第83話

「あぁ、俺が迂闊だったな。皇帝なんて言うもんだから、てっきり後ろで采配を振るタイプかと思っちまったよ」


 口の端についた血を拭いながら、呟く。

 本当に、このダンジョンは規格外だ。

 星奈のナイフですら傷つかないこの肉体に、これだけのダメージを与えたのだから。


「グゲッ! 覇皇ハオウタル者、武ノ頂点二立ツノハ当然──シテ、貴様ハ如何ニ吾輩二抗ウ?」


「んなもん決まってるだろ」


 余裕の笑みを浮かべながら、宙に仁王立ちするゴブリン。

 俺はそいつに飛びつくようにして跳躍すると──


「ぶん殴るまでだッ!」


 ──渾身の力で杖を振るう!


「グゲッ! ソノ程度デハ掠リ傷ニスラ、ナラヌゾ」


「はっ!?」


 当たれば、そこらのゴブリンなんぞ豆腐のように潰せる威力。

 だが、その一撃がヤツの肉体に触れることははなかった。

 俺が杖を振り下ろすよりも──それを凌駕する速度でゴブリンの姿が消失する。


「くッ!? どこに……」


「グゲゲッ!!」


 下卑た嗤い声。

 それに気づいた刹那には、俺の身体を杖の横薙ぎが襲う。


「ぐッ!?」


 だが、そう何度も致命傷をもらってたまるか。

 インパクトの瞬間。俺は受け流すように身を捻る。

 そうやって出来る限り威力を殺した。


「くッ……!!」


 全ての衝撃を受け流すことはできなかったが、床に頭から叩きつけられるのは免れた。


「グゲッ! 今ノ一撃ヲ、受ケ流スカッ!」


 床石を砕きながら着地した刹那。

 その気配を感じ取った俺は、咄嗟に<破壊の杖>で追撃を受け止める。

 杖同士がぶつかり合う、乾いた音が広間に響いた。


「どーだ! 受け止めてやったぞ!」


「グゲッ! グゲッ! 悪クナイッ! ダガッ! 一度受ケ止メタ程度デ、吾輩ヲ倒セルト思ウナヨッ!!!」


 言葉と同時、またヤツの気配が消える。

 その一秒後──いや一秒も経たずして、今度は逆方向から杖による刺突が放たれた。


(はやッ……過ぎんだろ……ッ!?)


 避け切れず、俺の視界がぐるりと回転する。

 ニ、三回転して、ようやく己の身体が床を転がってる事に気付く。

 そういう次元の速度だ。


(いったいどうなってんだよ、あいつの脚力はよ……!)


 心中で毒づきながら、身を起こす。

 起き上がって立て直すくらいなら、何とかまだ間に合った。


「グゲッ!! 何処ヲ見テイルッ?」


「がっ……!?」


 だが、その数秒後には間合いを詰められて、思いがけない方向から攻撃が飛んでくる。

 その度に俺の身体は坂を転がるボールのように床を転がった。


「ハァハァッ……!」


「グゲゲゲッ!! ドウシタ? モウ限界カ?」


 流石に、出鱈目過ぎる速度だ。

 もはや敏捷ステータスの高い低いで語れるものではない。


 そもそも知覚できないのだ。

 どれだけステータスが高くとも、肉体を動かす以上は必ず予備動作が生じる。

 たとえ神速だろうが、音速だろうが。

 その動作に必要な筋肉が、関節が。

 微かながらに動くはずなのだ。


 だがしかし。ヤツの移動から攻撃までの一連の動作の中で、その微細な変化の一端すら俺は知覚できなかった。


「かはっ……ッ!?」


 またしても俺の身体がふっ飛ばされた。

 いつの間に攻撃されたかも、わからない。


(まるで止まったまま、動いているみてーだ……!)


 ヤツの出鱈目な速度を言い表わすなら、これくらい矛盾した表現でも違和感がなかった。


(あ? 止まったまま……?)


 ──いや、待てよ?


 何とか体勢を整えながら、俺は思考する。


 そもそも予備動作がのか?


