第73話

「参りますわよっ!」


 口火を切ったのは麗華だった。

 スキル【空歩】によって高く跳び上がった彼女は、虚空へ向けて手をかざす。

 すると淡く光る魔力の綱が放たれて、その先が空間に固定された。

 そのまま振子運動によって空中を突き進み、鬼面王竜に回り込むように旋回していく。


「グォォォオッォォォッッ!!」


 彼女の動きに反応した鬼面王竜オウガドレイクは、その口腔からドス黒い炎を吹き放った。

 当然ながら、これはただのブレスではない。

 かの竜が最も得意とする闇属性のブレス──【黒炎竜咆ダークネスロア】であった。


 その能力は至ってシンプルだ。

 それは命中した対象に消えない炎が取り付き、一定時間、燃焼状態にするというもの。

 俗に言う〝持続ダメージ〟と呼ばれる状態異常である。


 ダンジョンボスが扱う権能としては、些か地味な能力ではある。

 しかしながら、決して侮ることのできない能力でもあった。


 そもそも生きたまま焼かれるというのは、大変な苦痛を伴う。

 それこそ、後々の行動に支障を来すほどに。

 つまり、焼かれながらも適切に処置できるほどの胆力がなければ、状態異常や負ったダメージの回復行動すら困難な状況に陥ってしまうのだ。

 そして高い持続ダメージによって、見る見るうちにその生命は削り取られていく。


 抗う術も与えず、その命を焼き尽くす闇の炎。

 それがこの【黒炎竜咆ダークネスロア】の恐ろしさであった。


「いけない……!」


「いや、麗華なら大丈夫っす」


 危険を感じ取った瑠璃子が【天聖盾】を発動しようと杖を構える。

 だが、星奈がそれを制止した。


「おーっほっほっほっ! そんな真っ直ぐな攻撃でワタクシを落とせると思いましてっ!? もし本当にそう思ってらっしゃるのであれば、それは──〝ナメ過ぎ〟というものですわっ!」


 狙われた本人は高らかに叫ぶと、空中でさらに【空歩】を発動した。

 さらに高く、そして優雅に攻撃を回避する。

 そのまま黒炎は溶岩洞の壁面へと直撃する。轟音と共に固まった溶岩が崩れ落ちた。


「【夢弦】ですわっ!」


 攻撃を避けた麗華は、素早く【夢弦】を再発動。

 射出された魔力の綱によって、宙空を突き進む。


 ──大地は、もはや必要ない。


【夢弦】を絡めることにとって、跳躍回数の制約から麗華は解放される。

 その身に宿す魔力が尽きぬ限り、彼女は幾度となく宙を舞い続けるのだ。

 圧倒的な三次元機動。

 それこそが彼女の天職──曲芸師の真髄であった。


「さーて、ウチも出るっすよ。流石に敵対分散しないとヤバいっすからね!」


 天女と見紛う優雅さで空を舞い、魔獣を翻弄する麗華。

 そんな彼女に負けじとばかりに星奈が駆け出した。


「う、うんっ! 【皇女の聖衣プリンセスオーダー】っ! 【戦神の刻印バル・スティグマ】っ! 【魔神の加護レジスエレメント・アウロラ】!」


 近接天職の二人をフォローすべく、瑠璃子が連続で補助魔法バフを発動した。

 最大限の効果が発揮されるよう、惜しみなく込められた魔力。


「二人とも……無理しないでね」


 瑠璃子は、二人が攻勢に出る理由を理解していた。

 彼女らは瑠璃子が狙われないように、あえて攻撃を仕掛けているのだ。



「【幻影飛剣ファントムエッジ】っ!」


 星奈が駆けながら【投擲術】スキル──【幻影飛剣ファントムエッジ】を発動する。

 生み出された魔力の短剣は、矢の如く鬼面王竜へ放たれた。


「グオォォォオオォォッッ!!」


 攻撃を察知した鬼面王竜は、咆哮と共に黒炎を吐き出した。

 それによって星奈が放った短剣のほとんどが打ち消されてしまう。

 だがしかし、これはあくまでも牽制に過ぎない。


「──これでも食らうっすよ」


 黒炎で一瞬視界が遮られたのを利用して、星奈は竜の懐に潜り込んでいた。

 そして落ち着いた表情でスキルを発動する。


「【蛇馬鬼突ジャバウォック】」


 薄紫の残光を靡かせながら、短剣が鬼面王竜の胸部に突き刺さる。


(くっ……やっぱ短剣じゃ臓器まで届かないっすね……!)


