─彼女の恐れていた事─

「──あやか。なにか悩みごと、ですか?」


 視界に映った紫紺の瞳が私の意識を現実に引き戻した。

 それは私のよく知る瞳だった。

 大切なパーティーの一員──東雲ちゃんの綺麗な瞳だ。


「お腹でも痛い、です? 私の回復魔法なら、鎮痛くらいには、なりますよ?」


 普段、無表情だからわかり辛いけど、彼女はとても優しい。

 だからこうして思考に耽る私を、今も心配してくれたのだ。

 多分、体調が優れないのだと思われたのだろう。申し訳ない気持ちが湧き上がり、私は少し反省しつつも返事を返した。


「ううん、大丈夫だよ。ごめんね、少し考え事してただけなの」


「そう。もしかして通知のこと、ですか?」


 彼女が言っているのは、つい最近ステータスカードに届いた通知のことだ。

 その内容とは、近頃ダンジョンランク──つまりは魔素濃度の上昇現象が各地のダンジョンで発生しているという旨のお知らせだった。


「あはは、東雲ちゃんは鋭いね。ほら、以前に【小鬼王国ゴブリンキングダム】で似たようなのに遭遇したから、ちょっと気になっちゃって」


「確かに、懸念事項では、ありますね。ですが、今のところガーゴイルとしか、遭遇してませんから、ここは大丈夫かと」


 現在、私たちが探索している場所はA級ダンジョン──【大神殿】だった。

 東雲ちゃんの言う通り、遭遇した魔獣の種類は以前に探索した時と変わりはない。

 状況的にも、ここは通知にあったようなランク上昇は発生していないと結論付けても差し支えないだろう。


 ──だけど何なのだろう、この嫌な感じは。


 この気持ちを上手く説明する事ができずに返答に困っていると、東雲ちゃんがさらに質問を投げかけてきた。


「もしかして、あの魔術師さんの事ですか?」


「えっ? 魔術師さん?」


「【小鬼王国ゴブリンキングダム】で、すれ違った、ソロ冒険者の事です。恐らく、あの時は例の魔素濃度上昇が起きていた。だから、彼の安否が気になったのでは、ないですか? あやかは優しいですから」


 言われてみれば、それも気になる。

 もし【小鬼王国ゴブリンキングダム】のダンジョンランクが上昇していたとすれば、彼はあのままゴブリンキングの巣窟に進んでいった事になる。それも魔術師のソロで。

 彼は無事に帰還できたのだろうか。


「そうだね……確かに気になるかな」


 私が胸に抱えるわだかまりとは少し違ったけど、それは上手く説明できそうにもない。

 なので、私は東雲ちゃんの言葉に合わせる事にした。


「──あの青年か。それなら昨日、管理局で見かけたぞ。確か、ゴブリンキングの魔石を卸していたな」


「それはすごいね! 下位とはいえ、ゴブリンキングはS級。それをソロで倒すなんて!」


 私と東雲ちゃんの話に割って入るように熊田さんが呟いた。

 それに乗っかるように大和くんが話題に混ざってくる。


「恐らくだが、完全なソロではなく召喚師サモナー系統ではないか? 上位天職の精霊術師エレメンタリスト不死王ノーライフキングであれば可能やもしれん」


 熊田さんの考察を聞いて私はなるほど、と思った。

 精霊術師エレメンタリストは高位の精霊を使役して戦わせる事が可能な天職だ。

 アイテムで魔力の制約さえ解消してしまえば一人でパーティーを作る事だってできてしまう。確か有名なSランク冒険者がこの天職だったはずだ。


 一方、不死王ノーライフキング死霊術師ネクロマンサーの上位天職だ。

 詳しくは知らないけど、元々、死霊術師ネクロマンサーには倒した魔獣の死体アンデッドを使役できるスキルがあって、不死王ノーライフキングはその能力がさらに強化されてるらしい。関西を拠点とするAランク冒険者がこの天職だと聞いたことがあった。


 あの時すれ違った彼の正確な天職はわからないけど、きっと熊田さんが言うようなソロでも戦える天職なんだろう。

 

「そっか。無事で何よりだね」


 いずれにしろ、彼が生存してると聞いて私はホッとした。

 そんな私の表情を見て熊田さんが無言で頷く。


「そうだな。──さて、そろそろ大広間だぞ。少し魔獣のランクが上がるから気を引き締めておけ」


「って事はメタルガーゴイルが出るかな? 僕の魔法剣が活きるね」


 ここ【大神殿】は亜空間タイプのダンジョンだから、階層という概念は無い。

 その代わり広間と呼ばれる開けた空間がいくつも点在し、それらは廊下で繋がっている。

 魔獣が出現するのは大体この広間だ。

 恐らく出現するであろう魔獣に備え、私も気持ちを切り替えた。



「──変だな? 何もいないや」


 大広間に進入して少し経ってから、大和くんが怪訝な表情で呟いた。


「確かにいないな。他の冒険者が討伐したか?」


 二人の言う通り、大広間には魔獣の気配が無かった。

 周囲には石灰岩と大理石で作られた内壁と柱だけ。

 とても魔獣の巣食うダンジョン内とは思えない不気味な静寂が場を包んでいた。


 ──何かがおかしい。


 言いようのない不安感がまた私を襲った。

 根拠はない。でも、何かがおかしいのだ。

 この感覚を──私は知っている。


「ね、ねぇ、帰還しよう……?」


 私は震える声で仲間たちに提案した。

 すると、熊田さんが不思議そうな顔をした。


「む? なぜだ? 見ての通り魔獣はおらんぞ? それともやはり体調が優れんか?」


「う、うん。……そうみたい。ごめんね」


 私は嘘を付いた。本当は体調なんて悪くない。

 ただ、この場を離れる口実としては最適だった。

 そう言えばきっと私を心配して探索をやめると知っていたから。

 そうまでして私はこの場を離れたかったのだ。


「そうか、それなら仕方ないね。それじゃ──」


 この奇妙な不安感──私の固有スキル【第六感シックスセンス】が警鐘を鳴らし続けるこの場所を。


 ──ブゴオォォオォッッ!!!


