第51話
「あー、そうだ。ラグナルには黒魔法を使って倒れたときに、イーリスを下敷きにしたって言ってあるんだけど……」
ラグナルが言っていた迷惑をかけたって、そういう意味か。
どうやら解呪の件は黙ってくれていたらしい。
「言わないのー? 記憶を失う前のラグナルが探してたのは自分だって」
私は首を横に振った。
印の話をしてしまおうかと考えたこともあったけど、この先のことを思うとやはり告げてしまうのは躊躇われた。
「絶対にそうと決まったわけじゃないし」
確信はあるけれど、彼の口から聞いたわけではない。
「それに記憶を失っているラグナルに言っても、ちんぷんかんぷんでしょ?」
「それはそうかもしれませんね……」
ルツが思案顔で頷く。
「えー。じゃあ、ラグナルの印を黙って解いて、見返りを求めないつもり? 健気だねえ。イーの一族は強欲だって聞いてたけど」
強欲なのは合っている。
「私が勝手にやってることで依頼を受けたわけじゃないから。それに、その……恥ずかしながら私は解呪の力が弱くて使い物にならないって里を出された身で……。ラグナルの印だって、ほとんどラグナルの力で解いているようなもんだし」
だから私に利用価値なんてないですよ。とアピールしているのがバレたのだろうか。ノアは面白くなさそうに鼻をふんと鳴らした。
「力が弱いねえ。どんだけ弱くてもイー以外には持ち得ないものなのに、放逐しちゃうなんて、イーリスの一族は随分余裕だね」
いちいち鋭い突っ込みが鬱陶しい。
話を変えたくて違う話題を探していると、またノックなしに扉が開いた。
「イーリス、医術師を連れてきた」
部屋に入ってきたラグナルはノアを見て、眉を寄せる。どうしてお前がここにいる、とでも言いたげた。
そんなラグナルの後ろから、医術師らしき老齢の人物に続いてぞろぞろと三人の男が姿を現した。ウォーレス、ゼイヴィア、そしてトリスタンだ。なぜかキーランはいない。
「ああ、イーリスさん。目が覚めたんですね。良かった」
親しげに声をかけてきたのはそのトリスタンだった。
「ええ、まあ……」
マーレイの配下でないのは分かったが、何者か分からないままだ。声に警戒が滲んでしまったのは仕方ないことだろう。
「ご婦人に手荒なまねをして申し訳ありませんでした。実は僕、ランサム様の指示でマーレイ様の元に潜り込んでいたのですが……」
ランサム、といえば領主である。ルツの話からマーレイを警戒していたようだったのは分かっていたが、子飼いを放っていたらしい。
トリスタンはこれといって特徴のない、良く言えば優しげな、悪く言えば小心そうな風貌の主だ。
しかし密偵としてやっていけるぐらいなのだから、きっと優秀な人物なのだろう。気弱に感じる口調も演技に違いない。
トリスタンの肩に担がれて、風呂場の隠し通路に連れ去られた時のことを思い出して、顔が熱くなる。
あんなことをしなくても、ちゃんと助けが入ったのだ。
「まさか、マーレイ様がああも大胆な行動に出られるとは思わず。僕の腕ではどうしようもなく、困ったことになったと思っていたのですよ。イーリスさんの機転とロフォカレの皆さんの活躍で、事なきを得て本当に本当に良かったです。あ、マーレイ様は地下の牢におりますのでご安心ください」
……と、思いきやそうでもなかったらしい。
「イーリスさんの機転な……。確かにあれのおかげで隠し扉にすぐに気づけたが。にしてもイーリスさんよ。他のものはなかったのか? ラグナルが切れて大変だったんだが」
ウォーレスはちらりとラグナルに視線をやる。間髪いれずにふいっと顔を背けるラグナル。
「咄嗟だったので……」
これなんて辱め? もう布団の中に潜ってしまいたい。
あの時、隠し扉の存在を知らせようと、ひっくり返した籠の中から私が掴んだものは……下着だった。袖口に隠せる一番布面積の小さいものと言えば、それしか思いつかなかったのだ。
「待てって言ってんのに一人で走っていっちまうしなあ」
