【祝福の花園】
「ウチは……ウチは間違ってたんやろか。朱音」
目の前を流れる川をぼんやりと眺めながら、私は問いかけた。
けれども、その問いかけに答える者はいない。
夕暮れの河川敷。芝生に腰掛けているのは、私一人だけだった。
稲荷山での戦闘の後──私は彼らから差し伸べられた手を振り払って、この場所を訪れていた。
いつも私の心を埋めてくれていた彼女は、もういない。
私の身勝手な欲望が、彼女を無理やり生かした。
私の歪んた欲望が、彼女を苦悩させてしまった。
私の愚かな欲望が、彼女を、魔獣に変えてしまった。
「うぅ、うっ……ごめん、朱音。ごめん……」
そして彼女を失い空虚になった心が。私を過ちに気付かせる。
つくづく、自分に反吐が出そうだった。
静かに、そして穏やかに流れる川。
そのせせらぎに、私の情けない声が重なった。
「──いやはや、困りましたねぇ……!」
「……っ? 誰や……?」
聞き覚えのない男性の声が響く。咄嗟に私は声の方向へ目を向けた。
そこには、見るからに胡散臭そうな顔をしたスーツ姿の男が立っていた。
おまけにその小脇には土だけの鉢植。パリッとしたスーツには全くと言って良いほど似合わない荷物だ。
正直、ただの不審者にしか見えなかった。
「私、意外と情に弱くてですねぇ。そんなを表情を見せられては、困るばかりですよ」
男は私の質問には答えず、額に手を当て困り果てたと言わんばかりのわざとらしい仕草を見せた。
その狐のように細い目が、私の涙を小馬鹿にしているようで、ひどく苛立った。
「──オッサン、何の用や。生憎、今は笑える気分ちゃうからな。喧嘩なら、買うたるで?」
自分でも驚くほどに低い声が出たが、言い直しはしない。
これくらいドスを効かせた方が、変質者を追っ払うには丁度よいだろう。
「まぁまぁ、そんな目で睨まないでください。愛らしいお嬢さんには似合いませんからねぇ! それに、私は喧嘩をしに来たわけではありません! 貴女に必要な物を届けに来ただけですからねぇ」
そう言って男は抱えていた鉢植をそっと置いた。
灰褐色の土が山盛りに入った何の変哲も無い鉢植えだった。
「……ギャグのつもりなら、悪いことは言わんから諦めたほうがええ。もしホンマにウチを慰めるつもりなら、せめて花咲かせてから持ってきい」
当然ながら、見ず知らずの男から贈り物をもらうような覚えはなかった。
それにプレゼントにしては、あまりにそれは微妙過ぎた。
花が咲いているなら兎も角、土だけの鉢植なんて貰って誰が喜ぶというのか。
訝しい男の行動に、私は自分の眉間にシワが寄っているのを自覚した。
「いやはや、痛いところを突いてきますねぇ。確かに、美しい花束でも用意できれば何よりかとは存じますが」
あからさまに不機嫌な態度を示す私を見て、男は取り出したハンカチで額を拭った。
「──それでも、これは貴女の鉢植です。そして、花を咲かせるのは貴女なのですよ」
「なんや、それは。どういう意味──」
言い掛けた刹那、私の胸元が淡く光った。
まるで蛍のような、小さな、小さな光。
「何やこれ……?」
驚く私の前で舞うようにゆらゆらと揺れる光。
それはしばらく揺れ踊った後、そのまま鉢植の土の中へと消えていった。
唖然とする私に、男が胡散臭そうな笑みを見せた。
「──種、ですよ」
「種……今の光が……?」
「えぇ、そうですとも。ただ、私はそう呼んでいますが、人によっては呼び方は様々です。──機会、希望、或いは──〝奇跡〟。どうぞ、お好きなようにお呼びください」
ただでさえ細い目を、さらに細めて男は言葉を続ける。
「さて、私ができることは以上です。この権能が与えるのは、あくまでも〝可能性〟ですからねぇ……! その種を育み、花を咲かせるのは貴女の役目ですよ、如月琴音さん」
不思議とその言葉を、私はすんなり受け入れる事ができた。
明らかに胡散臭い見た目をした男の言葉が、なぜだか強く心に響いた。
──花を咲かせなきゃ。
今一度、鉢植に視線を向けると、そんな衝動が脳裏に浮かぶ。
──だけど、どうすれば。
どうすれば、この種を育てられるのだろうか。
