「みんな、こっちを見ているよ」―土井ヶ浜遺跡(山口県)
島根県と鳥取県の遺跡について書いてきましたが、これらの遺跡では、人骨は殆ど発掘されていません(妻木晩田遺跡の墳丘墓のひとつに、わずかに頭骨の一部がみつかっています)。日本の土壌は火山灰の影響で酸性度が高く、弥生~縄文時代の遺骨は骨のなかのカルシウムが溶け出してしまい、残りにくいそうです。貝塚の中に埋められて周囲からカルシウム分が補充されるか、土器棺に入れられて土と触れない状態で埋葬されていたなどの条件がそろえば、残る場合があります。
今回は、そうした特殊な条件により、三〇〇体以上の人骨がまとめて出土した遺跡です。
◇
山口県下関市豊北町
現場の砂丘は、海から吹き寄せられた砂が積み上がって形成されたもので、貝粉を多く含み、その中のカルシウム分のおかげで人骨が残りました。一九三〇年、石棺に入った人骨が発見され、翌年から山口大学と京都大学による発掘調査が開始されました。一時期中断したものの、一九五三年から九州大学医学部、日本学術会議・日本考古学協会の協力で再び調査が開始されました。
一九六二年、国の史跡に指定。一九九七年、人骨が最も密集していた場所に保存のための覆い屋(土井ヶ浜ドーム)が建設され、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」となりました。
いくつか特徴的な人骨が発見されています。
*
鳥の骨を左胸に抱いた壮年の女性の遺骨です。遺跡近くの小島には、現在も鵜が営巣している場所があります。弥生時代の人々は鳥があの世とこの世を仲介すると考えていたらしく、巫女と考えられました。
インスピレーションを刺激された地元の作家さんが、この女性をモデルに小説を書いておられます。せっかくなので拝読しました。
――『鵜を抱く女』福田 百合子(1985年・毎日新聞社)――
土井ヶ浜遺跡に近い北浦出身の女性「ふしの」。大阪に嫁いだものの不幸な結婚生活を送った彼女が故郷に戻ったときを起点として、彼女の人生、彼女の娘「よしの」、二人の親族や縁ある人々の生き様と思いをつづった連作短編集です。土井ヶ浜遺跡の「鵜を抱く女」と鵜は、登場人物たちの魂や子ども、男性、生の象徴として繰り返し登場します。遺跡だけでなく万葉歌やシルクロードを伝わった鳥のモチーフなどにも言及し、最後はブラジルに渡った「よしの」の人生に辿り着く物語です。
小説だけでなく、詩や歌の題材にもなりました。ほうう、ロマンチックだなあと思っていたところ、博物館の先生が、申し訳なさそうに教えて下さいました。
「鵜ではなかったんです(´・_・`)」
「えっ?( ゚д゚)」
一九五九年の鑑定で「ウミウのヒナ」とされていたのですが、二〇一一年に鳥取大学が調べ、カモメやタカ、フクロウ科の骨が混じっている? ネズミか何かに齧られた跡もある? と分かりました。その後、北海道大学博物館が再調査したところ、鵜ではなくフクロウの一種と判明したそうです(2015〜2018年研究、2019年6月新聞発表)。埋葬されたのではなく、偶然埋まったのかも、と。
えええっ?( ´△`)ザンネン……という結末ですが、これも鑑定技術の進歩の成果です。現在もミュージアム展示の説明書は「鵜を抱く女」となっています。
*若き戦士(第124号人骨)
胸から腰にかけて十五本もの石鏃が打ちこまれた成人男性の遺骨です。戦場で斃れた英雄と考えられていました。ほうほうと観ていると、こちらも先生が、
「付近に戦いの痕跡が全くないので、戦士ではなさそうです(´・_・`)」
「えっ? じゃあ、なぜこんな死に方を……?( ゚д゚)」
確かに、大規模な戦闘があったのなら、環濠や柵などの防御施設や武器がたくさん出てくるでしょうし、怪我をした遺骨が一体だけなのは奇妙ですよね。
調査の結果、この男性は雨乞いなどの儀式に臨んで殺害された
あの……話だけ伺うと、戦争よりそちらの方が怖いんですけど((((;゚Д゚)))))))
*出産は命懸け(第1004号人骨)
ある女性は、両足首が切断された状態で埋葬されていました。彼女の脚の間には産まれてまもない赤ちゃんの遺骨がありました。出産の際の事故で亡くなった母子なのでしょう。
現在の日本の妊産婦死亡率は、出産10万に対し3.4です。これは世界でもトップレベルの少なさで、医療と妊産婦保健管理レベルの高さを反映しています(2018年 厚生労働省人口動態統計)。しかし、一九一〇年はこの百倍の333.0、死亡率が100を下回るようになったのは一九六五年以降です。妊娠・出産は命懸けですが、昔の妊婦さん(赤ちゃんも)の危険は現代の比ではありませんでした。
