第48話

 悲鳴の方へ視線を向けると、そこには不気味な影が立っていた。

 人の形をしているものの、その表面は真っ黒で顔すらない。

 ──安っぽい黒マネキン。

 その姿を形容するならば、その言葉が一番しっくりきた。


「なんすかアレ……?」


 正体不明の黒マネキンの容貌を見た星奈が不安げに呟いた。

 魔獣の知識は彼女の方が上だが、それでもあの黒マネキンについては全く未知のようだ。


「わからん。とりあえずキモいな」


 恐らく魔獣の類かとは思うのだが、星奈の問いかけに答えれる知識を俺は持ち合わせていない。


「ユーノ。あいつのこと【鑑定】できるか?」


 そんな訳で俺はユーノへと尋ねた。

 彼女の固有ユニークスキルならば、すぐさま奴が何者なのかを特定してくれるだろう。

 だが、そんな俺の期待に反して彼女は首を横に振った。


「……おかしいのじゃ! あやつの情報が……ステータスが、一切表示されん!」


「鑑定不可!? そんなこと有り得るんすか!?」


 マジかよ。じゃあ、アレは魔獣じゃないのか?

 でも絶対に人間じゃないよな、アレ。

 いや、そもそも鑑定ができないという事自体おかしいか。

 本来なら有機物だろうが無機物だろが、何らかの情報が示されるはずだからな。


(とりあえず倒して、それから管理局に持ち込むか……)


 何れにせよ、この事態を速やかに収拾しなければ──


「きゃあっ……!?」


 俺が思考に廻らせていた刹那、別の方向からも悲鳴があがった。

 慌てて視線を向けると、そこにはもう一体の黒マネキンの姿があった。

 不気味な光沢を放つそいつは、既に観光客と思しき女性の身体へと接触していた。


「あっ……?」


 いったい何をしたのかはわからなかった。

 ただ、そいつに触れられた観光客は、ふらりと倒れ込んで意識を失ってしまった。


「──おい、大丈夫なのか? あれ……!」


 誰かが放った一言で、現場がしんと静まり返った。


「……やばい! やばいって! こいつら、にいるぞ! ……がはっ!?」


 続いて誰かが叫んだかと思えば、そのまま地面に倒れ込んでしまった。

 その背後には、また別の黒マネキンの姿があった。


 たった今起こった一連の出来事。

 それは、この刹那の静寂を切り裂くには充分過ぎた。


「わあぁあぁぁ!?」

「に、逃げろ! 魔獣氾濫スタンピードだッ!?」

「あかん! こっちにもおる! 逃げ──」


 最初は現代人らしい野次馬根性で謎の黒マネキンを見物していた観光客たちだったが、その実害を目の当たりにして、あっという間にパニック状態へと陥った。


 狭い路地を我先にとばかり駆け始める人々。

 恐慌状態は人から人へと瞬く間に伝播し、さらなる混乱を生み出していた。


 そんな彼らの頭上を飛び越えるように俺は、──跳躍していた。


「──何してやがんだ! この野郎!」 


 跳んだ先には黒マネキンの姿。

 不気味に佇むそいつ目掛け、俺は渾身の拳を放った。


 ──ガラガラガラッ!


 俺の右ストレートを諸に食らった黒マネキンは、そのまま砕け散った。

 衝撃によって関節部から折れた手足が、乾いた音を立てながら路地に転がる。


「瑠璃子、この人を頼む! それから管理局に連絡してくれ!」


「は、はい! 了解です!」


 倒れた女性を抱えると、素早く瑠璃子へと引き渡した。

 それから、星奈とユーノへと指示を出す。


「星奈とユーノは各自で応戦するんだ。殴った感じ、こいつらはそんなに強くないぞ!」


「りょっす!」


「うむ、わかったのじゃ」


 指示を受けた二人は、それぞれアイテムポーチから武器を取り出して構えた。

 着替える暇が無いので防具は無しだが、彼女たちのステータスなら問題無いだろう。


「ぎゃああ!?」

「ひいぃ!? 何だよこいつ!?」


 またどこかで悲鳴が響く。

 どうやら、この黒マネキンは至る所で発生しているようだ。


「ちっ、こいつらも群れる系なのか……! ……ま、虫じゃないだけまだマシってか?」


 俺は【収納】ポーチから〈破壊の杖〉を取り出しながら、人混みを縫うように駆けた。

 その先には新たに出現した黒マネキンの姿。

 周囲に被害が出ないよう、注意を払いながら杖を叩きつけるッ!