 差し込んだ短剣の感触から、己の攻撃が有効打に至っていないことを悟る星奈。

 彼女は即座に短剣を引き抜き、回避行動に移った。

 

「オォォオオォッッッ!!!」


 星奈の判断は正しかった。

 次の刹那、鬼面王竜が彼女が居た場所を殴りつけるように前脚を振り下ろす。


「ちっ……!」

 

 巨体を支える強靭な膂力から繰り出される一撃は地を砕き、赤い溶岩を飛び散らせた。

 直撃こそ避けたが、あまりの衝撃に体勢を崩す星奈。

 それを狙っていたかの如く、鬼面王竜オウガドレイクの牙から黒炎が漏れ出た。


「【堕椿】っ!」


 麗華が空中から強烈な蹴り技を放つ。

 その衝撃によって鬼面王竜は大きく仰け反り、黒炎は明後日の方角へと飛んでいった。


「さんきゅー、助かったっすっ!」


「ふふ、礼には及びませんわっ! ワタクシたち〝仲間〟ですもの!」


「そ、そうっすね……そう繰り返し強調されると、なんだか病的な何かを感じるっすけど……」


「あら? 今、何かおっしゃいましたか!?」


「や、何でもないっす。それより魔獣に集中するっすよ!」


 星奈が叫ぶ。次の刹那、鬼面王竜の豪腕が空を切った。


「きゃっ……!?」


 避け損ね、弾き飛ばされた麗華は溶岩洞の壁面に激突する。


「……かはっ!」


 致命傷ではなかったが、相当なダメージを負ったようだった。

 彼女は空気と共に血を吐き出す。


「麗華ちゃん! 【完全治癒パーフェクトヒール】!」


 麗華が負傷したのを見て、瑠璃子は即座に回復魔法を唱えた。

 柔らかな光が麗華を包み込み、その傷を癒やしていく。

 瑠璃子の魔法ならば、あっという間に癒える事だろう。

 だがしかし、その僅かなタイムラグを鬼面王竜は逃さない。

 痛みで動き出すことのできない麗華へと狙いを定めて動き出す。


「くっ! 図体の割に行動が速すぎるんすよっ!! ──【双蛇牙アンフィスバエナ】」


 星奈は飛び上がると、竜の肩甲骨近く──スジ付近に短剣を突き刺す。

 しかしながら、この程度の攻撃。

 硬い表皮と分厚い筋肉を持つ鬼面王竜にとって何の妨げにもならない。

 肩にぶら下がった星奈を無視して、【黒炎竜咆ダークネスロア】を放った。


「だめっ! 【天聖盾アイギス】っ!」


 瑠璃子は咄嗟に発動する魔法を切り替えて麗華を守護する。

 現出した光の盾が、尽く黒炎を打ち消していった。


「絶対に攻撃は通さないよ……!」


 強い意思をもって魔法を発動し続ける瑠璃子。

 しかしながら、状況は芳しくなかった。

 先程の攻撃によって、麗華は一瞬で意識を刈り取られてしまったのだ。

 肉体の傷は癒えても、彼女が意識を取り戻さなければ危険な状況であることに変わりはない。

