第三部
プロローグ
プロローグ
──気がつけば、私は見上げていた。
荒廃した世界。
日没と共に濃紺に染まった瓦礫の平野。
そこで私は、天を穿つほどに巨大な塔を見上げていた。
(ここは、どこっすか……)
周囲を見渡しても、見知った景色は一つもない。
何もない。本当に何もないのだ。
どれほど遠くまで目を凝らしても、視界に映るのは星のない夜空と、瓦礫の地平線。
そんな寂しい世界に存在する唯一の建造物は、眼の前に聳え立つ巨塔だけだった。
(とにかく、ここを調べるしかないっすね)
ここで立ち尽くしても、何も得られない。
そう悟った私は、意を決して巨塔に向かうことにした。
塔までの距離は案外、短かった。
というより、見かけの距離と実際の距離との間に、大きな乖離があるように感じた。
感覚的には数十秒しか歩いていないのだ。それなのに、私はもう塔の入り口まで到達していた。
よくわからない彫刻が施された重厚な扉。
そのあまりの大きさに、とてもじゃないが人の力では開けそうにない。
それでも、私は扉に手を触れた。
なぜなら、巨塔以外に何も存在しないこの世界において。
選択肢はそれしかないのだから。
──ゆっくりと腕に力を込める。
「あっ……あ゛あぁ……ッ!?」
すると、途端に鈍器で殴られたかのような頭痛が私を襲った。
予想もしていなかった痛みに、私は思わず声を上げた。
知らない声。知らない景色。知らない感情。
それらが頭の中でぐるぐると渦巻くように浮かび、また消える。
思考をかき回されるような感覚に、私は思わず嘔吐感を覚え──そして。
◇
──次に映ったのは、見慣れた天井だった。
「ゆ、夢……?」
背中に感じる柔らかい感触。
それが自室のベッドのものであることを思い出し、自分が今まで寝ていたのだと知る。
どうやら先程まで見ていたのは、夢だったらしい。
「うー、疲れてるんすかね……それにしても気持ち悪い夢……」
思い返せば、ひどく現実味の無い夢だった。
それでも見ている最中は、その違和感に全く気付かないものなのだから。
こうして現実に回帰して冷静になると、逆に感心したくなる気持ちになった。
「ひゃ……汗でべとべと……最悪っす」
身体を包む不快感。見れば、寝汗で衣服がぴったりと張り付いていた。
あまりの気持ち悪さに、私はベッドの上でTシャツとスウェットパンツを脱いだ。
そしてタンスから適当に替えの衣服を手に取ると、下着姿のままで脱衣所まで向かう。
家には父親が住んでいるが、別に気にしなかった。
あの物ぐさ親父が、こんな早朝に起きてくることなどそうそう無いのだから。
脱衣所に着くやいなや、私は下着を脱いで全裸になった。
そして汗だくの衣服や下着をネットに詰めた後、洗濯機へと放り込む。
それからおしゃれ着用の洗剤をきっちり計ると、洗濯機の洗剤投入口へと流し入れた。
「よいしょっと……頼むから縮んでくれるなっすよー」
私が好んで買う服は、だいたい色柄物かキャラクターがプリントされたものなのだ。
下手な洗い方をすればあっという間に着れなくなってしまう。
だから洗濯にはいつも細心の注意を払っていた。
──といっても、最近は洗濯機を最新のものへと新調した為、負担は減ってはいるが。
『おはようございます。今は午前4時48分です。朝早くからお洗濯、お疲れ様です』
最新家電特有の無意味なお話機能を聞き流し、私は手早くモード選択のボタンを押した。
『ピロリロリン♪ ──オシャレ着モードで、運転します』
選択したモードが正しいことを聞き届けると、私は洗面台の前に立った。
(むぅ……あまり大きくなってないっすね)
鏡に映るのは自分の貧相な体躯。
その胸部の僅かな膨らみを、両手で確かめながら呟く。
残念なことに視覚的にも触感的にも、私のバストサイズは一ヶ月前と大差がないように感じた。
ネットで得た情報で色々と試してはいるのだが、どうやら全てハズレだったようだ。
「……」
あれこれ試したものの、最初からそこまで期待はしていなかった。
けれど、実際の結果として無意味だったと知るとやはりヘコむ。
「……やっぱり遺伝子には勝てないんすかねぇ。神さまは不平等っす……はぁ」
羨ましくも、たわわな果実を実らせる親友を思い浮かべながら、私はため息をついた。
(パイセン……やっぱ大きい方が好きなんすかねぇ)
ふと、京都での一夜が頭に浮かぶ。
瑠璃子に先を越されてしまった、あの夜のことを。
正直に言えば、あの晩、私はパイセンの部屋にいた。
盗賊の天職スキルを活用して、悪戯という言い訳を引っさげて部屋に忍び込んだのだ。
もちろん、そこから先のことは、まったく考えていなかった。
兎に角、どのタイミングで出てきてやろうか。そればかりを考えていた。
そうこうしているうちに瑠璃子が部屋にやってきたのだ。
(──そこで瑠璃子がパイセンにキスをして、それから……)
そこまで思い返したところで、私はとても恥ずかしい気持ちになった。
同時に、鏡に映る自分の頬が紅く染まっていることに気付く。
何を隠そう、私は寝ている彼をオカズに自慰行為に耽ってしまったのだ。
もっとプライベートに踏み込む勇気は無いクセに、そんな変態的でスリル満載の行為に耽る行動力は湧いてくるのだから、不思議なものである。
「……シャワー浴びよ」
なんだか自分の顔を見るのも居たたまれなくなり、私は自分に言い訳するように呟いた。
それから浴室に入ると、しばらく冷たい水をかけ流した。
──この火照った身体を、冷やすように。
シャワー浴び終えた後、私は自室へと戻った。
まだ髪が湿っぽいのも気にせずベッドへと倒れ込んだ。
それからスマホを開くと、適当にSNSのタイムラインを流し見る。
別に具体的な意図や目的はない。誰もが経験している、とりあえずの暇つぶしだ。
「あ、これ……」
タイムラインをスクロールしていると、とある写真が目に留まった。
フォローしている芸能人がアップしていた南国のビーチの景色だ。
「海……海っすか……うん、海っすね」
意味もなくその単語を連呼する。
それから私は思い立ったように、メッセージアプリを立ち上げる。
もちろん、連絡相手は決まっていた。
「〝おはようっす、パイセン──〟っと……ふふっ」
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