第二部

プロローグ

プロローグ

 ──京都市、東山区、某所。


 日中は国内外からの観光客で賑わいを見せるその場所も、深夜ともなれば寂然じゃくねんたる空気が場を包み込む。

 そんな中、一人の女性がスマホを片手にふらふらと歩んでいた。


「うー、コンビニはこの先を右で……? うわ、この道暗いなぁ……」


 時刻は既に0時前。女性が一人出歩くには些か遅すぎる時間帯だ。

 とはいえ、彼女は別に不良でもなんでもない。

 彼女の名前は和田わだ春海はるみ

 観光のために京都へ訪れた、ごくごく普通の大学生であった。


「はぁ……こんな事ならちゃんと出る前に荷物確認しとけば良かった……」


 そんな彼女は現在、近くのコンビニを探して深夜の京都市内を彷徨い歩いていた。

 目的は寝る前のスキンケア商品である。

 毎晩、使っているお気に入りの製品があるのだが、旅行鞄に詰め込むのをすっかり忘れてしまったのだ。

 おまけに今回は趣味のカメラ撮影目的で訪れた一人旅。

 借りれるような友人も今日に限ってはいなかった。


 人によっては諦めてしまうところだが、されども彼女はうら若き女子。

 特に美容に関して妥協するような性格ではなかった。

 そんなわけで、せめてコンビニで売っている代用品でもと思い、宿泊先を抜け出してきたところだ。

 

「うー、暗いなぁ……てかコンビニが遠い……」


 春海は地図アプリに表示されたピンの位置を見て不満げに吐露した。

 せっかくなので、と奮発して観光スポットにほど近い、隠れ宿的な宿泊先を選んだのが逆に仇になった。

 この京都という街は観光名所に近づけば近づくほど、コンビニという情緒も何も無い施設からは離れていくのだ。

 あるのは豊かな自然と、情緒あふれる街並み。

 だがそれも深夜となれば人気ひとけの無い、薄暗い道のりでしかなかった。


(──あ、女の人。良かった、ちゃんと人が居て)


 一人寂しく歩いていると、前方に和服を着た女性の姿を見つけた。

 それまで渦巻いていた心細さがなくなり、春海は少しホッとした。

 出会したのが男性なら彼女もここまでは安心しないだろう。

 日本が比較的治安の良い国とは言え、何らかの性犯罪に巻き込まれる可能性がゼロというわけではないのだから、多少は緊張するものだ。特にこんな夜更けなら尚更だ。


「──お嬢はん、こんばんは」


「わっ、こ、こんばんは?」


 すれ違う寸前、見知らぬ女性からの挨拶。春海は慌てふためきながら言葉を返した。

 都内──特に都心では、赤の他人から挨拶されることが滅多にないため、この慌てっぷりも仕方がなかった。

 慌てる彼女の姿がよほど可笑しかったのか、女性は口元を袖で隠しながらくすくすと笑う。


「──ごめんなぁ、そない驚くと思わへんかったわ。お嬢はんが寂しそうにしとったさかい、つい」


「い、いえ、大丈夫ですよ。わざわざありがとうございますっ」


 どうやら自分を気遣って声をかけてくれたようだ。

 そんな女性の配慮に春海は慌ててお礼を言いながら頭を下げた。


(わわっ……すごく綺麗な人……外国人かな?)


 頭を上げると同時、月明かりに照らされた女性の顔を見て春海は素直な感想を頭に浮かべた。

 まるで琥珀のように透き通った金髪に、同じく金色の瞳。陶磁器のような白い肌。

 紅を点した唇には適度な艶があって、女性でも吸い付きたくなるような魅力があった。

 あまりに現実離れした美しさに、春海は数秒ほど女性の姿に見とれてしまった。


「ふふっ、どないしたん? そないにまじまじとウチのこと見つめて」


「あ……す、すみません。その……綺麗だなって思ってつい……私、写真が趣味で、その、貴女みたいな人を撮れたらな、なんて……」


 春海が赤面しながら答える。すると女性はまたもや、くすくすと笑った。

 別に嫌な笑い方ではなかったので、春海も釣られてあはは、と気恥ずかしそうに笑い返す。


「そら嬉しいこと言うてくれるなぁ。でもウチはお嬢さんの方が綺麗や思うで?」


「いえ、そんな事はないですよ……! 私なんか全然で!」


 思いもよらない褒め言葉に、春海は困惑しながら言葉を返した。

 これは所謂、京都人特有のお世辞だ。そう思い、必死に手を振って否定する。

 無論、美女に褒めちぎられるのは悪い気はしなかったが『そうでしょ、ありがとう』なんて返せるほど、春海の自己肯定感は高くなかった。


「──別にこれはお世辞ちゃうよ? ウチ、ほんまに思ってるねん。お嬢さんの事、ほんまに綺麗やなーて」

 

 お世辞と思われている事を察したのか、女性は改めて本意である事を強調した。

 それから、春海の元へゆったりした動作で近寄ると、まるで王子様のように彼女の顎を指で支え持った。


「ひゃっ……?」


 芸能人に勝るとも劣らない美貌を持つ女性に急接近されて、同性ながらに春海はドキッとしてしまう。

 絶世の美女と形容しても差し支えない彼女の、その金色こんじきの瞳に捉えられ、思わずその頬を朱色に染めた。

 華やかで甘く、そして上品な香り。


 ──綺麗な人は匂いまで美しいのか。


 そんな事を考えながら、春海はとろんとした瞳で女性と見つめあった。


「ほんまに、ほんまに綺麗やわぁ……。ほんまに──しまいたいくらいやわ」


「んんっ……あっ……」


 甘く、囁くような声。

 それを耳にした途端、底しれぬ快楽が春海の身体を貫いた。

 彼女はその身体をビクビクと震わせ、甘美な快楽に甘く息を荒げた。


 ──既に春海は目が離せなくなっていた。


「ふふ、素直で、可愛らしい。あかん、ウチ……もう我慢でけへん──

 

 美女の、美しく歪んだ紅い唇から。

 美女の、魔性を孕んだ金色の瞳から。

 美女の、月光を煌めかす金色の長髪から。

 

 ──美女の、艶やかに揺れる、その尾から。


 程なくして、晴海がいた場所には静寂が舞い戻ってきた。

 深夜の京の街を月明かりがぼんやりと照らす。

 人気ひとけのない路地には、青ざめ、動かなくなった彼女だけが残されていた。

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