どうすれば、その花を咲かせられるのだろうか。
「悩む必要はありませんよ。これは貴女自身が持つ可能性。つまり、その答えを貴女は既に得ているはずですからねぇ。さぁ、思い返してみてください。〝彼女〟にとって、貴女がどう在りたかったのか。そして貴女の願いを」
私の願い。
朱音を失ったあの日、あの時、私は何を願ったのか。
彼女を生き返らせる事だろうか。
彼女に愛される事だろうか。
「違う……ウチはただ、伝えたかったんや」
勿論、彼女には生きていて欲しかった。
そして、私の傍で笑って欲しかった。
それも一つの願いだ。
けれども、本当は違ったのだ。
「ほんまは……たった一言、この気持ちを伝えたかった。ただ、それだけなんや」
本当の私の願いは、もっと単純な事だったのだ。
思い返せば、彼女に対して直接的に、それを伝えた事がなかった。
きっと私は怖かったのだ。彼女に、朱音に拒絶される事が。
怖くて、怖くて、口にする事から逃げてきたのだ。
「だから、神さまお願いや……もう一度、ウチにチャンスをくれへんか。自分勝手で愚かな、このウチに」
だからこそ、私は天に祈る。
「今度こそ朱音に……この言葉を伝えたいんや……だから!」
──刹那、脳裏に声が響いた。
私に宿った権能を、機械的に告げる言葉。
まるで最初から知っていたことのように。
それが持つ力の全てが私の頭に書き込まれてゆく。
こんな風に自らのスキルを理解するのは初めてだった
「ふふ、良い表情になりましたねぇ。やはり可憐な少女には、希望に満ちた眼差しをしてもらいたいものです」
傍らで男が気色の悪い事を言っているが、どうでも良かった。
今はただ、この花を咲かせたい。それだけだった。
だから、告げる。
今度こそ、道を踏み外さぬ為に。
今度こそ、彼女へ、──好きと伝えるために。
「日輪よ、咲け──【
言葉と同時、辺りが眩い光に包まれた。
陽だまりに佇むような、そんな暖かさが私を包む。
しばらくして、鉢植に盛られた土から一本の茎が伸びてきた。
否、鉢植だけではない。
気づけば私の周囲で、同じような植物の茎がどんどん伸び始めていた。
やがてそれらは、葉をつけ、蕾をつけ、そして──花開く。
それは、とても鮮やかな黄色をした向日葵だった。
時期外れに咲いた太陽の花が、あっという間に私を取り囲んでいた。
「綺麗や……」
美しく開いたそれらの一つ一つから、先ほどの蛍のような光が零れ出る。
その小さな光は、寄り集まり、やがて一つの形を形成していく。
──私が愛した、彼女の姿へと。
一回り小さくなったが、紛れもなく彼女だった。
少しづつ象られていくそれを見て、私は泣いていた。
迫り上がる感情が抑え込めず、雫がぼろぼろと零れ落ちた。
くしゃくしゃになった顔のまま、私は彼女を抱きしめ、そして伝えた。
「ウチは、朱音の事が好きや……っ! 他の誰よりも、大好きなんやっ! だから、だから──」
史上最低の告白だった。
気取った台詞もなく、ただ感情をぶつけるだけの、下手くそな告白。
玉砕覚悟も良いとこだろう。
だけど、そんな告白を受けた彼女はけらけらと笑いながら私の頬を拭う。
「……アホ。そないな事、もうとっくに知っとるわ。それより、ウチもあんたに伝えたい事があるんや──」
彼女は上体を起こすと、涙と鼻水にまみれた私の唇を奪った。
しばらくして唇を離すと、耳元で囁く。
「──実はウチも、大好きや。だからあの時……あんたに声かけたんやから」
◇
「──いやはや、完全に忘れ去られてますねぇ。ま、若さの証でしょうか」
向日葵に囲まれ、二人の世界に入る少女達を眺めて、狐塚は肩を竦めた。
それから彼は羽織っていたジャケットを脱いで、向日葵の一つに掛け置いた。
理由は至ってシンプル。
生まれたままの姿をした日坂朱音が後々、困るだろうと考えたからだった。
「さて、私も東京に帰りますかねぇ。……やれやれ、溜まった仕事も進めねばなりませんね」
思い出したくないと言わんばかりの表情で呟いた後、狐塚は少女らに背を向けた。
「──ちょ、待ちや! オッサン!」
すると、背後から彼を呼び止める声が響く。
