第52話

眠れない。

 ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。隣のベッドで眠るラグナルはすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 同室で眠るのを嫌がるとか、恥ずかしがるとか、一悶着あると思っていたのに、拍子抜けだ。

 ――いや、解呪があるから助かるんだけど。

 プチ逆行を経て体は小さくなったのに、中身は一皮剥けた気がする。

 喜ばしいことのはずなのに、なんというか、置いていかれたような感じがして落ち着かない。私の知らない間に、どんどん成長していっているようで寂しいような、怖いような気さえするのだ。

 思えば、ヘリフォトの街でノアと別れ、キーランの忠告……というよりはお説教を聞いたあとから様子がおかしかった。

 何か言いたげな様子で、でも何も言わない。

 きっとノアの行動やキーランの話から、私の出自が訳ありだと察して気になっていたのだろう。私に聞こうか聞くまいか、ずっと迷っていたに違いない。

 迷った末に出した結論が、眠る前に聞いたアレだ。


『イーリスの過去なんて関係ないって分かったから。もう二度とこんなことがおきないように俺が守ってやる。だからもう少しだけ待ってて』


 高くも低くもない。声変わり前の少年の声で静かに告げられた言葉を思い出すと、意味もなくそこいらを走り回りたいような衝動にかられる。

 不覚にも、不覚にも、心臓をキュッと掴まれたような感覚に陥ってしまった。

 今のラグナルはまだ少年である。私より背も低いし線も細い。本来のラグナルが五十歳のおっちゃんだろうが百歳のじいちゃんだろうが、今はまだ少年なのに、まさかときめきを覚えてしまうなんて……

 ――ダークエルフ、色んな意味で恐ろしい!


 私はショタコンじゃない! と叫びたくなる気持ちを押し殺し、布団に潜ってみたり、伸びをしてみたりと頑張ってみたけれど、一向に睡魔は訪れてくれなかった。

 中途半端に眠ってしまったのに加え、右手の傷がじくじくと痛むのもいけない。

 ラグナルの旋毛を眺めるのにもそろそろ飽きてきた。

 ーーそう言えば、ラグナルの印はどうなっているのだろう。

 一度気になりだすと、止まらないもので……私はそっと体を起こすと、ランタンを灯し、眠るラグナルに近づいた。

 起こさないように、慎重に服をめくる。

 ――あれ?

 灯りに照らされ、浮かび上がる印を一目見て、首をかしげた。

 見間違いかと、ベッドの隣に膝をつき、灯りを近づけてみる。


「……赤みが強くなってる」


 目をこすってみても、ランタンの位置を変えてみても変わらない。ラグナルの印は色が変化していた。「何色か」と問われれば「紫紺である」と言える。しかし以前はどちらかと言えば青が勝っていた色が、今は赤が優勢になりつつあった。

 再構築は赤の支配にのみ作用していた。青の封印に変化はなかったから、比率が変わったのかもしれない。

 ランタンを床に置き、瞼を伏せる。体の中を巡る力を確かめ、目を開けた。

 兄をして『回復力だけは一族随一』と言わしめた私である。解呪に必要なだけの力が戻っているのを確認すると、用意に取り掛かった――


 薬包紙を捨て懐剣をしまうと、私は自分のベッドに寝そべった。

 心地よい疲れが全身を包んでいる。これなら眠れそうだ。

 思った通り意識はすぐに眠りに落ちていった。



「イーリス、おはよう。体調はどうだ?」


 朝日が眩しい。バルコニーから運ばれるのは爽やかな風と鳥のさえずり。


「無理に起きなくてもいい。眠いなら寝とけよ。あとで朝食を持ってきてやるから」


 呼びかける声は若々しく、張りがある。

 私はゆっくりと体を起こした。耳に馴染みの薄い声だが誰のものかは分かっている。

 ラグナルはバルコニーの近くに立っていた。逆光でよく見えない。けれど近づいてくるたびにその姿は鮮明になった。

 ――ダ、ダークエルフだ……。

 尖った耳に褐色の肌。涼やかな目元。

 逆行する前より成長している。


「イーリス?」


 首をかしげると銀糸の髪がさらりと揺れた。

 私は無言でベッドから降りた。ラグナルが慌てた様子で駆け寄る。


「おい、まだ無理するな」


 体を支えようとしたのか、手が伸ばされる。しかし私がしっかりと立っているのをみると手は触れることなく降ろされた。


「ラグナル……大きくなったね」


 朝に目にするラグナルの成長には毎度驚かされる。これまでも毎朝大きくなっていたのは同じだ。

 それでも、思わず声に出してしまうほど大きくなったと感じるのは、目線の高さが同じになったからだろうか。

 昨日までは見下ろしていたのに、今日は違うのだ。

 ラグナルは軽く目を見張ってから笑った。


「イーリスは小さくなったな」

「何言ってるの。私は変わらないから。それに、まだ身長だって同じぐらいでしょ」

「そうか? でも、もう手は俺の方が大きいけどな」


 そう言うとラグナルは怪我をしていない左の手をとって、掌を合わせた。

 掌の大きさも指の長さも太さも、一回りラグナルが上回っている。


「ほんとだ……」


 ラグナルがキーラン並みに長身なことは分かっている。元の姿を想像してみたこともあった。

 でもずっと分かっているようで分かっていなかったのだと気付かされた。

 私より小さかったラグナルに、抜かされたところを目の当たりにして、遠からず大人の男になるのだと、やっと本当に理解できた気がした。

 まじまじと合わさった掌を見つめていると、ふっとラグナルのそれが離れる。


「……体が大丈夫なら、朝飯、食べにいくか? さっきゼイヴィアが呼びにきたばかりだから、まだ皆食堂に揃ってると思う」


 離した手を体の後ろに隠して、そう言うラグナルの視線は盛大に泳いでいる。


「う……ん、そうする」

「じゃあ、俺、外で待ってるから」


 口早に言うとラグナルはそそくさと部屋を出て行った。

 一晩で、一皮も二皮も剥けたと思っていたけれど、照れ屋な面は抜け切らないらしい。

 というか照れるなら、やらないでほしいんだ。こっちまで恥ずかしくなるから……

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