「グゲッ!! グゲゲッ!!」


 一方的に俺をボコしている余裕からか、追撃もせずにゲラゲラと嗤う惡鬼帝皇ゴブリンエンペラー

 その僅かな時間に、その姿を再確認する。

 言わずもがな、その見た目はゴリマッチョ。

 特徴的な肌色も相まって、どこぞのバトル漫画にでも出てきそうな風貌だ。


「あー、そういうことかよ……完全に理解した」


 そして、その外見がもたらすイメージ通りの打撃中心のバトルスタイル。

 それらの情報から、俺は勝手にパワーとスピードに特化した魔獣だと認識していた。

 俺が現代の日本に生きる男性というのも、その判断に影響しているだろう。

 若き青春を胸アツ展開の少年誌で過ごした日本男児なら──この極まりないバトルスタイルでさえ、簡単に許容してしまいがちだからな。


「グゲッ! 何ガ可笑シイ?」


 俺の笑みに気付いたのか、惡鬼帝皇が怪訝な表情を見せた。


「なに、大したことじゃない。自分の馬鹿さ加減に笑っちまっただけだよ」


 そう返した後、俺は【収納】ポーチに触れて、操作画面を展開する。

 そこに詰め込まれているのは、数々の未使用アイテムの山。

 これまでゴリ押してきた故に、使わずじまいとなったアイテムたちだ。

 その中から俺は、一つのポーションを取り出した。


「グゲッ! 回復デモ、スルツモリカ? グゲゲゲッ! 吾輩ハ構ワンゾッ! 貴様ガ、イクラ傷ヲ癒ソウトモ、マタ蹂躪スルダケナノダカラナッ!!」


 案の定、自分が優位な立場だと考えているキモゴブリンは、俺が悠々とアイテムを取り出しても止めようとすらしない。

 人語を解すとは言えど、所詮はゴブリン。

 その思考回路の根底は──浅はかの一言に尽きる。


「あーそうかい、なら遠慮なく使わせてもらおう。 ただし──後悔すんなよ?」


 愚帝の詰めの甘さに、文字通り甘んじて。

 俺は手に持ったポーションを一気に飲み干した。


「さて、これで準備は整った。後はてめぇを──ぶん殴るだけだッ!」


 空になった薬瓶を投げ捨てると、俺は杖を構えて疾駆した。


「グゲゲゲッ! 愚カ者ヨ……貴様デハ、吾輩ニ追イツケナイッ!」


 動き出した俺を見て、キモゴブリンが不快な嗤い声を上げた。

 俺に呼応して杖を構え直したかと思えば──次の刹那には、その姿が忽然と消失する。

 先ほどまでなら、この直後に床を転がっていたことだろう。

 

 ──だが、今は違う。


「あぁ、がっつり視えてんぞ──お前のがよっ!!」


 即座に身を翻し、杖を横薙ぎに叩きつける。

 それまで何もなかった空間。そこに突如として出現したキモゴブリンにクリティカルヒットするッ!


「ゲギャブッ!?」


 三万超の攻撃力がもたらす衝撃。

 惡鬼帝皇ゴブリンエンペラーは爆ぜるように吹き飛ばされ、そのまま壁に激突した。


「ゲハッ……!? 何故ダッ!? 何故……ゴフッ!?」


 口から血の泡を吐き出しながら呟く惡鬼帝皇ゴブリンエンペラー

 その疑問に俺は懇切丁寧に教えてやった。


「さっき言った言葉通りだよ。お前が出てくる場所──つまり、に向けてフルスイングしただけだ」


「グフッ……馬鹿ナ、アノ状況下デ、吾輩ノ魔法ヲ見破ッタトイウノカ……!?」


 そう、魔法だ。

 ナ◯ック星人みてーな外見とバリバリの肉弾攻撃にすっかり騙されちまったが、こいつは完全な魔法タイプなのだ。それも転移魔法が主体のな。


「……本当に近接戦闘に長けているなら、そもそも杖なんか使わねぇ。神速で間合いを詰めれるなら刃物で切った方が断然早えーからな。それでもお前は杖を選んだ──それは何故か」


