冒険者登録 編

第1話

「決めたぞ雪菜ゆきな! ──冒険者に、俺はなるッ!」


 天高く掲げた握り拳。

 蛍光灯に照らされたそれは、この俺──馬原 賢人の決意の証だった。


「は? キモ……なに突然。てかキモ。あのさ、今NARIKINの動画観てるから邪魔しないでくんない?」


 ソファに寝そべりながら、冷たく言い放つ我が妹。

 貴様の決意なんぞクソどうでもいいわ、と。こちらへ向けた背中がそう語っていた。


「あ、あのー? 雪菜ゆきなさん?」

「……何?」


 無論だが、こちらには目もくれない。その視線は手元のスマホ画面に釘付けだ。

 おいおい。そんな成金野郎の動画より、このやる気に満ち溢れた兄者へもっと興味を持ってくれ。なーにが『極旨!一個二万円のプリンを食す!』だよ。

 プッチンでええやろがーい。


「……いや、ですのでワタクシ冒険者になろうかと存じまして。雪菜さんにも報告しなければと、そう思い馳せ参じた次第でございます」


 色々と物申したいところではあるが、某成金野郎の評価についてはそっと胸にしまい込んだ。

 なぜなら雪菜は生粋のNARIKINファンである。人の好みは千差万別。たとえ家族だろうと安易に貶すのは無粋ってもんだろう。断じてぶん殴られるとか、飯抜きになるとかチャチな理由によるものではない。決してな。

 それに俺は曲がりなりにも雪菜のお兄ちゃん。兄者なのだ。お兄ちゃんとは常にクレバーであり余裕を持たねばならない。故に俺は大人な対応を心掛けている。断じて家族内カースト最下位だからとかチャチな理由によるものではない。決してな。


「あーはいはい構って欲しいのね。それで? 冒険者だっけ?」


 俺の思いが通じたのか。やれやれといった様子でこちらに向き直る雪菜ゆきな。しかしながら、その表情は氷のように冷たい。この視線が何を意味しているか、俺は知っていた。あえて、言語化するならば──『何言ってんだコイツ』である。

 だがしかし。その程度の塩対応で怯んではいられない。俺は必死にその素晴らしさをアピールし始めた。


「そ、そうだよ! あの冒険者だぞ! 男の子がなりたい職業ナンバーワンの、あの冒険者だぞ!? めちゃくちゃカッコイイだろ!?」


 冒険者。この単語を聞けば、何やら漫画や小説の世界を連想する事だろう。だがしかし、現代の日本において、この職業は創作物の中だけの存在ではなかった。

 なぜなら、今から数十年前──この現実世界にもダンジョンと呼ばれる謎の迷宮が出現したからである。無論だが、摩訶不思議な現象はダンジョンだけに留まらない。ご丁寧な事に、そこに住まう怪物──魔獣も一緒に現れたのだ。さらには、天職と呼ばれる超人的な異能を持つ人間まで。

 恐らく当時は大混乱であった事だろう。されども人間。適応する逞しさは他の生物の比ではない。

 まさにRPGさながらの不思議空間は、いつしか驚異ではなく資源的価値で見られるようになり──化石燃料の枯渇した人類の新たな資源創出の場へと変化していた。

 前置きが長くなったが、冒険者とはそれらのダンジョンを探索し、危険な魔獣を討伐し、魔石を初めとした未知なる資源の収集を生業とする職業の事だ。

 

 今もっとも熱い職業と言われ、その人気はかつて一世を風靡したウィーチューバーなる動画配信業を制して子供が将来なりたい職業ナンバーワンに輝くほどである。

 

 理由は色々あるが、まず命を落とす危険性がある代わりに、平均年収は高い。

 端的に換言すれば、儲かるのだ。

 とはいえ、人気の秘密はそれだけではない。なによりも、かっけぇのだ。

 謎に満ちた迷宮を恐れず突き進む冒険心。

 人々の生活を豊かにすべく、命がけで資源を集める勇敢さ。

 それらを胸に宿し、〝スキル〟と呼ばれる異能を駆使して凶悪な魔獣に立ち向かう姿に、夢を抱かない男児がどこにいるってんだ。


「愛する妹の為に冒険者を志す俺……いや、我ながらかっけぇわ。惚れてまうやろ」


「……あのね、お兄ちゃん。……ううん、冒険者を志す、なお兄ちゃんに、雪菜は伝えたい事があるの」


 頭の中で理想の英雄像じぶんを思い描いて浸っていると、何やら雪菜がモジモジし始めた。

 こんなにしおらしい彼女を見たのはいつ以来だろうか。

 普段のツンツンした雰囲気は、どこいった? え? ついにデレた?


「も、もしかして、あまりの格好良さに惚れてしまったか……?」


 恐る恐る尋ねると、雪菜はぷるぷると肩を震わせる。

 この反応。やっぱり、そうなのか!?


