第68話

 ホテルを出てすぐ近く。

 店舗前に置かれた自販機の傍に星奈はいた。


「ここにいたのか。急に飛び出していったから驚いたぞ」


「パ、パイセン……? ウチ……」


「気にするな。それより体調は大丈夫か?」


 彼女の言葉を遮り、俺は尋ねる。

 すると、なぜか星奈は驚いた顔で聞き返してきた。


「体調? いったい何の話っすか? ウチは見ての通りピンピンしてるっすよ?」


 小首を傾げる星奈。その仕草からは、強がりといった様子は見られない。

 どうやら言葉通り、何ら不調はないようだった。


「そうなのか? 口を抑えて走り去ったから、てっきり具合が悪いのかと思ったんだが……ま、元気なら何よりだよ」


「あー、そういうことっすね……心配かけてすみませんっす……」


「だから気にするなって。それよりまだ食事の途中だろ? 広間に戻ろうぜ」 


「ちょ、ちょっと待ってほしいっす!」


 戻ろうとする俺の足を、星奈の言葉が止めた。

 振り返ると、何やら手指をもじもじさせながら気恥ずかしそうな目をこちらに向けている。


「どうした?」


「その……勝者の権利、今使いたいっす」


 彼女の言っている権利とは、勝った方が何でも一つ言うことを聞くというやつだ。

 実を言えば、昼間に行われた星奈とのビーチバレー対決に俺は負けたのだ。

 人力分身で疲弊していたのもあるが、それ以上に逃走術スキルを駆使した彼女のトリッキーな戦術はなかなかに手強く。奮闘はしたものの、僅差で俺は星奈に敗れた。


「それは構わんが……こんなところで何をさせる気だ?」


 従って星奈は当初の取り決め通り、俺に対して何でも一つ命令する権利を有している。

 それを今、この場で使いたいと言うのだ。

 こんな場所でできることと言えば、自販機のジュースを奢るくらいなんだが。

 罰ゲーム的な事をするには、いささか観客が不足してるしな。


「……目を瞑ってて欲しいっす」


「目を? そんな願いでいいのか? 何でも言う事を聞いてもらえる権利だぞ?」


「いいから瞑るっすよ! ウチが良いって言うまで開けちゃ駄目っすからね!?」


 星奈に急かされ、俺は仕方なく目を瞑る。

 つーか、京都の時もこんなやり取りがあったな。

 恐らくだが、目を瞑っている間に何か悪戯でも仕掛けるつもりなのだろう。

 ちょっと怖えな。星奈のことだ。いったい何をされるのか不安である。


「動いちゃ、駄目っすよ……」


 そんな風に思考を巡らせていると、俺の身体に星奈の手が触れた。

 それからしばらくして──。


 ──ふにゅっ。


 唇に何やら柔らかい感触。

 え? なにこれ……クラゲ?

 日中、浜辺でユーノに向かって投げつけていたクラゲの事を思い出して、少しドキッとする。

 いや、でもクラゲにしては生暖かいような──。


(いや、これって……!?)


 ハッとして、俺は思わず目を開いた。

 すぐに視界に入るのは、星奈の長いまつ毛。

 そして俺の唇に押し当てられているのは──彼女の柔らかそうな唇だった。


「んっ……パイセン……なんで目開けちゃうんすか」


 少しまぶたを開いた星奈。とろんとした表情のままで言う。

 赤く染めた頬が、とても艶やかだ。


「せ、星奈……? どうして──んむっ」


 吐き出そうとした疑問を、さらに唇で塞がれる。

 それ以上は言うなと、そう言わんばかりに。


(ええい、儘よ!)


