくだけど冒険者向きの天職を授かる気がするんだよな」
もちろんだが、これは虚勢を張ってるわけじゃない。
俺はそれを確信しているのだ。なぜなら俺には、前世の記憶があるのだから。
この記憶が夢まぼろしの類でなければ、俺は賢者の天職を得るはずだ。そうすりゃ、この世界を旅するにあたって大きな力となる。
そして俺は、探すのだ。
前世の俺が死んだ後、この世界に転生した理由を。
元いた世界が、その後どうなったかを。
「……馬鹿らし。何の自信よ」
俺とマイラさんの会話を隣で聞いていたモニカは、なぜか不機嫌そうに席を立った。
「そんな都合よく戦闘向けの
モニカは俺に向かって言い放つと、そのまま二階の自室に戻っていった。
「なんなんだ? あいつ……」
突然の事で呆気にとられていると、マイラさんがくすりと笑った。
「うふふ、気にしないで。モニカも女の子ってことよ。それより街行きの馬車は一時間後だから、遅れないようにね」
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