 俺の一撃によって黒マネキンはボロボロと崩れ落ちた。


「──はっ、まさかここで役に立つとは」


 いつぞやに生み出したスキル外の戦闘技術──衝撃インパクトによって、内部から黒マネキンを砕いたのだ。

 これなら破片が大きく飛び散る事もなく、この人の多い街中でも安全に立ち回れる事だろう。


(星奈たちは……大丈夫そうだな)


 わらわらと現れる黒マネキンを砕きつつも横目で星奈たちの安否を確認するが、特に問題無さそうだった。

 星奈もユーノも、それぞれの得物を駆使して次々に黒マネキンを砕いている。

 やはりこいつらはそこまで強くないようだ。ランク的にはC級相当だろう。

 問題は数の多さだが、それも管理局からの応援が来れば解決しそうだ。

 既に冒険者資格を持つであろう観光客が自分たちで応戦している姿を見て俺はそう確信した。


(それよりも発生源を特定しないとな……これを魔獣氾濫スタンピードと仮定するなら、原因となったダンジョンが存在するはずだ……そこを叩かないと一生いたちごっこのままだ)


 俺は手早くスマホを取り出すと、狐塚局長から貰った京都市内のダンジョンに関する情報を開いた。

 見たところ、ここから近いのは昨日探索した【蠱毒の洞穴】、それから現在地から北上したところにある円山公園にも一つあるようだ。

 昨日、コアを破壊したばかりの【蠱毒の洞穴】で魔獣氾濫スタンピードが起こるとは考えにくい。ならば、もう一つの方が怪しいだろう。


「星奈! ひとまずこの場は任せられるか?」


 俺はスマホを仕舞うと、【短剣術】で黒マネキンを切り裂く星奈へと声をかけた。


「問題ないっすけど、パイセンはどうするんすか?」


「俺はこの騒動の元凶っぽい所を見てこようかと思ってな」


 そう答えると星奈は何やら不満げに唇を尖らせた。


「……また一人で行っちゃうんすか? この雑魚ですら【鑑定】不可なんすよ? めちゃくちゃヤバいのがいたらどうするんすか?」


「そうですよ、賢人さん……! それで以前も危ない目に遭ったって聞いてます!」


 星奈に続くように瑠璃子も反対の意を唱える。


「うっ……そうは言ってもな、ここでプチプチ雑魚を潰してても一向に解決しないぞ? それどころかアレ……まずくないか?」


 見れば、倒したはずのマネキンの残骸がまるで溶けるように液状化したと思えば、それらが寄り集まり、また新たなマネキンを生み出していた。


「実体を持たず、幾度と無く再生する魔獣……この特性はスライム系統の魔獣に似ておるの。だが、こいつら自体に核らしきものは存在せぬ。もしや、こやつらは群であり個の魔獣なのかもしれぬ」


「群であり個……? つまり、どういう事っすか?」


 ユーノの説明にいまいちピンと来ていないようだ。

 短剣を振るう腕を止める事なく、こちらに顔を向けて不思議そうな顔をした。


「つまり、このマネキン共は一匹の魔獣である可能性が高いって事だ。確かスライム系統でも分体を生み出して攻撃してくる種がいただろう? あれが大規模になった感じだ」


「そういう事じゃ。だが、あくまでも推察に過ぎん。それに、特性が判明したところで分が悪い事に変わりはないのじゃ……。本体が別におるのか、はたまた全て等しく分裂しとるのか……こやつら分裂パターンがわからなければ、核を見つけるのは至難じゃ」


