第55話

「何だろう……」


 私はラグナルと顔を見合わせる。


「とりあえず行ってみるか」


 ラグナルは、最後に残ったサンドイッチを一口で平らげると、立ち上がった。

 階下に降りる途中でルツとノアの姉弟とすれ違う。


「キーランが戻ってきたみたい」


 そう声をかけると、ノアはくるりと踵を返して上ってきたばかりの階段を下り始めた。


「早かったですね。ゼイヴィアの部屋で待っていますと、伝えてください」


 ルツはノアの背中に声をかけ、階段を上る。


「バルコニーにいたら、降りてくるようにキーランに指をさされたんだけど、何か知ってる?」


 私はノアと並んで階段を下りながら尋ねた。

 夜通し馬を走らせて帰ってきたキーランに呼びつけられるなんて、良い理由とは思えない。


「さあ? お土産でもあるんじゃないの?」


 ノアは欠伸をしながら、とぼけた答えを返す。


「ああ、寝不足。にしても、イーリスは元気だよね。僕よりも睡眠時間は長かっただろうけど」


 ちくちく嫌味攻撃が、苦にならないのは、その下の本音が透けて見えるからだろう。


「ノアって、ルツと似てるよね」

「どういう意味」


 むっとした口調で言われて、私は笑ってごまかした。


「さあ? そんなことより、お土産が待ってるなら早くいかないと」



 なんて、軽口だったのに……

 外に出るなり、馬を馬房に預け終えたキーランは真っ黒な長剣を差し出した。


「ラグナルに土産だ」


 それは森で拾ったラグナルの黒剣だった。


「と言っても、もともとお前のものだがな。鞘はオーガスタスが誂えたらしい」


 ラグナルは左手で剣を受け取ると、右手でグリップを掴み、剣を半ばまで引き抜いた。

 黒い刀身が露わになる。


「俺の……」


 眼前に刀身を掲げ、不思議そうに眺めてから、ぽつりと呟いた。


「そうだ。覚えているか?」


 キーランの言葉にラグナルは首を横に振った。


「わからない」


 そう言って、鞘にしまう。


「そうか。なら、これに見覚えは? 魔獣の血を被っていてな。手入れに出したのだが、グリップの中から、こんなものが出てきたらしい」


 キーランは小さく畳まれた紙片を見せた。

 ラグナルは剣を持ったまま紙片をつまみ上げ、広げる。

 さっと目を走らせ、眉を寄せた。


「……読めない」

「読めないって、文字も忘れてるの? なんて書いてあったのさキーラン」


 わざわざグリップの中に隠すぐらいだ。余程大事なことが書かれてあるに違いない。


「それが分からない。オーガスタスも知らない文字だと言っていた。どうもエルフが使う古語とも違うらしい」

「なにそれ、ねえ、ちょっと見せてよ」


 ノアの言葉に、ラグナルは紙片を差し出す。

 あっさりノアの指示に従ったのは、彼自身、内容が気になったからだろう。


「何これ、こんな文字見たことない。っていうか文字なの? 暗号じゃない?」


 目にするなり、ノアはそう言って、肩を竦める。


「私も見ていい?」


 誰とはなしに許可を求めると、紙片が回ってきた。


『油虫よりしぶといお前のこと、元気にやっていると確信しているが、阿呆は死んでも治らないと言うから生活には苦労しているだろう。不肖の妹へ贈りものだ。好きにするといい。追伸、金は裏切らない』


 小さな紙片にびっしりと書かれた見覚えのある流麗な文字。それはイーの一族がかつて追放された、故国の文字だった。


――やっぱりかあああああああああああああ。


 ラグナルが里を出奔した私の存在を知って、追いかけてきたのは、思った通り兄の差し金だった。


「これ、本当にエルフの古語じゃないんですか?」


 私はしれっとキーランに問いかけた。つもりだった。


「イーリスって……」


 なぜかノアが救いようのない馬鹿を見るような目で見てくる。

 キーランは顔を横に向けると、拳を口に当て耐えきれないといったように、くっと笑いをこぼした。

 そんなキーランをじっと半眼で見つめると、彼は私に向き直った。


「いや、すまない。根が素直なんだな」


 それは褒めているのだろうか?

 兄が一枚噛んでいることは分かっていた。だからってラグナルが、兄からの手紙を後生大事に剣に隠して持っているだなんて誰に想像できただろう。思いっきり顔が引きつった自覚はある。


「で、なんて書いてあったのさ?」


 ノアは紙片を取り上げて、ぴらぴらと振った。

 読めるだなんて言ってないのに。


「ラグナルに関することか?」


 いや、キーラン。私の出自は分からないし探るつもりもないって言ってたじゃん! もうとっくに知ってるよってその言動はどうなの。

 ちらりとラグナルを見ると、聞きたいのを必死に我慢している。そんな顔をしていた。

 私の過去なんて関係ない。そう言った手前、聞けないのだろう。

 私は額に手をあて、大きくため息をつく。


「べつに、大したことは書かれてません。御察しの通り故郷の文字で、私への手紙です。元気にしているか、とそれだけ」

「ふうん。それだけねえ」


 ノアの声は全く信じていない。


「本当にそれだけ。ただちょっと嫌味ったらしく書かれてるから長いだけ」


 追伸を読むに、解呪料を私に払うよう、兄はラグナルに示唆したはずだ。それを私への贈りものだと書かれているなんて、言えるわけがない。


「ラグナル、聞きたいことがあったら聞いてよ」


 自分の持ち物だと言われたものから、読めない文字で書かれた、私宛の手紙が出てきたら、そりゃあ気になるに決まっている。

 たっぷりと間を置いてからラグナルは口を開いた。


「この剣が俺のものだとしたら、記憶をなくす前に、イーリスを知っていたってことか?」

「直接は知らない。ただちょっと私の身内に会ったことがあって、手紙を言付かっただけだと思う。もし会うことがあれば渡してくれってぐらいの軽いものだから気にしないで」

「その説明で、気にしないでおけると思うの?」


 ノアの呆れ切った問いは無視した。


「本当にラグナルが気にすることじゃない。この手紙を書いた人と何か約束を交わしていたとしても、無視してくれていいから」

「約束……」


 ラグナルはぎゅっと眉根を寄せる。


「いや、本当に。この人の言うこと真に受けたら、骨までしゃぶられるよ。もし、仮に、ラグナルがこの手紙を書いた人に、他に私に何か渡せと言われていたら、私はそれを放棄します」


 私は高々と手を上げて、そう宣言すると、話は終わったとばかりに、その場を後にした。

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