【閻魔洞】編

第62話

 ──季節は移り変わり。


 ジーッジーッジージジージリッー!!


 ひと夏の恋を求め、夜明けと共に大合唱を始める夏の風物詩。

 何を隠そう、奴らである。

 その歌声で異性の心を射止めんと躍起なっている、あの虫共だ。


 ぶっちゃけ、どれも同じ鳴き声にしか聞こえんが、それは俺が人間だからだろう。

 人類にはその差異が理解できずとも、奴らにとっては童貞卒業を賭けた大規模歌唱コンペなのである。


 故に、必死。

 故に、本気。


 詰まるところ、何が起こるかと言えば。

 どいつもこいつも、我こそは美声の持ち主と言わんばかりにボリュームを上げて鳴き叫ぶのである。


 ──ジジジジーッ!!ジジッー!!ジリッージジージリッー!!

 

 そんな訳で。本気を出した奴らのラブソング。

 それらが不協和音となって俺の部屋に鳴り響く。


 ──最悪の目覚めである。


「だぁー!! うっせぇ、うっせぇ……うっせぇわ!!」


 俺まで歌い出しちまうぞ、この野郎。


「特に木と間違えて、近くの電柱に留まってる奴!! さっさと公園に帰れよ!!」


 コンクリートジャングルの意味を履き違えてるなコイツは。全く。

 そんな感じでセミ相手にキレ散らかしていたところ、下の階から雪菜の怒声が響いた。


「──ちょっと! お兄ちゃん!? 朝から部屋で騒がないでくれる!?」


 どうやら俺の叫び声が、キッチンにいるであろう彼女まで届いてしまっていたようだ。


 まったく、こちとら被害者だと言うのに。


 本来叱られるべきは、朝っぱらから俺の安眠を妨害してくるセミ共であるはずなのだ。

 無論、そんな俺の不満など知る由もなく。

 奴らは今現在も悠々自適にシャウトしていた。


 Sランクのステータスをフル活用して今すぐ一匹残らず駆逐してやろうか。

 なんて邪念が浮かび上がったが、すぐに振り払った。


 兎にも角にも、これ以上騒ぐのは賢明ではない。

 なぜなら、今彼女の機嫌を損ねれば、もれなく朝飯が抜きとなるのだから。

 それだけは絶対に避けなければならない。最優先事項だ。

 愛する妹の手料理のためなら、たとえ家庭内カースト底辺だろうが別に構わんのだ。


 故に、俺はこれ以上雪菜の機嫌を損ねまいと、物音一つ立てずに支度する。

 忍者の如き早業で着替えた俺は、速やかにリビングへと向かった。

 


「──おはよう雪菜。今日も最高に可愛いな」


 リビングに降りてきた俺は、早速愛情たっぷりの挨拶を雪菜へ送った。

 すると彼女は、挨拶の代わりにげんなりした表情を俺に返す。


「はぁ……お兄ちゃん。毎朝それ言って恥ずかしくないの……?」


 呆れ声で俺に問い掛ける雪菜。


「恥ずかしい訳がないだろう。何せ事実だからな」


「またそんな適当なこと言って……」


「いやいや。雪菜のことは本当に心から可愛いと思ってるさ」


 いったい何を言っているんだ、我が妹は。

 そもそも、妹という概念が既に可愛いのだ。

 さらに言えば、雪菜は可愛い。

 従って、可愛いのである。

 はい──証明終了。


 意味不明と思ってる奴。

 その感性は正しいから安心しろ。

 俺も何言ってるのか、よくわからん。


「でもお兄ちゃんの周りには可愛い子いっぱいいるじゃん。そんな中で可愛いって言われてもねぇ……」


「星奈と瑠璃子の事か? ま、美少女でないと言えば嘘になっちまうが、それでも一番は雪菜だな。いや何が可愛いってまず第一に──」


「あぁもうっ! わかったから! ──ほら! 朝ご飯できてるから早く座って!」


 今から語る気満々だったと言うのに、強引に話を切られてしまった。

 消化不良ではあるが、深追いはしない。

 あまりしつこく言うと、今度はガチで怒られちまうからな。

 引き際を弁えてこそ、優秀な妹マイスターなのである。


「……相変わらず、雪菜と接する時のお主はキモいのじゃ」


 一連の会話を眺めていたユーノが、ぽそりと呟くがあーあー何も聞こえなーい。

 俺の妹愛を否定する輩の言葉は、自動的にシャットアウトする仕様なのである。



「──そういや雪菜。今週は予定空いてるか?」


 なにはともあれ。

 食卓についた俺は、潰した黄身をベーコンに絡めながら切り出した。


「空いてると言えば、空いてるけど。でも急にどうしたの?」


「実は星奈たちからメッセージが来ててな。単刀直入に言えば海に行かねーかって話なんだけど──」


 ──ガタッ!