 猛々しい雄叫びが大広間を包んだ。

 獣のような、悪魔のような、底知れぬ威圧感がそこにはあった。


「なッ……!? 魔獣がっ、!?」


 いつもは冷静沈着な熊田さんが、焦燥の混じった声を上げた。

 その視線の先には、二対の角を持つ怪物の姿。


「あぁ……」


 私の喉から情けない声がこぼれ出た。

 どうして私は自分のスキルを信用しなかったんだろう。

 どうして私はこの可能性について気付かなかったんだろう。

 ダンジョンランクが、その魔素濃度が。


「グレートミノタウロス……。既存の、S級ダンジョンでも、かなり深層でしか、確認されていない怪物、です……」


 ──に。


「熊田さん、逃げよう! 多少レベルアップしたとはいえ、今の僕たちでコイツの相手は厳しい!」


 大和くんが即座に提案した。その声に一切の迷いはない。

 パーティーの生存を最優先にした、大和くんらしい判断だ。

 だけども、熊田さんは首を縦に振らなかった。


「──不可能だ。これがくだんのランク上昇現象ならば、退路にも怪物が現れているはずだ。無理な退却をすれば挟撃を受け、より生存率が下がるだろう」


「くっ!……突破するしか無いわけだ」


 歯痒そうな表情を見せる大和くん。


「無理に突破する必要は無い。東雲は【神座回帰エクレシア】を使えたはずだ。それで外に帰還して応援を呼んでもらうしかあるまい」


「熊さん、それは……」


 東雲ちゃんが言葉を詰まらせた。

 術者を指定した神聖な場所へと転移させる聖属性魔法、それが【神座回帰エクレシア】の効果だ。

 つまり、東雲ちゃんを先に脱出させて救援要請してもらい、残ったメンバーで時間稼ぎをするつもりなんだと思う。

 確かに、全員でこの怪物に立ち向かうなんていう無謀な事をするよりかは、まだ生き残れる可能性があると私も感じた。


「そんな、こと……」


 だけど、それは相対的な話。

 もしもパーセンテージで示すなら残存メンバーの生存率は絶望的だった。

 だって、いつ来るかもわからない救援を待つ間、この目の前の怪物と地獄の闘牛を続けないといけないのだから。


 きっと、東雲ちゃん一人だけが生き残る可能性の方がはるかに高い。

 東雲ちゃんにはそれがわかってて、それで熊田さんの提案に戸惑っているんだと思った。


「……作戦は理解したよ。だけど……もし道中にもSランク魔獣が発生しているなら、救援を呼んでもここまで辿り着けるどうか……」


「迷うな、大和。幸いにもここは都会だ。すぐに動けるSランク冒険者がいる可能性もゼロでは無い。たとえAランク以下の冒険者しかいなくとも、頭数さえ揃えれば不可能ではない。それまでは耐え抜く。耐え抜くしか無い。それが最良策だ。わかるな、大和。──わかるな、東雲」


 ──ブモォォオォォッォ!!!


 怪物の雄叫びが大広間に轟き、熊田さんはそこで言葉を切った。

 彼は愛用する盾である<不動之盾>を無言で構えた。

 大盾士ビッグシールダー──その天職に相応しい、身の丈ほどもある大盾だ。

 

「──頼んだぞ、東雲」


 熊田さんは一言呟いた後、得意の【咆哮シャウト】スキルを使用した。

 仲間を守る為だけに存在する、盾士シールダー系統専用のスキル。


「──【敵対心掌握我が身を盾に】ッ!!」


 それは魔獣の敵対心を、強制的に自分へ向けさせるスキルだった。

 スキル効果が続く限り、その強制力はだ。

 たとえ背中に槍が突き刺さろうとも、この怪物は

 そして、その効果時間は発動した敵を殺すか、或いは──


「お前を殺す術を俺は持たない。だが、 これでも最硬の天職を持つ男だ。ただ呆気なく死ぬつもりは毛頭ない。しばらくは俺に付き合ってもらうぞ」


 ──怪物が、その真紅の瞳を熊田さんへと向けた。


 それを見て私は悟った。きっと熊田さんは死ぬ気なんだ。

 自分を犠牲にしてでも、私や大和くんを守るつもりなんだ。


「あやか、わたし……私は……」


「東雲ちゃん……大丈夫だよ。ほら、急いで──今は時間が大事だから」


 戸惑い、焦燥する東雲ちゃんに優しく声をかけながら、その頭を撫でた。

 これが今、私にできる最善の行動だと、そう思ったから。


「……わかり、ました。必ず、救援を呼んで、きます」


 決心した東雲ちゃんが、詠唱を開始した。

 柔らかな光が彼女を包み、その姿が薄っすらと消失してゆく。

 その様子を私は見届け、それから震える手で弓に矢を番えた。

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