第492話 本日のBarのお客様

 王都に夜の帳が下りる。今日の日中は随分と春めいた陽気であった影響か夜になっても気温はそれほど低くない。季節は確実に冬から春へと移り変わり始めていた。


 本日は週始めの火の日であり王都の歓楽街は相変わらずの活気に包まれる。そんな歓楽街の端……、一本奥に入った落ち着いた場所にある一軒こそがミナトのBarである。


 出発までは長くて二週間ということだったが、ミナトはギリギリまで店を開けることにした。今度の旅路も少し長い期間になりそうなので常連さんにはきちんと話しておこうと思ったミナトである。


 日中はヨレヨレになりながら、旅路に必要となりそうなものから季節感を感じさせるものまで様々な食材を購入していたミナトだがカウンターに立つその姿に疲れの色などが微塵も感じられないのは流石である。


 そうしていつもの夜が始まる。


「キールを頂けますか?」

「私にはジン・トニックを……、この前に頂いたライム無しのをお願いしたいです」


「キールとジン・トニックですね。承りました」


 今夜、最初のお客様である二人の女性からオーダーを受けるミナト。


 キールをオーダーしたのは修道女のような衣服を纏い目深にフードを被っている女性、座ってるイスの傍にはメイスが置かれている。A冒険者のティーニュである。


 そしてジン・トニックをオーダーしたのはフィールドワークをする研究者を思わせる動きやすさを優先した素朴な衣服を纏いながらもどこか気品を感じさせる女性。ルガリア王国の二大公爵家の一つであるウッドヴィル公爵家現当主の次女ミリム=ウッドヴィルである。


 恐らくミナトのBarを訪ねることにしたミリムの護衛としてティーニュが同行しているというのが体裁だと思われるが今日は二人とも飲む気らしい。帰りはウッドヴィル家の馬車が迎えに来るそうだ。


 ティーニュもミリムも昨日ぶりの二人だが取り敢えず一杯目のカクテルに取り掛かるミナト。既に裏手にある調理スペースでは今日の担当であるシャーロットがお通しの準備を始めていた。


 先ずはジン・トニックである。


 用意するのはよく冷やしたジンのボトルとタンブラー。タンブラーに氷を入れバースプーンで軽く回す。美しい身のこなしで氷が融けた水を切った後、ジガーとも呼ばれるメジャーカップを使い流れるような所作でジンを注ぐ。そうしてジンが注がれたタンブラーを冷蔵庫から取り出したトニックウォーターでゆっくりと満たす。オーダー通りライムは入れない。


 再びバースプーンを手にミナトは氷を軽く回してジンとトニックウォーターとを軽く混ぜる。透明な液体の中に美しい氷が浮かびその中を無数の気泡が上がってゆく。


 手の甲に一滴落として味を確認して満足そうに頷くミナトは次のカクテルに取り掛かる。


 用意するのはウッドヴィル家から定期的に購入させてもらっているクレーム・ド・カシスとブルードラゴンの里産でビシッと冷えた白ワイン。この白ワインはキールのためにミナトが探した一本である。冷やされたワイングラスにクレーム・ド・カシスを注ぎ入れる。その次に白ワイン。クレーム・ド・カシスと白ワインの比率は一対四ということで……。バースプーンを使って静かにステア。


 そうしてオーダーされたカクテルが完成する。


「どうぞ、キールとジン・トニックです」


 そう言ってミナトは二つのグラスを差し出す。


「頂きますわ」

「頂きますね」


 ティーニュとミリムがグラスをその唇へと運ぶ。


「美味しいです……、ウッドヴィル家で頂くものとマスターが造られるキールとでは味わいが異なりますね。わたくしはこちらの方が好みかもしれません。少し甘味が少ないでしょうか?」


 ミナトは笑顔で肯定する。


「気持ちキールが少なめですね」


 その返しに納得の表情となるA級冒険者。


 キールにおけるクレーム・ド・カシスと白ワインの比率は一対四されているがお客好みに仕上げるのはそこから先のバーテンダーの腕である。キールは確かに甘口のカクテルではあるが今日のキールはやや中口よりの味わいにしてあった。グラスワインをよくオーダーしてくれるティーニュにはワインの味わいが強いこちらが好みだったようである。


「やはりこのジン・トニックというカクテルは一杯目に最高ですね。そして本当に美味しい。ミナトさんからこのカクテルを飲ませて頂き、このトニックウォーターなる水のお話を伺って以来、王家や公爵家もグランヴェスタ共和国からトニックウォーターを仕入れているのですがこの絶妙な美味しさが生み出せず料理人たちが苦闘しているのです」


「ジン・トニックは難しいカクテルですからね」


 ミリムにそう返すミナト。ミナトがバーテンダーとして修行を始めたときビールの注ぎ方から始まり、ウイスキーソーダの次に学んだのがジン・トニックであるが、基本的なカクテルであるからこそお客様にとっての『美味しいジン・トニック』を造るのは難しいのである。


 ちなみに修行はホワイトレディ、ジン・フィズと続くのであった。


 そうしていると絶妙なタイミングで、


「お通しです……」


 シャーロットがナッツの盛り合わせを二人へと差し出す。


「これが嬉しんですよね……」

「さすがティーニュさん、分かっていますね……」


 ピスタチオ多めのナッツの盛り合わせは女性客に好評らしい。楽しんでくれている様子に笑顔になっているとミリムがこちらに向き直ると、


「ミナト様……、この度はマリアンヌ様の依頼を受けて頂きありがとうございました」


 そんなことを言ってくるのであった。

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