エピローグ

エピローグ

 ──いつもと変わらない朝。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が目に眩しい。

 俺はベッドから身を起こすと、うんと背伸びして凝り固まった身体をほぐした。

 時計を見ると、時刻はまだ朝の7時だった。

 ニート時代からは想像もできないような早起きっぷりである。


「──さてと、今日も頑張るか」


 独り言を呟きながら、俺はベッドから降りて身支度を始めた。

 クローゼットを開け、すっかり着慣れた深紅のローブを取り出す。

 手にとったそれは、以前着けていたものよりも鮮やかな色味をしていた。


 最近、こいつも買い替えたのだ。

 以前に着けていたのは、魔獣の返り血が染み込んでいたせいか、色もやや赤黒っぽいし、若干生臭いし、挙句の果てには洗濯すると洗濯機の排水から血生臭い香りが漂うほどに汚れていたからな。

 そのせいで雪菜にめちゃくちゃ怒られ、俺は渋々買い替えたのである。

 こんなもの、作業着と一緒でどうせまた汚れるんだがなぁ……。

 そんな事を考えながら着替えを終え、俺はリビングへと向かった。



「あれ、お兄ちゃん? 自分で起きてくるなんてめずらしー」


 リビングでは雪菜が朝食を用意していた。

 制服姿にエプロンがよく似合っている。

 うんうん、さすがは我が妹。今日もかわいいぞ。


「おはよう雪菜。なぜかわからんが今日はスッと目が覚めてな」


「そう、おはよ……。なんかお兄ちゃん視線がキモいんだけど……」


 ジトッとした目で俺を睨み返す雪菜。

 うーん、そのツンツンした瞳も愛くるしい。


「いやなに、今日も雪菜は可愛いなと思ってな」


「キモ……いいから早く座ってよ、せっかく早起きしたなら朝ごはん食べるんでしょ。てかキモ」


 ああ、なんてことだ、愛しの我が妹よ。

 日常会話の文頭と文末に「キモ」を挟むのは使い方を間違ってるぞ。

 あと、普通に傷ついちゃうから。うん。


「ふわぁ……おはようなのじゃ……」


 雪菜と朝のスキンシップを楽しんでいると、ユーノが起きてきた。

 準備万端な俺と違って、魔法少女キュアりんが胸にプリントされたパジャマ姿だった。

 本人曰く、結構気に入ってるらしい。

 知識量はすごいが、美的感覚や趣味趣向については見た目相応なんだな。


「おはよ、ユーノちゃん。朝ごはん出来てるよ」


「うむ、いつもありがとうなのじゃ。……ぬ、なんじゃお主もいたのか」


 眠たい目を擦りつつも、視界に俺を捉えるとポツリと呟くユーノ。


「ユーノ、お前ときたま自分が居候の身だって事忘れてるだろ……そのうち追い出すぞオイ」


「もう、お兄ちゃん! ユーノちゃんをイジメないでよ!」


「そうじゃそうじゃ!」


「むしろ今、俺がイジメられてるだろ!?」


 そんな、いつもの調子で馬原家の朝食が始まった。


「そういえば、お兄ちゃんとユーノちゃんは今日も探索にいくの?」


 シャケの身をほぐしながら、雪菜が尋ねてきた。


「んぐ? ──ああ、そのつもりだ。結局、ダンジョンランク上昇現象については未解決だしな。これでもSランク冒険者だし、俺が必要なところも多いんだよ」


 ──先日の【大神殿】での激戦。

 エゲリアと名乗った魔族の男は討伐したもの、結局のところ根本的な解決には至っていなかった。

 ダンジョンランクの上昇は依然として発生している。

 そのため、俺のステータスカードには管理局依頼が頻繁に届くようになっていた。


「必要というより、お主が重要参考人を消し飛ばした尻拭いにも近いがの……」


 ユーノが痛いところを突いてくるが事実だ。

 それもこれも、俺があの魔族を消し炭にしてしまったせいでもある。

 奴から情報を得られていれば、もしかしたら状況がまた変わっていたかも知れない。


「へぇ、でもまぁ、頼りにはされてるんでしょ?」


「あぁ、最近ダンジョンコアっていう存在が確認されてな。それをぶん殴ったり、他の冒険者のヘルプなんかに駆り出されてるわけさ。──あ、これこれ、ちょうどニュースで流れてるぞ」


 都合の良い事に、ダンジョンコアのニュースが流れ始めたところだった。

 画面越しで原稿を読み上げるニュースキャスターを指差しながら俺は答えた。


『──次のニュースです。先日、発見されたダンジョンコアと呼ばれる物体ですが、現在確認されている内の、およそ8割の破壊が完了したと、ダンジョン管理局が発表しました。この物体は一連の魔素上昇事件と──』