 高ぶる鼓動を誤魔化すように俺は念じた。

 理由はわからんが、今はこの心地よさに身を任せよう。

 こういうことは、考えたら負けなのだ。そう思い、俺はまた目を瞑った。

 

 ──それから、何分経過しただろうか。


 いや、実際は数十秒程度しか経っていないのかもしれないが。

 とにかく、俺の唇を塞いでいた柔らかいものがそっと離れていった。


「星奈、お前──」


「……今は、何も言わないで欲しいっす」


 彼女はそれだけ言い残すと、そのままホテルに向かって歩き出した。

 俺は何も言えず、黙って彼女の背中を見送った。


「だぁー……いったい何なんだよ、アイツ」


 星奈の姿が見えなくなった頃、俺は頭を掻きむしった。

 はてさて、一体どのような意図で先ほどの行為に至ったのか。


「アイツ、俺のこと……いや、まさかな」


 普通に考えれば答えは一つしか無いのだが。

 それでも確信が持てぬのが、バキバキ童貞のサガってもんよ。


「はぁ……戻るか」


 ──早くなった鼓動を誤魔化すように。


 わざとらしく嘆息した後、俺もホテルへ戻ることにした。




 

 ──そんなモヤモヤした一日を終えて翌日。


 俺たちは海沿いを北に進んだところにあるダンジョン──【閻魔洞】へと訪れていた。

 ここは元々あった観光名所と同じ名前を冠する非常に珍しいダンジョンである。


 その理由は語るまでもなく。

 内部は一転してマグマの川が流れる洞窟となっており、オーガ系の魔獣が多数生息している。まさに地獄のような場所なのだ。


 ──故にこのダンジョンは鬼の支配する洞穴──【閻魔洞えんまどう】と呼ばれていた。


「おーほっほっほ! 本日はよろしくお願いいたしますわ!」


 ダンジョン前に響き渡る西園寺さんの高笑い。

 高い岸壁沿いが入口となっているせいもあって、その声は余計に響いていた。


「朝っぱらから元気だな……」


 こちとら昨日は悶々して、あまり寝れてねぇというのに。

 その元凶とも言うべき彼女は──


「さー! サクッと終わらせて遊びにいくっすよ!」


「ふふっ、星奈ちゃん頑張ろうね!」


 こんな感じで昨晩の出来事は無かったかのように、普段通りの振る舞いである。

 瑠璃子といい星奈といい。女子ってやつは、こうも感情を隠すのが得意なもんなのか。

 それともキス程度でいちいち慌てるもんじゃないってか。

 わからん。マジで女子わからん。


「さぁ、いざ出発ですわっ!」


 女子とはなんぞや。

 そんな哲学的思考に耽っていた俺の思考が、甲高い声によって引き戻される。


「ああ、わかったよ。つか、そんな調子でよく気疲れしないな」


「あら、当然ですわ? 淑女たるもの、常に淑女たれ──教わりませんでしたの?」


「いや、そんな台詞は知らん。どこぞのお偉いさんが言った名言かは知らんが、そもそも俺は淑女じゃないからな」


「はっ! それもそうですわね! 賢人様の場合は紳士に置き換えるべきでしたわ! 私とした事が……申し訳ありませんですの」


「あ、いや……重要なのはそこじゃないんだがな……」


 そんな俺のツッコミは、どうやら彼女の耳には届いてないようだった。


「おーほっほっほ!! それでは行きますのよ!」


 そう言ってステータスカードをゲートへかざした後、ダンジョン内へと進んでいった。

 仕方ないと、俺もその後に続いていく。



「うわっ! クソ暑いっすね……夏場に来るダンジョンじゃないっすよ、これ」


 ダンジョン内は事前情報通り、マグマの川流れる火山洞窟となっていた。

 岩……というよりかは冷えて黒く固まった溶岩の足場。

 立っているだけで汗が吹き出す熱気。そして火山ガスによって黄色く濁った大気。

 これまで潜ったダンジョンの中では最悪の環境だった。

 どんな場所だよそれってやつは、某狩りゲーをプレイする事をオススメする。


「葉山曰く、ここの地盤はプレート状になっているそうですわ。火山活動が活発になると岩盤ごと流されて分断されたり、来た道がマグマの川に変化しますの。ですから、皆様お気をつけくださいまし」


