第54話

 朝食のあと、何やら責任を感じているらしいラグナルに引っ張られるようにして、医術師の診察を受けた。

 手の薬を塗り直し、包帯を変える。領主お抱えの調剤師や医術師の腕は素晴らしく、化膿する様子もなく、痛みも昨日に比べれば格段にマシになっている。

 それから、部屋に戻りテラスにある椅子に座って、城を囲む城壁を、ぼうっと眺めていた。

 朝食後にゼイヴィアから聞いた話によると、領主であるランサムが戻るまで城で過ごさねばならないらしい。

 お客様待遇だが、体のいい軟禁だ。


「どうしたもんかな」


 運ばれてきたお茶を飲み、私はぼそりと呟いた。

 ホルトンの街から王都にいる領主に使いを出して、沙汰が来るのが早くて七日だとオーガスタスは言っていた。

 ここはホルトンより馬で半日分王都に近い。昨晩のうちにマーレイの件を知らせに走ったら、残された時間は六日ほどになる。

 金平石はあと四つ。

 領主が戻るまでに使い切ることはできそうだ。

 ラグナルが記憶を失った漆黒に煌めく月光(笑)であると分かった時に、先の計画を描き、ノアに感づかれ、ウーイル姉弟に知られた時に覚悟は決まった。

 ただ、もっと時間に余裕があると思っていた。明確な期限が切られたうえ、自由が利かないのが痛い。


「バートに申し訳ないことになっちゃうなあ……」

「バート?」


 背後から聞こえたラグナルの声に、私はびくりと肩を揺らした。


「びっくりした。何か食べられるものをもらいに行ったんじゃなかったの?」


 がっつり朝食を食べていたはずなのに、すぐにお腹が空いてしまったらしい。お茶を運んできた女性と共に厨房に降りて、軽食を取りに行ったはずのラグナルがすぐ後ろに立っていた。


「行ってきた。焼き菓子ももらってきたから、イーリスも食べるだろ? こっちに持ってこようか」


 どうやらもう厨房まで往復してきたらしい。それにしても早い。


「ひょっとして走って戻ってきた?」


 走るのが早すぎるとノアが怒っていたのを思い出して問えば、ラグナルは頷いた。


「落としたりしてないから、いいだろ」


 いいのだろうか。この国の貴族の流儀に詳しいわけではないが、食べ物を持って城内を疾走するのはあり? ……ないな。


「緊急でないかぎり走るのはやめといたほうがいいと思う。人にぶつかったら危ないしね」


 城の廊下は決して広くない。そうでなくてもダークエルフの少年が走り回っていたら、皆を驚かせてしまうだろう。


「約束か?」


 ラグナルは腕を組んで首を傾げた。


「いやいやいや、やめて。約束はもうこれ以上増やさないから!」


 慌てて止める。ラグナルは眉を寄せた。


「別に増えても構わないだろ」

「駄目。これは約束じゃなくて提案もしくは意見ね。私は城の廊下は不用意に走らないほうがいいと思います」


 片手を上げてそう口にすると、ラグナルは不満そうにしながらも頷いた。


「分かった。なるべく走らない。で、どっちで食べる?」

「天気もいいし、テラスで食べようか」


 そう言うとラグナルは、部屋にひっこみトレイを手に戻ってくる。

 テーブルに置かれた料理の量は軽食と言っていいものか迷うものだった。

 やはり魔力と同様に食欲も底なしなのかもしれない……


「ところで、バートに申し訳ないって、なに? バートって医術師のことだよな」


 あらかた食べ終わってからラグナルが唐突に切り出した。

 もう忘れていると思っていたのに。

 私はぬるくなったお茶に目を落とし、一口含んでから答える。


「あー、薬の納入期限がね。間に合いそうにないなーと思って。バートのこともちゃんと覚えてるんだね」


 すぐに「当たり前だろ」といった返事が返ってくると思っていたのに、ラグナルからのリアクションがない。不審に思って顔を上げると、唇を引き結んだラグナルと目が合う。ややして、ラグナルがゆっくりと口を開いた。


「それだけか?」

「それだけだよ?」


 どきりとした。何もかもをラグナルに感づかれているようで。そんなはずはない、と思うのに、緊張でカップを持つ手に力が入る。


「……なら、いい」


 そう言ったきりラグナルは口を閉ざしてしまう。

 空気が重い。テラスは爽やかな陽気が降り注ぎ、心地よい風に吹かれているというのに。

 私は息苦しさを誤魔化すように、外の景色を眺めた。

 すると、どうしたって視線は城を囲む城壁に吸い寄せられてしまう。綻びがないか探してしまう。

 ラグナルは今、どこを見ているだろうか?

 もし、もしも、気付かれているのだとしたら……

 嫌な汗がじわりと滲み出る。

 すぐ隣の椅子に腰掛けているラグナルからは何の気配もしない。食事を続ける音も、衣擦れの音も。

 振り向いてみれば、案外呑気に景色を眺めている姿が見られるかもしれない。でも、もしも私を見て、瞳を悲しげに揺らせていたらと思うと、顔を向けることが出来なかった。

 そんな張り詰めた空気を破るように、大きな音を立てて、城の門が開いた。

 栗毛の馬が一頭、人を乗せて入ってくる。

 一つに纏めて、左肩に垂らされた茶色い髪には見覚えがあった。


「キーラン?」


 遠目だが間違いない。ホルトンから帰ってきたのだ。


「何しに行ってたんだろう……」


 マーレイのことをオーガスタスに報告に行ったのだとしても、朝を待ってからでも良かったのではないかと思う。それに戻ってくるのも随分早い。休憩もとらず、馬を走らせなければ、この時間には帰ってこられないはずだ。


「さあな」


 ラグナルの返事はそっけない。けど、そっけないながらも反応があったことにほっとした。


「あれ? 呼んでる?」


 私たちがキーランに気づいたように、キーランもまた私たちに気づいたらしい。

 馬上で大きく手をふると、指で下をさす。

 降りてこい。

 キーランは仕草でそう示していた。

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