土井ヶ浜遺跡から出土した女性人骨は、同時代の他地域の人骨に比べ小骨盤が小さいと指摘されており、栄養状態の悪さから難産の危険が高かったと推測されています。
妊娠中または出産直後に亡くなった女性と赤ちゃんの遺骨は、縄文時代の遺跡からも発見されています。赤ちゃんを特別な土器(母胎の象徴)に入れ、母親の方は遺体の一部を切断したり(再生を阻止するための断体習俗)、鉢を頭にかぶせたり、犬を同時に埋めたりといった特殊な埋葬をされていました。
当時の人々の信仰を知る術はありませんが、このような死に方をした母子に対する想いを象徴しているのでしょう。
◇◇
三〇〇体以上の人骨が出土した土井ヶ浜遺跡ですが、うち九割は地面を掘り下げた穴に遺体を埋葬した
副葬品は、奄美大島以南で採れる南方系の貝(ゴホウラ、イモガイ、ベンケイガイ、カサガイなど)を加工した腕輪、足輪、貝製小玉・勾玉、
遺体はほぼ全て頭を東南に向けて埋葬されており、頭部を少しあげて顔が西北を向くように配置されていました。仰向きに横たわり、膝を軽く曲げた姿勢のものが殆どで、腕を強く折り曲げて手を肩に置いています。埋葬法に一定の決まりがあったことがうかがえます。
男性の身長は約一六三センチ、女性は約一五〇センチメートルです。風習的抜歯(通過儀礼)をしたものが多く、上顎または下顎の犬歯や側切歯を抜いています。海女(士)など水に潜って漁をする人に出来る
土井ヶ浜ドーム(覆い屋)には八〇体の人骨のレプリカが置かれ、発掘当時の状況を再現しています。入り口付近の親子(父子とみられる)の墓や「鵜を抱く女」「若き戦士」、同一石棺に合葬された男女や集められた頭蓋骨などを眺めながらドーム内を一周し、出口まで来て振り返ると……人骨の顔がそろってこちらを観ている状況に遭遇します。ヒエエッ!(◎_◎;)みんなこっち見てる💦
土井ヶ浜遺跡の人々は「北部九州・山口」タイプ弥生人と言われ、縄文時代の人骨より顔が細長く彫りが浅い特徴があります。中国山東省臨̪淄の戦国時代末と前漢時代の人骨と形態人類学的に酷似しており、そちらからきた人々の子孫と考えられています。
先祖の故郷を眺めているのか、西方の海に死後の世界をみているのかは分かりませんが、保存のために照明を落としたドーム内で骨たちに見つめられると、ちょっとゾッとします(^◇^;)
本来は埋まっていたはずなので、こんな経験は現代人しかできませんね。
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム HP;http://doigahama.jp/
「鵜を抱く女」が抱く鳥は何か? コラーゲンタンパクによる遺跡出土鳥類骨の同定(KAKENデータベース);https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K12439/
厚生労働省 人口動態統計(2018);http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2018.asp?fname=T05-28.htm&title1=%87X%81D%8E%80%96S%81E%8E%F5%96%BD&title2=%95%5C%82T%81%7C28+%94D%8EY%95w%8E%80%96S%90%94%82%A8%82%E6%82%D1%97%A6%81F1899%81%602016%94N
母子保健統計の動向(中外医学);http://www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse1186.pdf
参考図書:
「土井ヶ浜遺跡と弥生人」土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム・編(アフリク印刷)
「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム 研究紀要 第10号」土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム・編(藤井印刷)
「ヒトと信仰のカタチ―人類学と民俗学の視点から」土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム・編(アロー印刷)
「縄文時代の歴史」山田 康弘(講談社現代新書)
「縄文人の死生観」山田 康弘(角川ソフィア文庫)
「弥生時代の歴史」藤尾 慎一郎(講談社現代新書)
「鵜を抱く女」福田 百合子(毎日新聞社)
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