 眼前を流れる溶岩を眺めながら、西園寺さんが言う。

 流石にダンジョン内に入れば多少は気が引き締まるのだろう。

 入口で見せた様子から一転して、その声色には緊張が含まれていた。


「そうなのか。なら、はぐれないようにしないとな。俺はともかく、みんなは前衛無しだと苦戦するだろう。そこまで格下のダンジョンってわけでもないからな」


 ここ【閻魔洞】のダンジョンランクはAである。

 星奈や瑠璃子はその上のSランクではあるが、そのステータスはレベル相応。

 CランクやDランクまだしも、流石にAランクともなればパワープレイでゴリ押しできるような場所ではない。

 

「賢人さんの言う通りですね。Aランクなら、私や星奈ちゃんみたいな補助系天職だけで乗り切るのは少し辛いです」


「ええ。ですが、心配には及びませんわ! たとえ分断されてもワタクシの天職をもってすれば、些細な問題ですわ」


「相当な自信があるみたいだな。そんなに優秀な天職なのか?」


 葉山さんに事前に伺った情報によると、彼女の天職は【曲芸師】という近接天職だ。

 詳しくは知らないが、名前を聞く限り戦闘向きとは思えない。


「もちろん、ソロで魔獣の群れを切り抜けるわけではありませんわ。【曲芸師】は、このような地形変動に滅法強いですのよ。ワタクシの持つスキル【空歩】は、名の通り空中にもう一度跳ぶための足場を生み出しますの。ですから、今この場で足場が崩れようとも容易に回避できますのよ!」


「へー、俗に言う〝二段ジャンプ〟ってやつっすね」


「二段どころではありませんでしてよ。レベルが上がれば最大で五段まで可能ですわ! つまり、ワタクシには地形不利というのが存在しませんでしてよ! おーっほっほっほ!」


 頬に手を当てて高笑いする西園寺さん。

 自らのスキルの有用性を語って、少し緊張が解れてきたのだろう。


「なるほど。ま、その分だと西園寺さんが孤立する可能性は低そうだな。後は機動力の低い瑠璃子が心配だが……」


 星奈の【加速】があるから多少はマシだろうが、あのスキル自体は元の敏捷ステータスから乗算で上昇させるからな。基礎ステータスが低い瑠璃子には恩恵が薄い。


「うぅ、すみません。神官は移動系のスキルがありませんから……ひゃっ!?」


 言葉の途中で瑠璃子が可愛らしい悲鳴を上げる。

 見れば星奈が彼女の豊かな双丘を後ろから揉みしだいていた。


「こんなもの抱えてるから敏捷ステータスが上がんないんすよぉ……ほれほれっす」


「だ、駄目だよ、星奈ちゃん! 賢人さんが、見てるのに……んっ、ひゃう……!」


「うーん。けしからんっす……」


 星奈の手のひらで、むにむにと柔らかそうにその形状を変えてゆくメロン。

 うーん。確かに、けしからん。


 ──って同じような感想を述べている場合じゃなかった。


「ご、ごほんっ! いい加減それくらいにしとけ。下位ランクとはいえ、一応はダンジョン内だ。ちょっとは警戒しろ」


「ちぇ、わかったっすよ」


 俺に咎められた星奈は、渋々といった様子で双丘から手を離した。

 まったく。けしからんやつだ。

 一応、今回は西園寺さんの探索講師としての立場もある。

 あまり、いい加減な調子で探索していては彼女に悪影響だろう。


「──こ、これが〝仲間〟同士のスキンシップですのね……っ!! 胸を揉みしだく……はっ!? つまりこれは、人体で最も大事な部分──心臓をお前に預けるという意味ですのねっ!?」


 ……ほら、言わんこっちゃない。多分、この子ちょっと馬鹿なんだろう。

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