「マニアはマニアを知る」ー造山古墳群(岡山県)



 現在、小中学校には郷土の歴史を学ぶ時間があります。私は岡山県南部出身でしたので、歴史といえば吉備きび、国分寺や古墳群と決まっていました。中学校時代には一学年全員で総社市へ行き、JR総社駅から自転車で古墳をめぐって備中びっちゅう国分寺でゴールする、という催しもありました。「晴れの国・岡山(日照時間の長さ日本一)」で、両腕をテリヤキにしながら自転車をこぐのは、十代とはいえ結構キツかったです。


 この地域には古墳が多数あります。大きさでは全国第四位の造山つくりやま古墳と第十位の作山つくりやま古墳は、教科書にも載っています。両方とも「つくりやま」なので、地元民は造山ゾウザン作山サクザン古墳と呼び分けています。


   **全国の巨大古墳**

第一位 大山だいせん古墳 大阪府堺市堺区大仙町 中期 墳長486m 現・仁徳天皇陵

第二位 誉田ごんだ御廟山ごびょうやま古墳 大阪府羽曳野市誉田 中期 420m 現・応神天皇陵

第三位 石津ヶ丘古墳 大阪府堺市西区石津ヶ丘 中期 365m 現・履中天皇陵

🌟第四位 造山つくりやま古墳 岡山県岡山市北区新庄下しんじょうしも 中期 350m

第五位 河内大塚山古墳 大阪府松原市・羽曳野市 後期 335m 御陵参考地

第六位 五条野丸山古墳 奈良県橿原市五条野町 後期 318m 御陵参考地

第七位 渋谷向山古墳 奈良県天理市渋谷町 前期 310m 現・景行天皇陵

第八位 土師ニサンザイ古墳 大阪府堺市北区百舌鳥西之町 中期 288m 御陵参考地

第九位 仲津山古墳 大阪府藤井寺市沢田 中期 286m 現・仲姫命陵

🌟第十位 作山つくりやま古墳 岡山県総社市三須 中期 282m


 十位までは全て前方後円墳です。

 さすが近畿地方、超大型の古墳がたくさんありますね。是非行ってみたいですが、天皇陵や御陵参考地に指定されているため、私たち庶民は立ち入り禁止です。

 造山古墳と作山古墳は被葬者が特定されていません。だからこそ、自由に見学できるのが魅力です。


          ◇


 実は、造山古墳を訪れたのは「ついで」でした。埴輪・古墳好きの娘が「石室に入ってみたい(`・ω・´)」と言い出したのです。というわけで、まず『こうもり塚古墳』を訪ねました。

 こうもり塚古墳は、備中国分寺・国分尼寺の隣にある古墳時代後期(六世紀後半)の前方後円墳(墳長100m)です。被葬者は仁徳天皇に寵愛された吉備の黒媛くろひめと言われていましたが、仁徳天皇の時代は四世紀なため訂正されました。横穴式石室にコウモリが棲んでいたことが名前の由来とか。

 巨大な花崗岩で作られた横穴式石室(国内第四位の大きさ)と家型石棺があります。壁画などはありませんが、羨道せんどうを石室の手前まで入って雰囲気を味わい、娘は満足していました。


 こうもり塚古墳近傍の『総社吉備路文化館』に立ち寄り、この地域の古墳の分布状況を確認したのち、造山古墳へ。

 ン十年前の私の記憶では、石段を登った先に小さな神社があり、剥きだしの石棺がポツンと置いてあっただけなのですが……行ってみると、

 駐車場が整備されている!( ゚д゚)イツノマニ?

 ビジターセンターができてる!( ゚д゚)イツノマニ?

 時の流れを感じました。


 駐車場に車を停めていると、灯油缶で火を焚いて暖をとっていた(11月でした)ボランティア・ガイドのおじさん達が声をかけてくださいました。

「古墳を観にきたの? 家族で? 広島県からわざわざ?」

 よほど珍しかったようです。

「僕ん家の近くに、広島県最大の古墳があるんだよ。全長九二メートル!」

と小学生の息子が言うと、おじさん達がざわめきました。

「広島県の前方後円墳?」

「そういえば、綺麗に整備して公園になっているのがあるな。△〇◇古墳だっけ。古墳、好きなの?」

 資料も観ずにすらすらと名前が……マニア魂を感じますね🌟

「こっちは三五〇メートルもあるよ。登れる日本一の古墳だ。ご案内しましょう」

 そんなわけで、ちょっとだけのつもりが、ガイドさん貸切のガッツリ見学会になりました。



「造山古墳の後円部は直径二〇六メートル、高さ二九. 七メートル、前方部の前端は二一六メートル、高さは二二. 五メートルあります。登りましょう」

 造山古墳は六つの陪塚ばいちょうとともに国史跡に指定されています。しかし、裾部分は削られて畑と民家になっています。地元の小学生が描いた【造山古墳 こっち👉】という看板に微笑みながら、住宅街をとおって石段を登ります。

