第569話 侵攻開始

 突如として星方宮せいほうきゅうの広場に姿を現したのは多数のスライム。一体の体長は二メートルはあろうかという虹色のスライムである。


「総員待機!待機だ!動くんじゃない!これはエンシェントスライム!絶対に手を出すな!」


 カーラ=ベオーザがウッドヴィル家の騎士達に指示を飛ばす。さすがは公爵家の騎士といったところか、エンシェントスライムへ対策をきちんと理解しているようだ。騎士達もよく指導され理解しているのか動きを止め無抵抗の態度をとった。


 だがカーラ=ベオーザはこの事態を予想してはいなかったようで、騎士達の行動を確認して、


「ミナト殿……」


 そう呟き困ったような表情を浮かべてしまう。一瞬にして顕現し自分達を取り囲んでいた神殿騎士を無力化したエンシェントスライムの群れ。エンシェントスライムは伝説の魔物として知られてはいるが数も極めて少なくその意思や行動原理に関してはよく分かっていない魔物である。


 そんな伝説の魔物が複数体で自分達を助けてくれるようなことが偶然起こるわけがない。この事態に誰がどう関与しているか、全てを知っているわけではないが彼女はある程度の確信があった。


「カーラ殿。きっと大丈夫ですよ」


 傍に控えていてくれたティーニュが落ち着いた調子でそう言ってくれることがせめてもの救いである。


 そうして春の陽光が降り注ぐ穏やかな朝を迎えたはずであった神聖帝国ミュロンドの帝都グロスアークは突如として阿鼻叫喚の巷と化した。


 星方宮せいほうきゅう内にとどまらず帝都のあちこちから悲鳴や絶叫が聞こえてくる。


 ただし悲鳴や絶叫に関しては全てが神殿騎士によるもののみ。


 ピエールの分裂体は神殿騎士以外を標的にしないこと、神殿騎士から四肢や身体の一部を損壊させる程度の傷を負わせ決して殺さないこと、を厳命されて行動していた。


 ただバルトロス教の教義においては魔物は全てが直ちに滅ぼすべき不浄の存在とされている。そしてエンシェントスライムへの有効な対策として知られている……、というか腕利きの騎士や一般的な冒険者であれば誰もが知っている鉄則は『決して手を出すことなく自然といなくなってもらうのを待つことのみ』である。帝都グロスアークに配備された神殿騎士達はどうやらそれを理解していなかったようだ。


 星方宮せいほうきゅう内でも潜んでいた多数の分裂体が姿を現したのであちこちから悲鳴が聞こえてくる。


 そんな中、ミナトは依然として第一王子のバルナバスを見据えていた。


「なんだ!?このスライムはどこから現れた!?」


 事態が全く理解できずに喚くようにそう声を荒げる第一王子。


「どうやらおれ達を助けにきてくれたらしい」


 そこの言葉に同調してか、現在は神殿騎士に代わってウッドヴィル公爵家を護るように取り囲んでいる複数のエンシェントスライムが同時にふるりと揺れてみせる。手のひらサイズのスライムであれば可愛い動きなのだが二メートルクラスになるとちょっと迫力がすごい。カーラ=ベオーザを始めとしたウッドヴィル公爵家の騎士達も若干顔色が悪くなった。ちなみにミナトが纏っている外套ピエールも嬉しそうにふるりと揺れたのだがそれに気付く者はいない。


「ふ、ふざけるな!どこの世界にいる不浄の魔物どもが人族や亜人に協力するというのだ!このスライムどもが貴様の頼みを聞いたとでも!?」


「そうかもね。言っとくけどこの魔物の名前はエンシェントスライム。人族や亜人がどう頑張っても絶対に斃せない魔物だからいなくなるまでは大人しくした方がいいよ?」


 肩をすくめてそう言うミナトに第一王子のバルナバスは目を見開く。どうやらエンシェントスライムの名前くらいは知っているらしい……、特徴や対処法は知らないようだが……。


「あ、そうそう!」


 ミナトが思い出したかのように声を上げる。なかなかに大根な芝居にシャーロット、デボラ、ミオは生暖かい視線を送っているがミナトは気にしないことにしてバルナバスへと大事な要件を告げることにする。


「国境に街であるファナザに多数の神殿騎士を配備したらしいじゃない?クラレンツ山脈に封印された強大なアンデッド軍団がたっぷりと相手をしてくれるってさ」



 一方その頃……、


「マスターからの伝言確かに受け取った。誠にかたじけなかったピエール殿!」


 ここはルガリア王国と神聖帝国ミュロンドとの国境付近。その神聖帝国側にある国境の街ファナザを見下ろせる丘の上でピエール分裂体にそう語っているのは一人の騎士。


 薔薇の紋章をあしらった美しい鎧姿に輝く長い金髪、透き通るような白い肌、そしてその美貌、さらには騎士としての意志の強さを感じさせる瞳も相まって騎士団長らしい堂々とした気品を湛えている一人の女性騎士。


 二千年前の大戦でクラレンツ山脈を根城に魔王軍側で暴れ回った強大なアンデッド騎士団。その騎士団長を務め、ミナトにテイムされた現在はその名を黒薔薇騎士団ブラック・ローズと呼称する一団を率いる女性騎士団長のフィンである。


 その背後に控えるのはいずれも見目麗しい女性騎士達。人族と亜人の混成による騎士団なのだ。


「これより国境の街ファナザの神殿騎士どもを駆逐する!バルトロス教とやらを信じる神殿騎士の特徴は把握したな?それ以外には決して手を出すなとのマスターからの指示である。また神殿騎士は殺さずに無力化せよとのことだ」


 フィンの言葉に全員が頷く。美しい女性の集団に見えるが全員が二千年前の大戦を生き抜いた猛者である。纒う武威は凄まじい迫力があった。


「よし……、皆の者!」


 フィンがその長剣を高々と掲げ声を上げる。


「二千年ぶり……。二千年ぶりである!我らの新しい魔王様が闘争の場を用意して下さった!我らが主に弓引く愚かなる者に我らの剣を知らしめよ!」


 一瞬にしてフィンの姿が漆黒のスケルトンに変化し背後の部下たちも凶悪なアンデッドへと姿を変えた。どこから召喚したのか全員がアンデッドの馬に跨る。


 ミナトの配下、黒薔薇騎士団ブラック・ローズによるファナザ侵攻が開始された。ミナトがピエールに頼んだ二つ目のお願いがこれである。

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