第87話
九十九階層目は、これまでの階層とは趣の違った空間だった。
石造りのだだっ広い空間。
その奥は芸術的な彫刻に彩られた玉座の間のようになっていた。
静かに鎮座する玉座。
そこに座する主の姿は無く。
代わりに、長い銀髪を垂らした女性が、玉座に向かって祈るように跪いていた。
「アンタが、ダンジョンマスターってやつか?」
俺が問い掛けると、女性は無言で振り返った。
その美しくも禍々しさを孕んだ風貌を一目見て、俺は呟いた。
「……
墨色の肌に白いフェイスペイント。
蛇に似た金色の双眸。
そして、翼のように平たく広がった黒角。
彼女は、かつて俺が倒した魔族──エゲリアとよく似た特徴を持っていた。
「うふふ、どっちも正解よ。もう同胞と会ったことがあるのね。それとも〝セカンド〟の権能かしら? 何れにしても残念だわ。せっかく驚かせてあげようと思ったのに」
「そうか。サプライズを潰しちまったようで悪いな。なにせ、その同胞とやらはとうの昔に消し炭にしちまったもんでな。今さら驚くもんはねえよ」
「うふふ、そう……なら貴方って、とっても強いのね?」
啖呵に動じるどころか少し期待を孕んだ眼差しを、俺へと向ける銀髪の女。
同胞の死など全く興味がない。それどころか、俺と出逢えた事を悦んでいる。
例えるなら、とっておきのデザートを目の前にした年頃の乙女。
まさに、そんな表情だった。
「……それで、いったい何が目的だ。家探しがしたいなら、こんなプレハブはさっさと撤去して潔く不動産屋にでも行ってほしいんだが」
「あら、プレハブだなんて失礼ね。ここは【神の家】……あのお方の玉座となる場所よ。残念だけど、ここより良い場所なんて、この世界には存在しないわ」
「……あの方ってのは?」
「……偉大なお方の事よ」
「答える気はないみたいだな……しかしまぁ、ここに居座る気満々だっつーのはわかった」
とりあえずコイツは、この違法建築ダンジョンを正体不明の親玉の根城にするつもりらしい。
ここ、最上階は最初に抱いた感想通り玉座の間ってわけだ。
「だったら──強制的に退去してもらうしかねーな」
俺は<破壊の杖>を突き付ける。
すると、銀髪の女は嬉しそうな笑みを見せた。
その言葉を待っていた、そう言わんばかりの笑みを。
「ふふっ、私は好きよ、そういうの。別に
言いながら銀髪の女は、拳を構えた。
次の刹那、そこに白銀の篭手が装着された。
「始める前に、私の能力について教えてあげるわ」
「今から殴り合おうってのに、随分と気前が良いな」
「うふふ。残念だけど、そういう〝ルール〟なのよね」
俺の真っ当な疑問に、銀髪の女は肩を竦めた。
どうやらこれもシステムさんの言ってたルールとやらに該当するらしい。
「私の
「馬鹿げた威力のトラップも、とんでもなく強い魔獣も。全部、俺のステータスに合わせて生み出されてたってわけか」
「見かけによらず、理解が早いのね。その通りよ──そして数多の試練を乗り越えた挑戦者に訪れる最後の試練──それがダンジョンマスターである私なの」
何やら荒々しい気配が空間を満たした。
覇気や闘気と言うべきか。
力の根源のようなものが、銀髪の女性の下へと集っていく気配。
「改めて自己紹介するわ。私の名前はアストラフェ。試練の内容は──貴方と同等ステータスを得た私を倒すことよ」
次の瞬間、銀髪の女──アストラフェの姿が消失した。
いや、消えたのではない。恐ろしい速度で間合いを詰めてきたのだ。
認識した頃には眼前に拳が迫っていた。
「だあッ!?」
俺は必死に杖術【打突】を発動させた。
かなり初級のスキルで、ぶっちゃけ威力補正は皆無。
アストラフェがその言葉通り、俺と同じ防御力を得ているなら掠り傷にすらならんだろう。
だが、このスキルにはノックバック効果がある。それによる間合い調整を狙ったのだ。
「あら、やかなかやるじゃない」
案の定、彼女の一撃は俺の鼻先を掠めただけに終わった。
その攻撃動作のスキを突いて、俺は後方へと距離を取った。
見たところ相手の武器はナックル。最も得意とする射程はゼロ距離。
あまりに近い距離を維持されるのは、不利だと判断したのだ。
「……貴方、とんでもないステータスだったのね。まだ動かすのに慣れないわ」
アストラフェは俺を追撃せず、手首足首を柔軟するような仕草を見せた。
彼女のスキル──〝挑戦者と同等のステータスを得る〟というが事実ならば無理もない。
いきなり万単位のステータスが増加しようものなら、制御するには慣れが必要だ。
「そうかい。なら能力を止めてくれて構わないんだがな」
「あら、それは無理な相談ね。これは一時的にステータスを増加する類のスキルじゃないもの」
俺が皮肉交じりに言い放つと、彼女は困ったような表情を見せた。
「これはね、私のステータスそのものを書き換えるスキルなの。要するに私のステータスは永久的にこのまま。元に戻すとか、効果を消すとかっていう概念は存在しないわ」