「うぇ……それ、本体見つけるの無理ゲーじゃないすか?」


 ユーノの説明を受けた星奈は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

 星奈がそんな反応を見せるのも無理は無かった。

 何せ、ざっと一望しただけでもおびただしい数のマネキンが見えるのだ。

 おまけに、倒しても残骸同士が混ざり合って再生するため、その数は増える一方である。そんな中で核を持つ本体を探すのは困難だった。


 ──ま、手当り次第にこいつらを殴って核を探すならの話だがな。


「だからこそ、ダンジョンに行くんだよ。基本的に魔獣はダンジョン外に出てこない。その理由を知ってるだろ?」


「確か現在の仮説だと魔素濃度の差、ですよね? だから魔獣氾濫スタンピードで屋外に出た魔獣は弱って──あっ、なるほど」


 瑠璃子は即座に理解したようだ。


「恐らく魔素とは魔獣にとっての酸素みたいなもんだ。それなのに、わざわざ魔素濃度の低い場所に本体が出向く必要性がない。これだけ分身を遠隔で操る能力があるなら尚更な」


 魔獣の存在維持には魔素が必要不可欠だ。だからこそ魔獣はダンジョン外に出てこない。

 街の地下に人外の生物が住み着いているにも関わらず、人々が平穏に日常生活を送れているのは、この原則が広く認知されているからである。


 魔獣氾濫スタンピードはその原則に反した例外の一つであるが、瑠璃子の言う通りダンジョン外の魔素が少ない故に、漏れ出した魔獣は弱体化してしまう。

 ダンジョンからの距離が離れれば離れるほど、その度合いは顕著だ。

 従って、本体が潜んでいるのも必然的にダンジョン付近またはその内部となるわけだ。


「とりあえず、カチコミかけないと解決しなさそうなのは理解したっす。なら、パーティーを二手に分けるのはどうすか?」


「そうですね、それが良いと思いますっ! 理由はわかりましたけど、流石に賢人さんを一人で行かせるのは良くないですから」


 星奈の提案に瑠璃子が激しく同意した。

 俺のステータスなら大概の事は熟せてしまうのだが……ま、これも心配してくれるという証拠だ。

 ここは素直に二人の提案に俺も乗ることとしよう。

 

「そうだな。なら、瑠璃子は俺についてきてくれ。それで釣り合いが取れるだろう」


「は、はいっ! 頑張りますっ!」


 俺の同行メンバーとして選ばれた瑠璃子は天使のような笑顔で返事した。

 レベルや天職的に、この分け方が一番適切だ。

 似た系統のユーノと瑠璃子をペアにしても、仲間と組む恩恵が皆無だしな。


「……ま、妥当っすね。それじゃ、ウチとユーノは引き続きここら周辺の被害を抑えるっす」


「うむ、任せるのじゃ。この程度の魔獣なら【杖術】スキルのレベル上げに丁度良いしの」


 俺の選定に星奈とユーノも頷いた。

 後は任せて問題ないだろう。直に管理局から応援も来るだろうしな。


「それじゃ、俺たちも早速向かうか。──悪いが瑠璃子、非常時だから我慢してくれよ?」


 予め断りを入れた後、俺は瑠璃子を抱きかかえた。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。

 めちゃくちゃ申し訳ないし気恥ずかしいのだが、今はそんな童貞ムーヴをかましている場合ではない。

 俺の敏捷ステータスなら、こうして運んでいった方が早いからな。許せ、瑠璃子。


「──わっわっ、賢人さんっ!?」


「あまり口を開かない方がいいぞ? 舌噛むかもしれないしな」


 瑠璃子が顔を真っ赤にしながら何かを言いかけていたが、俺は無視して跳躍した。

 何せ、いちいち反応してたら俺まで恥ずかしくなっちまうからな。

 つーか、柔らかい……女の子って全体的にふわふわしてのか?


「──だぁー! 瑠璃子、貸し一つっすからねぇ!?」


 目の前の建物を飛び越えたあたりで、星奈のそんな声が響いた。

 貸し?……あぁ、菓子か。終わったらなんか買ってこいって事か?

 菓子好きだもんな、アイツ。ただ、そんな私情は今じゃなくて後でメッセで言えよな。


 ──そんな事を思いながら俺は北にある都市公園の方へと向かった。

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