 実はあの戦闘の後、エゲリアがいた場所で卵のような形をした奇妙な物体が発見されたのだ。

 無論、【大神殿】だけでなく、他のダンジョンでも同じような形状の物体が見つかっている。

 新たに発見されたこれらの物体を、管理局はダンジョンコアと名付けた。


『──なお、魔素濃度上昇が著しいダンジョンに関しては、引き続き国内のS級冒険者と連携の上、対策を進めるとしています──』


「お、ここ俺が映るかもしれん! この前の探索の時、テレビ局が来てたしな!」


「ふーん。よくわかんないけどすごいじゃん。……てかキモ! すごいカメラ目線でピースしてるじゃん!? え? 恥ずキモ!? お兄ちゃん恥ずキモなんだけどっ!?」


「妾は止めたんじゃぞ……」


 そんな事言ったってしょうがないじゃないか。

 テレビに映る機会なんて滅多に無いんだしさ。

 てか恥ずキモってなんだよ恥ずキモって。キモ語録を勝手に増やすんじゃありません。


 ──まぁそれはさておき。


 話を戻すと、どうやらこのダンジョンコアとやらは魔素濃度上昇と何らかの因果関係があるらしく、そいつを破壊すれば内部の魔素量が正常化される事がわかったのだ。

 そのため、現在は探索中に発見したら速やかに破壊するよう管理局から全冒険者に向けて通達があった。──もちろん、破壊を達成した場合は追加報酬付きだ。


 そうした働きかけの甲斐あってか、一連のランク上昇現象騒動は以前よりかは落ち着きを見せていた。

 とはいえ、このコアというのは破壊しても日数が経てばまた発生し、放っておけば肥大化してどんどん魔素濃度が高まっていく性質も同時に判明している。

 そのため手に負えなくなったダンジョンに関しては管理局から指名依頼が入って俺が破壊しにいく事もあるというわけだ。


「それにしても、ダンジョンって不思議ね。あたしが生まれる前から当たり前のようにあって、それなのにいまさら未知の発見だなんて」


「……あぁ、そうだな」


 テレビの画面を横目に雪菜がポツリと呟いた雪菜に、俺は少し間を空けて返事した。

 彼女の疑問はもっともだった。

 誰が、何のために、どんな力が働いて。

 そんな疑問は湧いて尽きないのに、未だにそれらは殆ど解明されていない。


 ──今回のダンジョンコアだってそうだ。


 推察だが、これはエゲリアの言っていた『世界の変質』とやらの一環なのだろう。

 ただし、なぜ発生したのか。なぜ存在していると魔素濃度が上昇するのか。

 その辺については一切謎のままである。


(状況的には、あいつはこのコアとやらを守護するような役目だったのかもな。だとしたら、ナンバーズスキルはやはりダンジョンと何か関係が──)


 いくら考えても永久に答えはでない。けれども考えてしまう。

 思考を巡らせながら、俺はそのまま無言で食事を続けた。



 食事を終えた俺とユーノは少し早く家を出て、とある喫茶店へと向かった。

 俺の大切な仲間たちと落ち合うためだ。

 今ではすっかり見慣れてしまった変なオバサンのロゴを掲げた店内に入るや否や、カウンターで手早く注文を進める。


「あ、このカフェラテみたいな奴で。サイズはTで。──え? あ、ニュースで見た? そいつは、どうも。あ、メッセージは結構です」


「妾はこのベリー&ベリーティーのSが欲しいのじゃ。あ、ストローも頼むの」


 それから注文した品物を受け取ると、意識高そうなヤングリーマン共がパソコンを広げる間を縫って空いている席へ腰掛けた。


「うえ……相変わらず甘ったるいな」


 頼んだカフェラテを一口飲んで不満をたれた。


「なぜそれを頼んだのじゃ……」


「気分だよ、気分。あるだろ、そういう時って」


「まぁ、わからんでもないのじゃが……」


 呆れたように言った後、ユーノが真っ赤なドリンクを啜った。

 相変わらず仮面を外すことができないため、隙間からストローを挿し込んで飲んでいた。

 器用な奴だなという感嘆と、何だこの怪しい奴はという不審感を同時に味わえる奇妙な光景だった。

 それから、くだらない会話をしばらく続け──


「ちっす、パイセン。今日は早いっすね」


「おはようございます、賢人さん、ユーノちゃん」


 程なくして星奈と瑠璃子がやってきた。

 既に二人とも冒険者装備に身を包んでいて、一見するとコスプレ会場のようである。

 もっとも、冒険者稼業が当たり前になった今の世の中じゃ、それを見ていちいち反応するような奴もいないんだけどな。


「二人ともおはよう。……星奈は相変わらず甘ったるそうなの頼んでるな」


 星奈の持つトレイにはクリームが大量に乗っかった得体の知れないドリンクが。

 朝からよくこんな重そうなの飲めるな。


「む、別にいいじゃないすか。カロリーも摂取できて朝ごはんの代わりになるっすよ」


「そ、そうか……ま、俺が口出すことでも無いからいいけどさ」


「ふふ、星奈ちゃんは本当に甘いもの好きだね。ダンジョンに入る前に、コンビニで今日のオヤツ買っていこっか」


「お、いいっすね。じゃ、今日はパイセンの奢りということで」


「なんでだよ……」


「だって可愛い後輩のお願いっすよ? 聞かなきゃ男じゃないっすよ」


「自分で言うな自分で。まぁいいけどな。お菓子でも何でも奢ってやらあ」


 不満を漏らしつつも、俺は了承した。

 なんだかんだで、俺が一番年長者だしな。

 たまには先輩らしい事をするのも悪くは無いだろう。

 それに、星奈は何だかんで俺を慕ってくれる良い後輩──


「パイセンちょろ……いや、なんでもないっす」


 ──でもないようだ。

 コイツにはいつか必要があるかもしれん。エロ同人誌みたいに。

 ……いや、やめとこう。普通に捕まるわ。


「──ごほん。とにかく、みんな揃ったようだし、少ししたら出発するぞ」


 今日は駄弁る為に喫茶店に集まったわけではないのだ。

 俺は気持ちを切り替え、意思確認も兼ねてみんなに声を掛けた。

 すると、みんなからいつもの調子で返事が返ってきた。


「りょっすー」「はい、賢人さん!」「了解なのじゃ」


 それを聞いて俺は満足そうに頷いた。

 どうか、何こいつキモくね、とかいうツッコミは入れないで欲しい。

 みんなの声を聞くと一日が始まったような気分になるのだ。許して欲しい。


「──それじゃ、今日も頑張って探索といくか!」


 ──いつもと変わらない朝。

 

 今日も、のダンジョン探索が幕を開けた。

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