 ふぅ……参ったな。確かに雪菜はめちゃくちゃ美少女だ。

 小悪魔感たっぷりのツリ目に、潤んだ瞳。雪のように白く艷やかな素肌。美を象るパーツは様々あるが、どれを取っても申し分無い。そんな雪菜を彼女にしたいと願う男子は星の数ほどいるだろう。


 たが、俺と雪菜は血の繋がった兄妹だ。

 たとえ愛の女神がそれを許しても、我が国の法律がそれを認めない。

 クソッ! 俺は……可愛い妹の期待に応える事もできない俺は……クソ兄貴だッ!!


「ごめんな、雪菜……俺はお前の気持ちには……っ!」

「売れねえバンドマンみたいな夢見てないでさっさと仕事探そうね? シスコンキモニート野郎」


 だよね。やっぱ高ぶる感情には抗えな──


「……えっ?」

「むしろこっちが『えっ?』だよ? 冒険者とか、ガチで言ってる?」

「え、いや、はい……本気と書いてガチです……」

「えっ……? キモい上に、面白くない」


 痛え。躊躇い無くぶっ刺してくる言葉のナイフが痛えよ。


「いや、冗談はさておきだな──俺は本気で冒険者になるつもりだぞ。冒険者になって、がっぽり稼いで今までお前に苦労かけた恩を返そうとだな……」

「あのねえ、そんなのはウィーチューバーと一緒なの。成功するのはひと握りの人間だけだから。それこそNARIKINみたいな天才しかなれないわけ! お兄ちゃんみたいな陰キャキモニートが稼げるわけないじゃん!」


 雪菜の言う通り、俺は今日の今日までニートだった。

 事故で両親を失った事を言い訳に就職もせぬまま、親の保険金でグズグズと生きてきたクズ野郎だ。

 だけど、一切の後ろめたさが無かったわけではない。

 心の何処かに『このままじゃ駄目だ』という感情はあった。

 そうは思えど、一度社会から逃げ出せば復帰するには、相当な勇気が必要だ。

 その勇気が無ければ──もしくはキッカケとなる何かが。

 

「でもお前、医者になりたいんだろ」


 俺の一言に、雪菜がピクリと反応した。


「……キモ。勝手に人の部屋に入んないでよ」

 

 俺の言葉を聞いて雪菜は目を伏せた。


「それは悪かった。その、掃除機をかけようとして部屋に入ったら、たまたまパソコンの画面が目に入ってさ。それで医大の事、色々調べてるみたいだったからさ」

「ふぅん……ま、いいけど、それが冒険者と何の関係があんのよ」

「俺も初めて知ったんだけど、医大に通うのってめちゃくちゃお金がかかるんだな。……残りの保険金だけじゃ足りないくらいに」


 医者になる条件として、まずは医科大学で6年間学び、卒業しなければならない。

 その諸費用はかなり高額で、ざっくり計算で大体3000万円ほど必要だ。

 親の保険金が降りた直後から就職して貯金していたならまだしも。

 収入も無いまま生活費に充てていた現在。学費に回すほどのお金は残っていなかった。

 

「……それで、目が覚めた。そっから、色々調べたんだ。こんなニート野郎でも稼げる仕事が無いかなって。色々探して、悩んで、それで決めたんだ。俺は──冒険者になろうって」

「……」


 雪菜からの返答は無かった。目は伏せたままで、唇をギュッと結んでいる。きっと呆れているのだろう。

 

 当たり前だ。

 ちょっと辛い思いをした。それを言い訳に自分を甘やかして親が遺した資産を散々食い潰してきたのだ。同じく辛い思いをしたはずの雪菜は俺みたいに腐らず、立派な夢を抱いて勉学に励んでいる。そんな彼女の将来の事を、俺は何も考えて無かったのだから。


「……ごめんな。ダメな兄ちゃんで。お前の言うとおり、こんな俺がいまさら足掻いたところで、NARIKINみたいな大金持ちにはなれないかもしれない」


 それでも足掻きたいのだ。


「だけど、もう一度チャンスをくれないか?……確かに俺は天才じゃないが、一つだけ、奴にも負けない事がある」

「は?……何それ。……お兄ちゃんがNARIKINに勝てるわけ無いじゃん。ただのキモニートだし」


 俺は少し身をかがめ、雪菜と目線を合わせた。

 それからにやりと笑いかけて告げる。


「俺は──雪菜の事を大切に想ってる。その想いはあんな成金野郎に負けねーよ。だから、めちゃくちゃ頑張れる気がするんだ」


 自信に満ちた俺の言葉に、雪菜は目を伏せたまま一言だけ返す。


「……キモ」


 相変わらず目は伏せたまま。

 だけど、その表情は少しだけ赤味を帯びていた。

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