赤髪の少女──如月琴音だった。
「おや、まだ何か?」
「……その、おおきに。こんな言葉じゃ足りんくらい、大きな貸しやけど、ほんまに感謝してる」
目を逸らし気恥ずかしそうに伝える彼女。
先ほどまで狐塚を変質者扱いしてた事が、彼女を気まずくさせていたのだ。
「いやはや、大した事はしておりませんよ。言ったでしょう? 私の固有スキルは、ただ可能性を示すだけ。可能性とは、そこに秘めているからこそ可能性と呼ぶのですよ」
「それは……そうかもしれん。けど、それでもウチはオッサンに救われたんや……だからちゃんとお礼はしたい。誠意見せれる程度には、お金やって、そこそこ持っとるんや」
受けた恩は意地でも返す。
そう言わんばかりに真剣な眼差しを見せる琴音。
「本当に大した事ではないんですよねぇ……鉛を金塊に変えろと言われた時の方が、よっぽど大変でしたからねぇ」
「鉛を金……?」
「あぁいえ。昔の話ですから、お気になさらず。んん~、それにしても困りましたねぇ……」
狐塚は額に手を当て、悩む素振りを見せた。
どこか嘘臭さを感じさせる仕草。
無論、彼自身は真剣に悩んでいるのだが、その飄々とした風貌がそう感じさせていた。
「……あぁ、それではこうしましょう!」
しばらく悩んだ彼は、何かを思い付いたかのように、ぽんと手の平を叩いた。
それから胡散臭い笑顔で、琴音に一つの提案を示した。
「──東京へ来るのは如何でしょう。あぁ、勿論お二人でね。流石に乙女の恋路を邪魔するような真似はできませんからねぇ……!」
「東京に? それは構わんけど、何させる気や……」
ニイッと笑う狐塚に若干の不審感を抱いた琴音は、恐る恐る尋ねた。
無意識のうちに彼女は自らの身を抱き締めていた。
あまりに胡散臭いその笑顔は、たとえ恩義ある相手でも彼女を引き攣らせるのに十分だった。
「特別な事は望みませんよ。ただ、とある青年の手助けをしてあげて欲しいのです。それが、一番の恩返しですからねぇ」
「なんやそんな事か。要するに誰かの手伝いをせぇって話やな」
存外まともな話であった為、琴音は安堵のため息をついた。
「そうなりますねぇ。──後は、彼女の容姿も理由の一つですね。こう見えてそこそこ顔が利きますから、近場にいた方が何かと助けになるでしょう」
そう言って狐塚は視線で朱音の方を指した。
向日葵に囲まれて佇む彼女。
その頭部には狐のような獣耳が生えていた。
無論、それだけではない。しなやかでふさふさとした獣尾もセットだ。
それは、これまで【
まさしく本物の獣耳と尻尾だった。
「オッサン……あれの原因が、わかるんか?」
「それなりにですねぇ。恐らく一度──転生しかけたのでしょうね」
「テン……? なんやそれ……?」
耳慣れない言葉に疑問符を浮かべる琴音。
その問いに狐塚は答えず、彼女へ耳打ちするような仕草で言う。
「──詳しい話はまた東京でしましょう。……それより、あまり待たせると彼女が拗ねてしまいますよ。晴れて恋人となったのですから、今はそちらを大事になさって下さい」
見れば、朱音がジトッとした視線を琴音に向けていた。
放置されて不機嫌なのか、その尻尾がゆらりゆらりと揺れている。
「わ、悪い朱音っ! つい話し込んでもうた──!」
狐塚に促された琴音は慌てて朱音の元へと戻ってゆく。
その様子を眺めて、狐塚はニッと笑った。
清々しいほどに、彼の笑顔は──胡散臭い。
「いやはや──やはり可憐な少女に、悲恋の物語は似合いませんねぇ!」
満足そうに吐露した後、彼は背を向けて歩き出した。
それから片手をあげて、パチンと指を打ち鳴らす。
──次の刹那、掛けてあった彼のジャケットが、みるみるうちに可愛らしい花柄のワンピースへと変化した。
「ですから──その尊き奇跡に、私からも贈りましょう」
そう呟く彼の手の甲には、奇妙な紋様が明滅していた。
ファンタジー小説やオカルト誌に出てくるような、幾何学的な魔法陣だ。
それは、いつか誰かの額に描かれたものと、とてもよく似ていた。
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