第65話

 そんなこんなで俺たちの夏が、幕を開けた。

 本来であれば、ここで元気よく砂浜を駆け出していく場面だろう。

 しかしながら俺は、開始早々レジャーシートへと腰を落ち着けた。

 そして、そこから青い水平線をぼんやりと眺め、嗜む。

 要するに完全なくつろぎモードである。


「ふぅ、みんな楽しそうで何よりだな」


 あえて言おう。アクティブな遊びだけが海の楽しみ方ではない。

 こうやって皆が楽しんでる様を眺めながらゆったり過ごすのもアリじゃないか。

 

 ──まるで中年サラリーマンじゃないかって? 


 休んだって、いいじゃない。にんげんだもの。

 ベストプレイスを賭けた、老執事──葉山さんとの熾烈な争い。

 そして、空から隕石の如く降ってきた西園寺さんとのやり取り。


 それらの出来事に多大な精神力を消費したのもあるが、それ以前に俺は陰の者。

 パリピさながらのハイテンションで海に飛び込む気概など、毛頭ないのだ。


「ふへへ、喰らうっすよ──必殺クラゲ爆弾っ!!」


「ひぃぃ! やめるのじゃ! そのぶよぶよを妾に投げつけるでない!!」


 そんなレジャー疲れのお父さん気分で過ごす俺とは正反対に。

 我が家のぺたんこシスターズは元気良く波打ち際ではしゃいでいた。

 なんとまぁ、楽しそうなことか。

 特に星奈。あいつは本当に高校生なのか。

 遊び方が小学生のそれと丸っきり一緒なんだが。


「おーほっほっほ! 甘いですわ! これぞ西園寺家が誇る秘技──クラゲの舞……ですわっ!」


「うわぁぁぁあん!! やめるのじゃ~っ!!」


 いや、もう一人いたわ。小学生レベルのヤツが。

 それはさておき、その遊びはやめとけ。

 いくら砂浜に打ち上がった死骸だろうと、倫理的にNGだから。

 いや、ゴブリンの首を消し飛ばしてる俺が語るのもおかしな話なんだけどさ。


「あいつら元気だなー。若いって羨ましいぞ」


「──なに心気臭いこと呟いてるの。まだそんな歳じゃないでしょ、お兄ちゃん」


「そうですよー! 賢人さんだって、私たちとそんなに変わらないじゃないですか」


 中年親父みたいな感想を吐露しながら星奈たちを眺めていると、雪菜と瑠璃子がシートに戻ってきた。


「雪菜か。まぁそう言うなよ。実は仕事を始めるとな……恐ろしいくらいに時間が早く進むんだよ。そりゃもう浦島太郎もびっくりするぐらいにな。だから逆にこういう時はゆっくりしたくなるんだよ」


「あーはいはい。わかったから。なんでもいいけど、せっかく海に来たんだから、お爺ちゃんみたいな顔しないでよね」


 普段通りツンツンとした態度を見せる雪菜。

 そんな彼女の手には色とりどりのシロップがかかった山盛りのカキ氷が。

 どうやら近くの売店で買ってきたようだ。


「……ほら、これあげるから。ちょっとは元気でるでしょ?」


 雪菜はそう言って、俺に片方のカキ氷を押し付けるように寄越した。

 なんて気の利いた妹だろう。まさか俺の分まで買ってきてくれるなんて。


「お? おぉ……!? ありがとな、雪菜……ぐすっ」


 お兄ちゃん感動して涙が出ちゃう。


「はぁっ!? なんで泣いてるのよ!? キモっ!!」


「ふふっ、良かったですね。賢人さんっ」


 ああ、本当によかったよ。

 雪菜のデレを見れただけで海に来た甲斐があるってもんだ。

 それにしてもこのカキ氷、やけにシロップの色が汚いんだが……。


「ちなみに我が妹よ──このシロップは何味なんだ?」


 その正体を知るであろう妹者へ、恐る恐る尋ねた。

 万が一、意外性を売りにした商品ならば、無粋な質問であったことは先に謝罪しよう。

 しかしながら、このあまりに小汚い見た目だ。確認せずに食えるヤツはイカれている。


「イカスミ味だって。珍しいし、お兄ちゃん好きそうかなって」


本気マジでイカれてやがる」

「……は?」

「いや、なんでもない。気にするな」


 悪いけどお兄ちゃん、お前のセンスが理解できないよ。

 イカスミが好きなんて要素、今まで一回も見せたことないんだけどなぁ。

 なにこれ、新手のイジメ?


 とはいえ貰った手前、文句も言えまい。

 こういうのは商売にしてるだけあって意外と美味かったりするんだよ。

 俺は先をスプーン状に開いたストローで真っ黒な一山をすくうと、口に運び込む。


「お、美味しいですか……?」


 こいつマジで食いやがった。そう言わんばかりの表情で俺を見る瑠璃子。

 さては貴様。雪菜のチョイスがヤベーなと思いつつも止めれなかったクチだな?