 無論、回復魔法には気付けの効果も含まれている。

 だがしかし、混濁した意識が瞬時に冴え渡るような、便利なシロモノではないのだ。


「麗華ちゃん……お願い、目を醒まして……!」


 瑠璃子が焦燥まじりに吐露した。

 彼女が扱う【天聖盾】は、込めた魔力によって防御性能が高まるスキル。

 Sランク魔獣の攻撃を防ぎ続けるには相当な魔力を消費してしまうのだ。

 かつて【鋼鉄要塞】戦ったスルト。その主力攻撃である【魔光粒子剣レーヴァテイン】を避けるしかなかったのも、同じ理由である。

 保有魔力を超える威力の攻撃は、そもそも防ぐことができない。

 保有魔力の範囲内だったとしても、高い威力を持つ攻撃を防ぎ続けるのは魔力の損耗が激しすぎるのだ。


「【蛇馬鬼突ジャバウォック】ッ!」


 鬼面王竜の背に向けて、何度も短剣を突き刺す星奈。

 だが、魔獣は背中で暴れる星奈の事など気にも留めず。

 意識を失った麗華に向けて黒炎を放ち続ける。


 竜系の魔獣は基本的に知性が高い。鬼面王竜ほどのランクともなれば余計にだ。

 この竜は既に理解したのだ。

 星奈の攻撃が致命傷にならないということ。

 このまま意識を失った麗華を攻め続ければ、面倒な回復持ちヒーラーの魔力を削ぎ落とせることを。


 本来、生き物は僅かな傷すら負うことを嫌う。

 例えば、強者であるライオンも捕食対象から強い抵抗の意思を感じ取ると、狩りを諦める事がある。

 それは生存競争の激しい自然界において、小さな怪我が命取りとなることを本能的に察知しているからだ。


 だが、鬼面王竜ほどの強者ともなれば、その理屈は当てはまらない。

 強大な力と高い知性は、人間同様に生き物の持つ原則を無視する。

 要するに、〝肉を切らせて骨を断つ〟を理解して実行できるのだ。

 

(ちっ……ウチの攻撃じゃ敵対ヘイトを稼ぎきれないっす。こうなったら……)


 そんなことを思考しながら、星奈はポーチからとあるアイテムを取り出す。

 子供向けのカラーボールにも似たそれを、彼女は自分の胸に押し当てた。


「逃走術──【魅惑香】」


 すると、ボールは加えられた圧力によって瞬く間に弾け、撒き散らされた蛍光色の液体が星奈の装備を汚す。

 同時に、むせ返るような芳香が立ち込めた。


「グオォォオォォォッ!!」


 香りが鼻腔をくすぐった途端、鬼面王竜はブレス攻撃を中断して咆哮を上げた。

 それまで理性によって戦術的な行動を取っていた鬼面王竜。

 魅惑香の持つ強制力が──その理性をたった一言に置き換える。


 ──この香りの主を殺せ。


 そして背中に取り付いた星奈を吹き飛ばそうと、その巨躯を激しく揺らし始めた。

 魅惑香の効果が発動したことを悟った星奈は、すぐさま跳躍して短剣を構え直す。

 

