第72話

「あれは……竜、なのかな?」


 三人の前に出現した魔獣。マグマの海から這い出る姿を見て瑠璃子が呟いた。

 星奈たちの前に現れたのは、その頭部が骨のような外殻に覆われた不気味な竜だった。


 その外見を一言で例えるなら──鬼だ。

 頭部を覆う白い外殻は人の顔とよく似ている。

 さらには額の位置から伸びる赤い角。そして下顎から突き出た二対の長い牙。

 それらを剥き出して般若の如き形相で咆哮する様は、まさに鬼と呼ぶに相応しかった。

 

 ──鬼面王竜オウガドレイク


 それがこの魔獣の名前である。レッサードラゴンと同じく飛膜を持たないタイプの竜だが、その格は桁違いだ。

 闇魔法──特に呪い系統の扱いに長けており、竜が持つ強靭な肉体も相まって並の冒険者では歯が立たない。まさにA級ダンジョンのボスの座に相応しい魔獣であった。


「いやいや……鬼とつけば何でも有りっすか、このダンジョン。ま、どっちにしろ最悪っすけど……」


 巨体を見据えながら、星奈は忌々しそうに吐露した。

 そもそも彼女の想定では、ボス魔獣と遭遇する前に賢人と合流しているはずだったのだ。

 自分の持つ【気配察知】スキルならば、彼を見つけ出すのは容易い。

 仮に見つけれずとも、ボス魔獣の接近をいち早く察知して回避するつもりだった。

 事実、彼女の【気配察知】は最高レベルである。

 その索敵範囲は並外れたものではなく。彼女がその考えに至るのに、充分過ぎる性能を有していた。


「ど、どうしますの? 流石にアレはワタクシ達では手に負えませんのでは!?」


 初めて対峙するS級魔獣に、慌てた様子を見せる麗華。そんな彼女を落ち着かせるべく、星奈はなるべく冷静に受け答えする。


「そんなに心配しなくても、さっき話した通りここは潔く撤退するっす。ウチが今から【逃走術】と【加速】を使うっすから、そのタイミングで来た道を真っ直ぐ戻るっすよ」


 索敵に絶対的な自信を持つ星奈にとって、鬼面王竜オウガドレイクの接近を許した事は想定外の出来事であった。

 しかしながら、絶望するにはまだ早い。

 彼女はSランク。そして、その天職は盗賊である。

 逃げることにかけて、この天職の右に出る者はいないのだから。


「そ、そうでしたわねっ! 申し訳ありませんですの……ワタクシってば、つい慌ててしまって」


「ふふ、落ち着いていけば大丈夫だよ」

 

「そういうことっす。んなわけで──全力で逃げるっすよ! 【幻紫煙】っ!」


 言葉と同時に星奈が、鬼面王竜オウガドレイクに向けて何かを投げ放つ。勢いよく放たれたそれは、鬼面王竜の眼前でぽんと爆発すると、もくもくと紫煙を燻らせた。


「この煙が出てる間、相手は幻覚に囚われるっす。さ、今のうちにトンズラするっすよ」


 彼女の言うとおり、鬼面王竜はスキルの効果によって幻覚を見ているようだった。

 何も無い虚空へ向けて、腕や尾を振り回して暴れ始める。

 スキル効果が正常に発動した事を確認した星奈が、【加速ヘイスト】をパーティーに発動させた。


「では前衛のワタクシが先行しますわ。瑠璃子さんはワタクシについて来てくださいまし」


「了解だよ。ありがとう、麗華ちゃん!」


 先導を申し出た麗華が先に駆け出す。

 このボス魔獣から撤退できたとしても、別の魔獣と遭遇する危険性は十分にある。

 それを考慮しての行動だった。

 瑠璃子も彼女の言葉に従い、その後ろに続いていく。


「っ……!? な、なんですの!?」


 しばらく進んだところで、麗華はその足を止めた。

 見れば、前方に奇妙な壁ができていた。壁と言っても、物理的なものではない。

 黒っぽい半透明のガラスみたいな壁だ。

 それが空間を囲うように出現しており、麗華たちの退路を阻んでいた。


「星奈ちゃん……これ……」


「うげっ……!? マジすか。幻覚相手に本気出し過ぎっすよ……」


 その壁を見た星奈が、心底気だるそうに吐露した。

 そんな彼女の表情を見て、麗華が怪訝な顔をする。


「あの、これは一体……? ワタクシ魔法にはあまり詳しくなくて……」


 問われた星奈は深い溜め息をついた後、一拍置いてその問いに答えた。


「これは闇属性の結界魔法っすよ」


 闇属性魔法──【伏魔殿パンデモニウム】。

 闇のベールによって対象を閉じ込めつつ、闇属性魔法の威力を強化する漆黒の結界魔法。


「──要するにウチら、あの般若ヅラの竜のに閉じ込められたってわけっす」


 結界魔法は、その属性によって性質を大きく違える。

 例えば聖属性ならば、結界魔法は外部からの攻撃を防いだり、魔獣を遠ざける効果を持つものが多いが、闇属性はその逆である。

 敵を捕縛したり、状態異常バッドステータスを与えたりと。

 空間を自らを有利な環境へと変質させる効果を持つものが多いのだ。

 獲物を逃さぬ為の結界──まさに狩場と形容するに相応しい魔法だった。


 ──グォォォオッォォォォォォオオオオ!!!!


 背後から響く咆哮が溶岩洞を揺らす。

 鬼の慟哭は、星奈の放ったスキル【幻紫煙】の効果が切れたことを示していた。


「とにかく死にたくなかったら応戦するしかないっす」


「それでしたら、賢人さんが見つかるまで先ほどのスキルで耐えると言うのはいかがですの!?」


 麗華の提案に星奈は首を横に振った。


「【逃走術】は魔獣の耐性も無視できるくらい強力っす。だけど、重ねがけができないんすよ……当たり前っすけど、〝逃げる〟前提のスキルっすから、コレ」


「そ、そんな……!」


「……まだ他にも【逃走術】スキルがあるっすけど、それはヤバい時に使うっす。それ以外は普通に戦って耐え忍ぶしか無いっすね」


 言い終えた後、彼女は二対の短剣を構えた。

 既に鬼面王竜は自分たちを狙っている。向かい来る攻撃に備え、彼女は【加速】を重複発動させる。


「麗華ちゃん。今は……やるしかないよ」


「くぅ……仕方ないですわねっ! ここで怖気づいていては西園寺の名が廃るというもの……!」


 轟く咆哮。それに呼応するように麗華は空を駆けた。

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