 それは、俺が一番良く知っている。

 あぁ、好きで杖なんか装備してるわけじゃねぇ。

 制約があるから、装備しているのだ。


「その杖が魔法発動の条件だから、だろ? 転移魔法っつーのは、それ自体に攻撃能力が無くとも強力だからな。火力を下げてでも使いたいって気持ちはよくわかるぜ」


 それに流石は上位の魔獣だけあって、魔法型でも攻撃ステータスがそこそこ高い。

 よほど頑丈な相手でない限り、転移魔法からの死角攻撃で簡単に撲殺できるだろう。

 その観点で言えば、ある種の完成された戦闘スタイルとも言えた。


「ゲフフフッ! アァ、ソノ通リダ……! 吾輩ガ扱エルノハ、転移魔法ト空間魔法ノミ。生粋ノ魔術師トシテハ、配下ノ〝子鬼魔道士ゴブリンメイジ〟ニモ劣ルコトダロウ……故二、吾輩ハ戦士トシテノ戦イヲ学ンダノダ」


 肯定の言葉を吐き出しながら、惡鬼帝皇ゴブリンエンペラーはよろよろと起き上がる。

 防御ステータスはそこまで高くないのか。

 先ほど俺が放った一撃によって、既に満身創痍のようにも見えた。


「ダガッ!! ソレヲ知ッタ所デ、貴様ガ吾輩二勝テル道理ハ無イッ! 先ホドノヨウナ偶然ハソウ何度モ起コラヌノダカラナッ!!」


 言葉と同時に、その姿が消え失せた。転移魔法による死角攻撃だ。

 だが、俺は迷いなく振り返って破壊の杖を垂直に叩きつけた。


「いや、さっきも言っただろう──視えてるってなッ!!」


「ゲギャアアアアッッ!?」


 渾身の一撃はヤツの肩に命中、その骨を容赦なく砕いた。

 苦痛のあまりに、惡鬼帝皇ゴブリンエンペラーは床を転げるように藻掻く。


「ガグッ!! 何故ダッ! 何故、吾輩ノ位置ガワカルッ!?」


 焦燥と共に、ただただ疑問を吐き出す。

 信じられない、という感情が、その表情からひしひしと伝わった。


「だから視えてんだよ──お前の魔力の流れが。後はそこをぶん殴りゃいい」


「魔力ヲ視ル……? 馬鹿ナッ! 魔術師デモ、敵ノ魔力ヲ視ルノハ至難ノハズ……マシテヤ戦闘中ニ読ミ取ルナド、アリエヌ……ッ!!」


「ま、確かにその通りだ。けど人間っつうのは色んな便利アイテムを作るのが得意でな。さっき俺が飲んだのは、マナインテューションっつう補助バフアイテムなんだが──」


 俺は後方に転がる薬瓶を、親指で指し示す。


「その主な使い道は魔法のだ。本来、魔力なんてのは人間に備わってねぇ能力だからな。上手くできねぇ冒険者も多いんだよ」


 例えば、ある日突然、尻尾が生えてきたら。

 これまで存在しなかった部位を、人は自在に動かせるだろうか。

 答えはノーだ。

 今まで存在しなかったものを動かす時、人間の脳みそは混乱してしまう。

 しばらくはトレーニングが必要だろう。

 魔力もそれと同じだ。未知の感覚に脳が混乱して制御できないことがある。


「そんな時にあの薬を使うんだよ。で、その効果は魔力感知能力の──ここまで言えば、後はわかるだろう?」


 元々、俺は賢者だ。当然ながら、ある程度の魔力感知が可能である

 さらにそこへ、初心者御用達アイテムによる感覚強化が組み合わさっているのだ。

 ヤツの、惡鬼帝皇ゴブリンエンペラーの魔力の流れが──視えないはずがない。


さえわかりゃ、後は〝モグラ叩き〟と一緒でタイミング覚えゲーだよ。有り難いことに、ここまでトラップさんに散々、鍛えられてきたからな。今の俺なら、初見クリアも余裕だっつーの」


「グギギギッ……! オノレッ……小癪ナ真似ヲッ!!」


 歯痒そうな表情で、キモゴブリンが吼える。

 砕けた肩が痛むのか、もはや転移魔法を発動する余裕すら無さそうだった。


「お前にだけは言われたかねーよ! 不意打ち特化のお前にだけにはな!」


 そんなヤツに──俺は破壊の杖を振り上げた。


「──【破天砕月】ッ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る