腰に手を当て、嘆息しながらそう言ったウォーレスだったが、何かを思い出したように、にやりと笑った。
「挙句に鼻血だして倒れたって? いやー、若いっていいよなあ」
若い。と言っていいのだろうか。そりゃあ今は若いが、ラグナルは人間より遥かに長寿なダークエルフである。元のラグナルは百歳でもおかしくない。
「もう、お前ら出てけよ。イーリスが起きたのは確認しただろ。俺が呼んだのは医術師だけだ!」
ウォーレスのからかいに耐えられなくなったラグナルによって、ロフォカレの面々は部屋から追い出された。
その医術師も簡単な診察をして、問題ないと太鼓判を押すと、今日はゆっくりと体を休めるようにと言い置き部屋を出て行った。
あっという間にまたラグナルと二人きりである。
――えーと、この部屋でいいのかな。
マーレイは捕らえられたのだからもうルツかノアと行動を共にしないでいいのはわかる。
けど、思春期らしいラグナルはどう思っているのだろう? いや思春期だったのはプチ逆行する前のラグナルだから、今は一歩手前の反抗期仕様かもしれない。でも記憶は残ったままだし……。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。
解呪の為には同室が有難いが、嫌がるものを強要して、これ以上禍根の元を増やしたくない。
「――ラグナル」
いっそ本人に聞いてみるかと声をかける。ラグナルはやけに神妙な面持ちで、ベッドの横に佇んでいた。
「どうしたの?」
何かを考え込んでいるような、その表情が気になって尋ねた。
「俺……」
口を開いたラグナルは、一言だけ発すると唇を引き結び俯く。なんと切り出せばいいのか迷っているようだった。
私は彼の中で話が纏まるのを静かに待った。
銀色の髪から少しだけ尖った耳の先端が覗いている。ふわふわとうねっていた髪は、徐々に癖がとれつつある。今は毛先にゆるいカーブが残る程度だ。
ややして、ラグナルは顔を上げると、黒い瞳でまっすぐに私を見据えた。
「迷惑ばかりかけてごめん。早く大人になって、稼ぐって約束したのに。俺、また小さくなって……」
――はい!?
私は思わず掛布をはねのけて、ベッドに膝立ちになるとラグナルににじり寄る。
「また小さくなって、って記憶が戻ったの!?」
ラグナルは唇を噛み締めると微かに首を横に振る。
「分からない」
えー、分からないってどいうこと……
「イーリスに会う前のことは何も分からない。けど、時々おかしいって感じるんだ。もっと俺の手は力があったのに。もっと刀身の長い剣を使えるはずなのに。もっと視界が広かったはずなのにって……」
剣の扱いは体が覚えていた。なら他も彼の体に刻まれた記憶なのかもしれない。大人の体の感覚を覚えているのなら、今の体はさぞかし歯がゆいだろう。
「俺、記憶もないし、黒魔法だってろくに使えない。おまけに小さくなったりする。けど、これ以上イーリスに迷惑かけないようにするから……。すぐに大人になるから。もう少しだけ待っててほしい」
待つってなにを!?
突っ込みそうになった言葉を寸でのところで飲み込んだ。
「あの、ラグナル? 別にそんなに思い詰めてくれなくていいんだよ。それに今回のことは迷惑をかけたのは私のほうだからね。私が狙われたのに巻き込んじゃったわけで……そのマーレイは……」
なんて言えばいいだろう。言葉を探して、口ごもると、ラグナルの指がそっと唇を抑えた。
「黙って」
私は目を見開いた。昨日は唇に触れただけで逃げていったのに、どういうこと。
「俺はイーリスのことを何も知らない。けど、別に知らなくたっていい。ノアが知ってるのはムカついたけど……。イーリスの過去なんて関係ないって分かったから。もう二度とこんなことがおきないように俺が守ってやる。だからもう少しだけ待ってて」
そう言ったラグナルの顔はほんのりと赤くなっていた。
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