 夏はマムシ(毒蛇)が出て危険ですが、この時期は大丈夫。草むらをかきわけ軽く息を弾ませながら登りきると、前方部の三段目(最上段)に到着します。まず後円部を目指しました。大木が生えています。

「ここは畑で、桃と桜が植えられています。春は綺麗ですよ」

 麓だけでなく、頂上も畑にされているんですね。

「戦国時代、羽柴秀吉さんと軍師の黒田官兵衛が備中高松びっちゅうたかまつ城を攻めた際(水攻め)、毛利方がここに砦を築きました。後円部の斜面が削られて平らになっているのは、曲輪くるわの跡です。そこの高くなっているのは当時の土塁です」


 待ってください。いくら御陵ではないからと言って、やりたい放題じゃありませんか?


 後円部の頂上に立つと、平野が見渡せます。ボランティア・ガイドのおじさんが指さしながら説明します。

「この辺りには古墳時代の集落跡がたくさんあります。足守川あしもりがわの向こう(北東)の赤い大鳥居が最上稲荷さいじょういなり、その左の小さな森が備中高松びっちゅうたかまつ城跡です。今は公園になっています。北に見える山は、『桃太郎』の鬼が住んでいたと言われるじょう山です。標高約四〇〇メートルの頂上に、朝鮮式の山城やまじろが復元されています」

 私は鬼ノ城を小説の題材にしました(『掌の宇宙』第六話)。実際は大和朝廷が白村江の戦い(六六三年)で敗れた後、反撃を恐れて築いた山城の一つです。古代、この辺りは海のそばでした。

 ガイドさんの説明は続きます。

「こういう大きな古墳の周囲には、王の臣下や一族の古墳が造られます。陪塚ばいちょうといいますが、後世に削られてしまったものもあります。向こう(北)にまるい畑があるでしょう?」

 確かに、田んぼの中に綺麗な円形の土地が見えます。

「あれは新庄車塚しんじょうくるまづか古墳という帆立貝ホタテガイ形の古墳(前方後円墳のうち前方部が短いもの)でした。昔の地主さんが削って畑にしちゃったんです(´・_・`)」

 …………。

「文化財を後世に遺すのは大変です。さ、前方部に行きましょう。こっちにも面白いものがあるんですよ」


 私もですが、子ども達はショックを受けていました。大切に保存された遺跡ばかり観てきましたからね。


 せっせと三〇〇メートル歩いて前方部へ着くと、小さな社がありました。私が子どものころ見た『こう神社』と石棺です。前方後円墳の場合、一般に被葬者は後円部に埋葬されますが、この石棺は前方部にあったものです(造山古墳後円部の埋葬施設は発見されていません)。石棺は遺体を置く「身」は巨石をくり抜いて作られており、長さ約二三九センチメートル、幅約一一五センチメートル、高さ七五センチメートル、側面の厚さは二〇〜三〇センチメートルあります。蓋も神社の裏にあり、長さ一二〇センチメートル、幅一〇五センチメートル、厚さ約三〇センチメートルの破片です。

「この石棺の石は、熊本県宇土うと半島産の阿蘇あそ溶結ようけつ凝灰岩ぎょうかいがんです。九州で作られ、船で運ばれてきました。赤く塗られていたようで、蓋の内側に顔料が残っています。神社の石段にも同じ石が使われています。 

 神社の建っているところ、周りより少し高くなっていますね(一辺一五〜二◯メートル)。これは方形壇といい、天皇陵級の格の高い古墳にだけある設備です。造山古墳が造られた当時、大山古墳(現・仁徳天皇陵)はまだ造られていませんでした。大きな権威を持つ大王がこの地にいたのです」


 ガイドさんは小学生の息子にクイズ形式で説明してくださいました。歩き疲れてきた子どもの興味を保たせてくださり、本当にありがたい。

 おもむろに写真の入った資料ファイルを開きます。

「造山古墳の被葬者は判りませんが、陪塚を調べるとヒントが得られます。ここから陪塚が見えますよ(南西から南にかけ分布)。第一古墳は円墳(榊山さかきやま古墳、直径35m)。第二古墳は方墳(一辺30m)。第三古墳は円墳(直径30m)。第四古墳は帆立貝形古墳(全長55m)。第五古墳も帆立貝形(千足せんぞく古墳、全長81m)で、現在工事中です。第六古墳は円墳(直径30m)です。

 第一古墳からは、青銅製の馬形帯鉤うまがたたいこうが六つ出土しています」


 何ですと⁉️∑(゚Д゚)←突然反応する、北方遊牧民マニア💦

 馬形。帯鉤といえばバックル。馬形帯鉤といえばスキタイ、匈奴、モンゴル……ではありませんか。そ、それが岡山に?