「あー、こんな時、パイセンならこう言うっすかね?」


 大好きな彼が強敵と相対する姿を思い出しながら、不敵な笑みを浮かべて言う。


「──ふっ、やっとウチのに気づいたみたいっすね」


 彼女の戯けた台詞に、鬼面王竜は咆哮で応える。

 すると、その口腔付近に魔法陣が浮かび上がった。

 禍々しい色をした魔法陣だ。そこに黒い光が収束していく、次の刹那。


 ──真っ黒な光線が放たれた。


「いっ!? いやいや本気出し過ぎっすよっ!?」


 星奈は【加速ヘイスト】を重複発動。

 強化された敏捷値を駆使して、黒閃を回避する。

 禍々しい光が薙いだ地面には、ドス黒い瘴気が立ち込めた。


「星奈ちゃん! それ【呪禍滅光カースドレイ】だよ! その黒い瘴気には触れないで!」


「はぁっ!? 【呪禍滅光カースドレイ】って中位魔法じゃないすか! それでこの威力っでどんだけなんすか……っ!」


 瑠璃子の説明に、星奈が声を荒げた。

 この黒閃──【呪禍滅光カースドレイ】は、直撃または発生した対象に呪い状態を付与する中位の闇属性魔法だった。

 どちらかと言えば状態異常バッドステータスの付与を主軸においた魔法で、その威力はやや低い。

 だがしかし、先ほど鬼面王竜が放った黒閃は、そのスキル説明を疑うほどの高威力であった。


「〝呪い〟は直前に使用したスキルを封印する状態異常……加えてこの発生速度……」


 続けざまに放たれる黒閃を回避しながら星奈は呟く。


「火力よりも速度とデバフ重視──確実にウチを殺しにきてるってわけっすね」


 冷静に分析しながら、反撃の機会を伺う星奈。

 だが、中位魔法の連発は想像以上に厄介であった。


「だぁーっ……ディレイ早すぎっすよ……!」


 とにかく発動が早いのだ。

 おまけに雷属性に近い光線系の魔法であるが故に、その弾速も凄まじい。

 回避しながら【投擲術】でナイフを放つが、鬼面王竜にはほとんどダメージを与えられない。



「──【天聖槍ホーリー・ジャベリン】っ!」


 星奈のフォローをすべく、瑠璃子が聖属性の攻撃魔法を放つ。

 光の槍が鬼面王竜の脇腹を穿つが──それでも巨躯は止まらない。

 闇属性に有効である聖属性の攻撃なだけあって、そこそこダメージは入っているはずである。

 しかしながら、それ以上に【魅惑香】の効果が強く、注意を惹くには至らなかった。


(ど、どうしよう……! 攻撃魔法に集中すると魔力が……でもこのままじゃ星奈ちゃんが……)


 瑠璃子は選択を迫られていた。今なら星奈の【魅惑香】が効いている。

 その間に瑠璃子が全魔力で聖属性の攻撃魔法を放てば、この竜を倒せる可能性があった。

 だが、同時にそれは危険な賭けでもある。

 

 ──万が一、倒しきれなかったら?


 所詮、神官が扱う魔法はサブウェポン。威力倍率はそこまで高くない。

 上位天職であるユーノが扱う強力な混合魔法を、彼女は扱えないのだ。

 そのため瑠璃子一人の魔法では、倒しきれない可能性が十分にあった。

 もしそうなれば、パーティーは全滅確定である。


「だめっ……やっぱり無理はできないよ……」


 もしも魔力を使い切ってしまえば。

 味方をフォローする回復魔法も【天聖盾】も、何もかもが使えない。

 黒炎を誰かが喰らえば、状態異常を回復する事すらできない。


「ごめん……星奈ちゃん……っ!」


 そのリスクを取る勇気が、瑠璃子にはなかった。



「や、ナイス判断っすよ、瑠璃子。とにかく今はパイセンを待つしか無いっす!」


 落ち込む瑠璃子を励ますように、星奈は叫んだ。

 瑠璃子の魔力は命綱なのだ。とにかく今は自分が耐え忍ぶしかない。

 それだけを考え、鬼面王竜の猛攻を回避し続ける。

 元々、盗賊は敏捷ステータスに特化している天職だ。

 加えて隠密スキルによって、若干ながら相手の反応を鈍化させる事ができる。

 これらの特性をフルに駆使すれば、まだまだ時間を稼げると彼女は読んでいた。


(なっ……!?)


 だが、ここで彼女は気付かされる。

 Sランク魔獣という存在が、如何にして最高位に位置するのかを。


「なるほど……結界の範囲を縮めていたっすか。……ウチより賢いんじゃないすかね」


 空間を覆っていた暗幕。その範囲がいつの間にか縮小していた。

 おまけに地面には、瘴気によって汚染されたポイントが点在している。

 それによって、行動が大きく制限されていた。


「──オォォオォォォッ!!」

 

 鬼面王竜は、ただ闇雲に攻撃していたわけではない。

 小さく素早い星奈を確実に仕留めるべく、緻密な罠を張り巡らせていたのだ。

 まるでチェスの盤面のように、彼女を〝詰め〟にかかっていたのだ。


「くっ……」


 ──そして、今まさにチェックメイトを宣言すべく、鬼の牙から黒炎が放たれた。

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