「そりゃ、とんでもねぇスキルだな。相手の能力を丸々コピーして、文字通り自分のものにしちまうってわけだ」
「えぇ、その通り。相手が強者であればあるほど、私はそれと等しい力を得られるの──だから私、強い人は大好きよ?」
言葉と同時に、アストラフェが爆ぜるようにこちらへ接近。
あっという間に間合いを詰めると、弾丸の如く拳を突き出してきた。
俺はそれを杖で受け流すと、即座に杖術スキルで反撃する。
だが、彼女は流れるような足さばきを見せて、容易にそれを躱した。
「ふふ、甘いわね──【
「なッ!?」
回避した刹那、彼女からお返しとばかりに放たれた拳。
覇気を纏ったそれが──瞬時に無数の拳撃へと変化した。
杖で受ける事もままならず。
無数の衝撃に晒された俺は、後方へと大きく吹き飛ばされた。
「かはッ……!?」
俺と同等の攻撃力で放たれたスキル攻撃。当然ながらそのダメージは凄まじい。
最初の1ヒットは新たに得たスキル【肉壁】で無効化したはずだ。
しかしながら、この圧倒的な多段攻撃の前には気休め程度にしかならなかった。
「悪いわね。確かにステータスは貴方から頂いたわ。だけど、
よろめく俺に向けて、妖艶な笑みを見せるアストラフェ。
なまじ美人な分、その笑みが嘲笑的に見えて心底腹が立つ。
「はッ……可愛い顔に似合わず、ガチガチの武闘派ってわけか。だが生憎、お姉さんに弄ばれて喜ぶ趣味はねぇ。断然、俺は──妹派なんでな」
反撃すべく、俺は疾駆した。
瞬く間にアストラフェを射程圏内に収めると、<破壊の杖>を振りかぶる。
「私が格闘系の
「こっちも手数が限られてるんでな! 【
アストラフェが放った数多の拳撃。
それに対抗すべく、杖術スキル【山嵐】による連突を放った。
威力は期待できないが、俺の持つ【杖術】スキルの中では唯一の連続攻撃スキルだ。
怒涛の連打攻撃を捌くには、こいつが一番最適だった。
「あらあら、そんな補助スキルじゃダメージは与えられないわよ?」
「言われなくてもわかってるっつーの!」
アストラフェが挑発してくるが、俺は気にせずスキルを発動し続けた。
別に考えなしに殴り合いを仕掛けたわけじゃない。
本当の狙いは──相手のスキルを知る事にあった。
──【洞察眼】
俺が新たに手にしたコイツは、相手のスキルを視る事でその情報を得る事ができる。
彼女のスキルに関する情報が、俺の脳裏に浮かび上がった。
────
【
前方扇範囲に100連撃を放つ拳王術スキル。
1発あたりの威力は使用者の攻撃力の90%。
再発動には10秒間のクールダウンが必要。
────
見た目どおり、破格の攻撃回数を誇るスキルだ。
だが、その代償として連続発動はできないらしい。
ならば、そのスキルの切れ目に──強引にねじ込むまで。
「──【
「っ!?」
スキル終了後の僅かな時間を狙って、俺は杖術スキルを追加発動する。
流れるような動作で杖を振り抜き、その先端部をアストラフェの脇腹へと叩きつけた。
「あぐっ……!?」
俺の攻撃によって、アストラフェは大きく吹き飛ばされた。
だが、彼女はすぐさま体勢を整えると、足で石床を削って強引に慣性を押し殺した。
「うふっ……今のは効いたわぁ! 以前の私なら気絶してたかもね?」
唇の端から血を垂らしながら、アストラフェは微笑む。
(ちっ、【破壊王】が乗っててもこれか。我ながらなんつー硬さだよ)
俺は心の中で毒づいた。
自分と同じステータスを持つ相手が、これほど厄介とはな。
純粋に力が均衡ならば、まだ救いはあった。
だが、残念なことに相手は近接アタッカー天職。
たとえステータスが同じでも、殴り合いにおいては相手が圧倒的に有利であった。
「うん、そろそろ慣れてきたかしら。次は──上手くいかないわよ?」
韋駄天の如き速度で、間合いを詰めてくるアストラフェ。
俺も即座にスキルを発動させて迎え撃つ。
「粉々に砕かれなさいッ! 【
「くッ!!」
またしても放たれる驚異の連撃。だが、その全てを受け止めるつもりはない。
先ほど【洞察眼】でスキルの射程、範囲は把握済みなのだ。
幾つかの拳を杖で防ぎながら、俺はアストラフェの左側面に回り込んだ。
「お馬鹿さんね──〝【
「はっ……!?」
俺が回り込むのを予想してたとばかりに──彼女の左拳が炸裂する。
回避不能のタイミング。激痛と共に俺の身体はボールのように跳ね転がった。
「うぐっ……」
「上手く避けたつもりみたいだったけど──残念ね。私の【
痛みのあまり、すぐさま起き上がる事ができない。
そんな俺に向けて、アストラフェは余裕たっぷりの笑みを見せた。
「私を倒したいなら──左も防がなきゃダメよ?」
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