 

 写真には、(私には)見覚えのある形の青銅器が映っています。ガイドさんは私の妙な反応を不審がることなく、ニコニコと続けます。

「珍しいでしょう? 榊山古墳以外では、長野県で一点出土しているだけなんですよ。四世紀から五世紀に朝鮮半島で流行していたものが渡ってきたようです」

 そ、それは現在どこに……

「現物は宮内庁が保管しています。レプリカなら『埋蔵文化財学習の館』で観られますよ」

 ありがとうございます。では早速!――ダッシュで行きたいところですが、そこはぐっと我慢して、お行儀よく続きを拝聴します。


「他にも、中国東北部(三燕)起源の龍文透金具りゅうもんすかしかなぐ(青銅製、鍍金)や鏡が発掘されています。北九州や大陸との公益を担った人物が埋葬されていたのでしょう。

 復元工事中の千足古墳(第五古墳)には、石室が二つあります。九州の影響を受けた初期横穴式石室で、香川県産の安山岩が使われています。第一石室の壁は顔料で赤く塗られていました」

「あっ、『吉備路文化館』にすごく綺麗な写真がありました。観たーい!o(^▽^)o」

 娘が予習してきたことを示し、ガイドさんもご機嫌です。

「残念、いま工事中なんだよ。石室に雨水が入っちゃってね。保存のためにやっています。二年後に公開予定だから、是非また来てください。

 石室の仕切石に、貴重な浮き彫りがあります。直弧文ちょっこもんといい、肥後地方の古墳に同じような模様があります。矢を入れる筒をかたどった埴輪にも描かれています。さっきの駐車場と『岡山市埋蔵文化財センター』にレプリカがあるから、ご覧下さい」


 直弧文は、帯状の弧線を直線で区切ったカッコイイ文様です。古代のものとは思えない斬新なデザインで、一見の価値ありです。

 ガイドさんは近隣の楯築たてつき弥生墳丘墓など他のお薦めスポットも紹介してくれました。寒いなか、ご丁寧に(しかも無料で)案内して下さり、ありがとうございましたm(_ _)m


         ◇◇


 復習を兼ねて各地の遺跡について勉強していると、ある考古学者の言葉に出会いました。曰く「考古学者は墓泥棒と呼ばれる。時には面と向かって”死者を冒涜している”となじられることもある」と。

 確かに、古代エジプトの王墓から宝物を持ち去った西欧人や、敦煌莫高窟の壁画を勝手に切って持ち去った探検家などに、良い印象はありません。

 しかし、私が訪れた遺跡は、調査保存されなければ破壊されて道路となり(加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡)、工業団地やゴルフ場となり(吉野ヶ里遺跡、妻木晩田遺跡)、学校のグラウンドや畑にされてしまうところでした(西谷墳丘墓群、造山古墳群、土井ヶ浜遺跡)。こうした遺跡を保存して昔の人々の文化を守り伝えることは、重要と思います。

 私は、炎天下や悪天候のなか、刷毛や竹ベラで少しずつ発掘を行う地元の皆さん、遺跡を保存し復元する技術者の皆さん、子ども達に教えて下さったボランティアガイドの皆さんからは、遺跡を愛し敬う真摯さを感じました。




総社市公式観光WEBサイト:https://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/kanko/soja_kanko_top_2016.html

総社吉備路文化館トップページ(総社市HP内):https://www.city.soja.okayama.jp/bunka/bunka_sport/hakubutu/soja_kibiji_bunkakan.html

岡山市埋蔵文化財センター(岡山市HP内):https://www.city.okayama.jp/shisei/0000005292.html

岡山観光WEB(公式):https://www.okayama-kanko.jp/


参考図書:

「吉備の超巨大古墳―造山古墳群」西田 和浩(新泉社)

「吉備の弥生大首長墓―楯築弥生墳丘墓」福本 明(新泉社)

「古事記(全訳注)」次田 真幸(講談社学術文庫)

「吉備の弥生時代」岡山大学埋蔵文化財調査研究センター・編(吉備人出版)

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