 くう、良い子ちゃんの最大の弱点なんだぞ、それ。

 いや、それよりも味だ、味。肝心の味はと言うとだな──


「──このカキ氷を作ったシェフを呼んでくれ」


 そして俺の前で説明してくれ。

 なぜ金取ってこれを売ろうと思ったのか。その経緯を、余すことなくすべてな。


「あ、やっぱり不味かったんだ……」


 俺の表情を見て、ぽそりと呟く雪菜。

 さては貴様。怖いもの見たさで買ってみたくなったけど、自分で試すのは嫌だから俺の分として買ったクチだな?

 お兄ちゃんで……実験したんだなっ!?


「雪菜よ……お兄ちゃんが何をしたと言うんだ……?」


 真っ黒な歯をむき出し、囁くように問いかける俺。

 やはり俺は少し雪菜を甘やかしすぎたようだ。

 お兄ちゃんにも人権があることくらい、ここで教えておかねばならない。


「ご、ごめんってば。ほら、あたしの分、一口あげるから、ね? 許して?」


「──よし、許す」


「は、早いですね……」


 引き気味の瑠璃子には申し訳ないが、お兄ちゃんとはそういう生き物なのだよ。



「見てみ朱音! ウチの最高傑作──大阪城や!」


 俺がドス黒いカキ氷を味わう一方で、如月さんたちは浜辺でサンドアートを制作していた。

 そのすぐ傍にはハイクオリティな砂のお城の姿が。

 いや、上手すぎでは?

 天守閣はもちろんのこと、その城下に広がる大阪城公園まで完全再現していた。


「ええやない。流石は琴音やねぇ」

「えへへ、せやろ? ウチこう見えて美術はA評価やったんやで!」

「ふふ、琴音はすごいんやね。あ、ウチのも見てや」

「もちろんや! どれどれ見してみ……う゛ぇっ!?」


 如月さんが声を詰まらせるほどの作品。

 そんな彼女同様に俺はその作品を見て──ぞっとした。


「タイトルは──〝成長記録〟や」


 彼女が砂で創り上げたのは男性の胸像だった。

 美術室にある石膏像──あんな感じのすげーリアルなヤツだ。

 ただし、その頭部に関しては、異様の一言しか出てこなかった。

 胸像の顔のちょうど目の位置辺りだろうか。

 そこから上半分が切り取られて平らになっていた。

 出来上がった面を台座代わりに、今度はそこから樹木に似たオブジェが枝を伸ばす。

 端的に表現するならそれは、頭半分が樹木に寄生された人間だった。

 いや、独特すぎでは……?


「なんやそれ? ひ、人なんか?」

「だから〝成長記録〟やて。──ふふ、ウチってセンスあるかもしれん」


 答えになっていない答え。

 心を病んでるのかと心配してしまう。そんな作風である。

 しかしまぁ、こういう前衛的な作品というのは、刺さる人には刺さるからな。

 SNSにでもアップすれば、それなりに共感する奴らも出てくるはずだ。

 

 ──そしていずれ彼女は数十万フォロワーを抱える超売れっ子アーティストとして界隈に名を馳せてゆくのだろう。


 ……なんてな。


「──お寛ぎの所、失礼いたします。少々よろしいでしょうか」


 勝手に日坂さんのサクセスストーリを妄想していたところ、先ほど争った老執事──葉山さんが近付いてきた。

 はて、なんだろう。彼は従者らしく少し離れた位置で控えていたはずだ。

 あくまでも西園寺さんの付き人。そんな感じで遊びの輪には入っていなかった。

 そんな彼がわざわざ声をかけてくるとは如何ほどの用事だろうか。


「えっと……西園寺さんはあちらですよ?」


 小首を傾げながら瑠璃子が答えた。


「ほほっ、合っておりますよ。お嬢様ではなく、皆さま──正確に言えば、馬原様にお話があって参りました」


 間違いではないかと示唆してみたが、どうやら俺に用事があったらしい。

 なんでだろう。嫌な予感しかしないのだが。


「はぁ……何でしょう?」


 簡潔に用件を尋ねた。

 ちなみに敬語に戻したのは冷静さを取り戻したからだ。

 正確な年齢は不明だが、少なくとも俺の倍は生きてるであろう人生の大先輩なのだ。

 先ほどは熱くなってついついタメ口になってしまったが、平常時ならきちんと敬意をはらうべき相手だと考えた。


「おほんっ──では、失礼ながら単刀直入に申し上げます」


 葉山さんは咳払いを一つした後、一流の執事らしく左手を腹部に添えて礼をした。


「実は馬原様へ──麗華お嬢様のをご依頼させて頂きたいのです」

「……むぁ?」


 あまりに意味不明過ぎるお願いに、思わず変な声が出た。どっから出てきたんだよ。こんな声。


 それはさておき、何言ってんだ。この爺さん。

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