 俺の言葉を在り来りな効果音が遮った。


「う、海じゃと……!? 妾も行きたいのじゃ!!」


 机に乗り出すような姿勢で激しく興味を示すユーノ。

 よほど行きたいようだ。その瞳は期待に満ち溢れていた。


「やけに意欲的だな? そんなに海が好きだったとは意外だぞ」


「うぬぅ、特別海が好きというわけではないのじゃが。この身なり故にそもそも〝れじゃー〟とやらを楽しめんからの……楽しそうな場所という知識だけで悶々としておったのじゃ」


 まぁ、気持ちはわからんでもない。

 亜人という立場を隠すため、不要不急の外出を控えてる状況だしな。

 出かけるにしても全身を覆い隠さなきゃならんし、そりゃストレスも溜まるってもんだ。


「しかしなぁ、お前を連れてくとなると、それこそプライベートビーチを丸々借りなきゃならんのだが……」


 要するに、たかだか国内の海へ行くのに数百万円の予算をかける事になる。

 儲けとるやないかと言われれば、それまでなんだが。

 如何せん心が庶民的なので気乗りしないのだ。


「な、ならば妾が出そうではないか! かか、金ならいくらでもあるのじゃ! ほれ! これだけあれば満足じゃろう!?」


 そう言って懐から札束を取り出すユーノ。

 帯封で纏められたそれは、パッと見でも数百万円はあるだろう。

 彼女はそれをダメ押しとばかりに机に叩きつけた。


「……いや、どこの悪党だよそれ。しかも本人は戦闘力皆無のタイプじゃねえか。追い詰められた時くらいしか吐かねえぞ、そんな台詞」


「えへへ。一回言ってみたかったのじゃ」

 

「あっそう……つーか、どこに札束抱えてんだ。不用心にもほどがあるだろう」


 そこまでして行きたいのか。なんていう感想以前の問題だった。

 小銭感覚で大金を持ち歩くなど、一昔前の大富豪くらいだろう。

 俺に指摘されたユーノは不満げに唇を尖らせる。


「仕方ないじゃろ。妾は口座もカードも作れんのじゃから。現状は持ち歩くのが一番安全なのじゃ」


「あぁ、そうだったな。すっかり忘れてた。今度局長にでも要望出しとくか。ステータスカードに電子決済機能つけろってさ」


 局長ならユーノが亜人である事を伝えても問題無いだろう。

 二人目の亜人である日坂さんと既に関わりがあるしな。

 ユーノの悩みについても理解してくれるだろう。


「あ、そういえば」


 ──と、そこまで思考したところで一つの案が浮かび上がった。

 よくよく考えれば、プライベートビーチを貸切なんて大層な事をする必要はなかったのだ。


「大丈夫だ、ユーノ。その金は使わなくて済みそうだぞ」


「なんじゃ、藪から棒に……。お主のその思いついたような表情を見ると不安になるのじゃが……」


「いや、なんでだよ。冒険者登録の時も上手くいったろ?」


「ぬぅ、それは確かなのじゃが、なぜかの。……顔の問題じゃろか?」


「いや、本人に向かってそんなセンシティブな話を疑問系で問うんじゃねえ。泣くぞ」

 

 まったく、失礼な幼女だな。

 それはさておき。目先の問題は解決したことだし、星奈へ連絡を入れておくべきだろう。

 俺はポケットからスマホを取り出すと、メッセージアプリを開いて文字を打ち込んでいく。


「えっと、〝大丈夫だ。三人とも予定空いてるぞ〟っと──念の為、瑠璃子にも同じ内容で送っとくか」


 それから、あの二人にもな。

 

「あのさ、勝手に話進んでるけど、あたしはまだ行くなんて一言も言ってないからね……?」


「なんじゃと……雪菜は海が嫌いなのかの?」


「いや、別にそういう訳じゃないけど……その……」


 吐露しながら、雪菜は気まずそうな視線を俺へと向けた。

 はて、俺の顔に何か付いてるのだろうか。


「……ふふん、なるほどのぅ。お主も乙女じゃの」


「なっ! 何言ってるのユーノちゃんっ!? べべ、別にあたしは……!」


「はて? 妾は乙女じゃなとしか言っておらんがのー?」


 目を細め、生温かい目で笑みを浮かべるユーノ。

 すると雪菜は顔を逸して黙り込んでしまった。心做しか、その耳が赤い。

 うーん、よくわからんが、照れる雪菜が可愛いので良しとしよう。

 とはいえ、一応は意思確認はしておかないとな。


「とりあえず雪菜も行く予定で良いんだよな?」


 改めて問い掛けると雪菜はしばらくモジモジと指を遊ばせて──


「ま、お兄ちゃんがどうしてもって言うなら……」


 ──消え入りそうな声で意思を示した。


「なら決まりだな。色々と準備もしねーと……あ、水着も買わねーとな。見に行くか?」


 海と言えば、やはり海水浴。無論、水着は必須アイテムだろう。

 そんな安直な発想から二人へ提案したところ、なぜか冷やかな視線が飛んできた。


「は? キモっ……わざわざお兄ちゃんと買いに行くわけないじゃん」


「お主は本当にデリカシーが無いのう……」


 軽い気持ちで尋ねたが最後。言葉のナイフが遠慮なく俺を突き刺す。

 そ、そんなに嫌がんなくてもいいじゃん。お兄ちゃん泣いちゃうぞ。


「そもそも、たとえ恋仲であっても、そういうものは当日の楽しみにするのが紳士ってものじゃぞ? まったく……デリカシー以前にマナーの問題なのじゃ」


 雪菜はともかく。お前の場合は子供用の水着コーナーなんだけどな。

 なーんて言えば、余計に反感を買うのが目に見えた。

 従って、ここは大人の対応で穏便に済ます。


「お、おう。なんか、すまんな。でも本当にいいのか? せっかくだし買ってやろうと思っただけなんだがな」


 クールかつ誠実な言葉のチョイス。我ながら完璧な〝いいお兄ちゃん〟である。

 これで二人の警戒心も解けたことだろう。

 べ、別に水着選びイベントなんて期待してないんだからねっ!


「いや、大丈夫。あたしとユーノちゃんは二人で買いに行くから」

「うむ、気持ちはありがたいが、雪菜の言う通りなのじゃ。悪いの、賢人」


 どうやら俺にはラブコメの神が憑いていないらしい。 


 ──結局、俺は一人で水着を買いに行くことにした。

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